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【連載】家族会議実録『誰のおかげで生活できていると思ってるんだ!父の上から目線編』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まった家族会議の全記録!録音記録をもとに連載で書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議1日目#4|誰のおかげで生活できていると思ってるんだ!父の上から目線編

「家族のためにがんばってきたのになぁ・・・」不満そうに父がつぶやく。父はなにかというとこれを言う。時には「誰のおかげで生活できてると思ってんだ!」と怒鳴りつけて家族を黙らせることもある。

この言葉は、どの家庭でも妻の不満の種となると思う。妻の反論は「仕事と家庭どっちが大事なの?」だろうか。

論点がズレるけど。

わが家の場合、父ががんばって稼いできたお金が収入の柱であり、それで生活してきたのは紛れもない事実だった。しかし父が仕事のことだけを考えてやってこれたのは、母が家事と育児を一手に引き受けてきたからだ。

これは単なる役割分担。

母も家族のためにがんばってきた。裏を返せば、母のおかげで生活できているとも言える。なんなら子供は子供のやるべきことをやっている。だから恩着せがましく言うようなことではない。


父の気持ちを想像するならば、父は仕事で嫌なことがあったとき、辞めたくなったとき、家族の存在が良くいえば歯止めになり、悪くいえば足かせだったのだろう。

常に頭をかすめる「俺が職を失ったら家族が路頭に迷う」という言葉。だから辛くても踏みとどまるしかなかったと。そういう意味では、父はとても責任感の強い人だ。

でもそれを『家族のせい』にするのは筋違いだ。

それらはすべて自分の問題である。なぜ父親たちは、自分だけが被害者という意識になってしまうのか・・・。

それに、実際には家族のため『だけ』にがんばったのではないはずだ。


わたし:それだけじゃないよね?

:いや

わたし:これを言われるとプレッシャー感じやすい。こっちもね。でもそれだけじゃないよね?って。お父さん、自分のためにもがんばったんでしょ?

:もちろん自分のためにもがんばってるよ。なんていうの、給料のためっていうのは普通の人だったらもう少し低いんじゃないかな。30%40%とか。お父さんはせいぜい50%くらいかな。強い方だと思う。


つまり父は、こう言いたいのだろう。
他の人は、仕事よりも自分のやりたいことを優先しつつ働いているけど、自分は稼ぐことへの意識が強い。それはなぜかというと、家族を路頭に迷わせないためだ。だから俺は「家族のために働いてきたんだ」。


:50%っていうのは、こっち側はなんなの?

:自分のためでもあるし、しがらみをこなすってことでもあるしさ。会社が何で評価するかっていったらしがらみだもん。ほんとに。


父はよく仕事を語るとき『しがらみ』という言葉を使う。『しがらみ』が何を指すのか、以前聞いてみたところ、「信頼関係を構築すること」だと言っていた。これは仕事の本質的にそうだと思うけど、なぜ『しがらみ』と言うのか。

それは父が、人間関係の構築が苦手で、そこにとても苦労したからだと思う。

そして「苦手なことを我慢してやったのは全部家族のため」と思い込んでいるのだな…。


:だから自分のためにっていうより・・・。自分のためっていうのは、お金50%、残り50%でがんばるわけだよ。


だんだん言いたいことが分からなくなってきた。わたしから見れば、しがらみをクリアすることも結局は、自分のプライドや評価のためだろうと思うのだけど、父はその苦労を会社のため、もしくは家族のためだと言いたいのだと思う。


わたし:でももちろん、やりがいとか、そういうのもあったんでしょ?

:やりがいあるよ

わたし:でも結構お父さんさ、喧嘩した時にこれとか出しがちじゃん?

:どれ?

わたし:「家族のためにがんばってきた」っていうのを。もちろんそれはそうだと思うけど、自分のためにもがんばってたでしょ?って。

:もちろん自分のためにもがんばってきたけども。今、お父さんの柱っていうのはあれだよ、いろいろこの親父って批判があるんだけども、家族のため自分のためがんばった柱っていうのがあるんだわ。ここは何を批判されてもね、ゆるがない。

わたし:うん、そっか。ほんとにがんばったんだね。家族のためにね。

:自分のためでもあるんだよ。


父が「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」と言うとき、家族に立場を分からせるためだけにこの言葉を使う。だからわたしは、「自分のためでもあるでしょ?」と言いたくなってしまうのだ。

父としては、家族のために働くのも当たり前だけど、そんな俺に感謝するのも当たり前。当然頭が上がらないはずなのになんで?という感覚だ。

家族としては、働いてきてくれたことに感謝はしている。だからといって、下僕にならなければならないわけではない。

父は「批判されてもゆらがない」と言っているが、実際には批判されるとグラグラになる。だから執拗に感謝を求め、従わないと脅して自分の安全を確保しようとするわけだ。

そもそも父は、俺が絶対的権力者と信じて疑わない。そして「俺が食わせてやってる」という事実がそれを確固たるものにしている。そこに差別意識が生まれているのだが…。


わたし:上から目線・・・。むずかしいよね。

:まぁ上から目線の生活が長かったってことなんだね

わたし:板についちゃってる

:それが当たり前。

わたし:上から目線でこられてさ、嫌な思いしたことはないってことなの?お父さんは。来られた経験がほとんどないの?

:上から目線の?

わたし:たとえばおじちゃんとか?おじちゃんはお兄さんだからしょうがないって感じ?

:うん

わたし:おじちゃんとか結構、上から目線の人だったイメージなんだよね。なんか歳とか関係なく上から目線って嫌だよね。やっぱり年齢じゃないと思う。年齢が上だからって、納得できないものがあるっていうかさ。上から目線って。

:兄貴が上から目線かぁ・・・

わたし:そう感じたことあんまりない?なかった?

:あんまりないな


父の家庭は家父長制だ。だから当たり前と言えば当たり前だった。兄から指示されれば従う。でも父はそれに不満を感じていた。家族は「不満がありつつも従う」という父の姿を見てきている。

だけど父には、自分の中に不満がある自覚がない。傍から見れば不満がだだ漏れなのだけど、父はこういうとき、完全に心を切り離し何も感じないようにして生きてきたのだった。

だからこそ、他人の気持ちがまったくわからない。


:上から目線ね。そういうの醸し出してんのか俺は・・・

わたし:うん、ね。醸し出してるっていうか、漏れ出ちゃってるっていうか。

:漏れ出ちゃって・・・

わたし:言葉。言葉だよね一番は。言葉に出ちゃってる。上からな感じが。例えば『お前』とか言うところとかかな。今となっては愛称みたいになってるかもしれないけど。

:言うときの感じではね。気になるときと、ならないときあるけどね。

わたし:うん。でもなんか『お前』って言ってる時点でもう、上からって思っちゃう、聞いてるほうは。

:なるほど~?

わたし:お父さん180度くらい、上から目線に関しては変えないと、変えないとっていうか…。何が上から目線なのか分からないと治せないね。

:歌の言葉にもあんのにな、フランク永井の『おまえに』って。

わたし:あぁ。だから時代を象徴してるよねって思う。そういうの。

:あの歌の感じは嫌な感じはしないけどね。

わたし:まぁニュアンスもあるかもしれないけど当たり前ではないっていうか。

:やっぱ気持ちが、どんな気持ちが入っているか、心の中にどんな気持ちがあってそれが出てくるのかっていうのが、言葉の調子とかに表れるのかな…。

:180度変えんのか、変わんねぇかもしらんぞ180度は。

わたし:うん、ま、変わんなくてもいいよ。ちょっと気づくだけでも。

:自分はわかんないけども…

わたし:人のは感じるのね。お母さんの。

:あると思う。

わたし:あるよね!

:あるなんてもんじゃないよ!最近。ほんっとに。


相当フラストレーションをためているらしい。言い方にイライラが表れている。しかし、兄に上から目線で来られても仕方ないと思えるのに、母に上から目線で来られると許せない!と憤るのこそ、自分が上という意識があるからなのだけど…。


わたし:なんかお父さんはナチュラルに上から目線で、おかあさんは必死に上から目線になろうとしてるっていう風に見える。なんかもう、負けないぞ!って必死っていうか。でお父さんは、無意識に上から目線みたいな感じだよね。

わたし:そうやってこう、相乗効果ですごい上から目線になっちゃうよね。ふたりとも。

:どこまで上がっていくんだって感じか?そっかそしたらあれか、まず言葉から変えていかないとダメか。

:うーーーーん…

わたし:まぁ言葉を気を付けてみるって、ひとつ大事なことだけど。気持ちが変われば言葉には出ると思うけどね。

:その通りなんだけど、言葉変えてくと、気持ちもそうなってくんじゃねーか?

わたし:それもあるかもね、もしかしたら。あるかもしんない。

わたし:それに、お互いにこう、気を張ってるっていうかね。上から目線って疲れそうだとも思うんだよね。

:ぜんぜん気ぃ張んねー

わたし:お父さんはもう、板についちゃってるからあれだけど。なんか、なんかもっと、リラックスしようよみたいな。

:リラックスしてんだけど

わたし:してんのか~。してて上から目線かぁ

:リラックスしてると上から目線が出てくるってことでしょ

わたし:そっか!お父さん的には緊張感を持たないと上から目線になっちゃうのか。それは困ったね。


そうはいっても父は、母が上から目線になると必死だ。家庭内で自分の地位が脅かされそうになるとあれやこれや武器を出してきて必死に蹴落としてくる。父はまるで自分のことが見えていない…。


- 今日はここまで -


録音を振り返って書き起こしているうちに、上から目線が嫌だと感じるのは、根底に見下しなどの差別意識があるからだと感じた。上下関係というのはどこにでもあって、偉い人に偉そうにされたからといってムカつくわけじゃない。

その根底に、相手への見下しやけん制があると嫌なのだ。

伯父のことで言うと、彼は職業差別をする人だった。わたしはそれを軽蔑していたし、上から目線だと感じていた。父にも差別意識がある。それはもう、親族の中で極当たり前の価値観であって、疑いようのないものである。

わたしはこれと戦おうとしている。「親戚で一番幸せな家族になろうよ」は、そういう意味を含んでいる。親族で受け継いできた価値観でいたら、幸せになどなれないからである。父自身が。

そもそも父が「親戚で一番幸せな家族になろうよ」の言葉に魅力を感じたのは、末っ子に生まれただけで優遇されなかった過去を理不尽だと思っているからだ。

ただ、それを覆すと現在の自分の権力も奪われるということに、父は気づいていないのだった…。人は本当に欲深い生き物だ。


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