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【いじめ】いじめられる側の人間について思うこと

先日「いじめる側の人間について思うこと」と言う題名でnote書きましたが、今日はいじめられる側の人について書こうと思います。あくまで個人的な意見なので異論もあると思いますが、こういう意見の人もいるんだなと思って読んでいただければ幸いです。

▼前回の記事はこちら

攻撃を拒否することが怖い

私はパワハラを受けた経験があるのですが、私がいじめる相手に感じていたのは「この攻撃(いじめ)を避けたらもっと酷い目に遭うんじゃないか」という不安、恐怖でした。

ここで大事なのは、いじめられる側が”いじめを拒否することに恐れや不安を感じていないか?”と言うことです。もしそう感じていたら、その感情を抑え込んだりせずにしっかり耳を傾けてあげてくださいね。そのうえで、この先どうしたら良いかを考えると自ずと行動が変わってくるのではないかと思っています。

"攻撃されること"を受け入れていませんか?

上記でお話ししたように、相手の攻撃を"拒否する"ことができないと攻撃を"受け入れて"しまうことになりうるんですね。または"拒否することを諦める"とかもありますね。

「この仕事が出来たら認めてくれるだろう…」「こんな場の空気になってるんだから察してくれるだろう…」「こんな嫌な気持ちはきっと偶然に違いない…」
このように攻撃してくる相手が(攻撃を)やめることは"期待をしない"ほうがいいです。

上記のような自分の心の中から湧き上がってくる"なんかモヤモヤした気持ち"というのは大事な"感情"だと思っています。それを聞き逃さず、ゆっくり耳を傾けてあげてください。

相手は"攻撃している"なんて思っていない

また、攻撃してくる人に「攻撃しないで!」という意味の言葉を伝えてもおそらく相手には伝わらない・理解されないと思っています。

攻撃してくる人がどういう心理なのかは片田珠美先生の著書「他人を攻撃せずにはいられない人」にて詳しく説明されているので、気になる方はぜひ手に取ってみてはいかがでしょうか。

個人的にいじめで悩んでいた時にこの本を読んでとても共感しました。自分の抱えている問題の解決には至らなかったものの、心理について学べることが多く、視野を広げてくれた一冊です。

支配とコントロールの「タテの関係」を意識しよう

タテとヨコの関係

いじめる・いじめられるというのは「タテの関係」にあたると思っています(上記画像の右側)。他の人が自分と違う意見だと相手が"間違っている"と感じて非難したり、攻撃してきます。それは相手が行動を変えてくれると期待しているからなのではないでしょうか。

それに対して「ヨコの関係」は間違っていると感じたら"自分は嫌です"と意思表示しつつ、"わかり合えなければ離れる"と言うことができます。

「わかり合えなければ」と言う言葉は非常に重要で、どっちかが我慢するのではなく、お互いに意思を尊重することが「わかり合う」と言うことです。我慢しないためには、ある程度”嫌なことは嫌”だと言う必要があるんですね。でもその場合の目的は"自分の意見を伝える"と言うことであり、相手の行動を変化させる・支配する・コントロールすると言うことが目的ではありません。

私は「タテとヨコの関係」を意識することで人間関係の考え方が変わりました。「ヨコの関係」を知ることで心が少し楽になりました。やっぱりそこには「境界線」「自己肯定感」などが育ったおかげだと思っています。

最後に:他人は変えられない。変わるのは自分自身。

今いじめられている人に伝えたいのは「他人は変えられない」と言うこと。いじめる相手を変えようと思ってもそれはできないと思った方がいいです。それよりもその気持ちを自分自身の(心の)成長に費やして欲しいです。

ちなみに何故それを”いじめる側”の人に向かって言わないのかと言うと、いじめる側は自分がいじめていると言う自覚がないと個人的に思っています。むしろいじめているのに「私はいじめられている!」と言う人もいます。

そう言う人も含めて言いたいのは「他人は変えられない」と言うこと。

穏やかな気持ちで人生を過ごすためには。「自分自身が変わる」と心の底から覚悟を持って決意した人にだけしか必要な情報は手に入れられないと私は思っているからです。ちなみにその”必要な情報”と言うのも誰かから与えられるものではなく、自分で取りにいかなければいけません。誰かの意見に左右されるのは依存ですからね。

長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございます。
この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。


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