こころジィさん

天理教の教祖の伝記や書物を読んで、感想などを綴ってみたいと思います。

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  • 天理教 みかぐらうた

    天理教のみかぐらうたに触れて、感想など綴らせていただきます。

  • 劇画 教祖物語を読んで

    天理教の教祖の伝記を読んで、感想などを綴ってみたいと思います。

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天理教の教祖伝を読んでいきます。

漫画版の教祖伝があったので、こちらを娘たちと読んで、感想など綴っていきたいと思います。 ことの始まりは、家にあった教祖の絵本を見て、もっと知りたいと娘が言い出したこと。そして、漫画版の教祖のお話があると知って、読みたがったので、渡したのですが、娘一人で読むには分からないことが多々あるので、親子で一緒に読む運びとなりました。

    • ちょっと話、神の言うこと聞いてくれ(天理教「みかぐらうた」第2節)

      ちよとはなしかみのいふこときいてくれ あしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし (なむてんりわうのみこと) ちょっと話、神の言うこと聞いてくれ 悪しきのことは言わんでな この世の地と天とを象りて、夫婦をこしらえきたるでな これはこの世の始めだし 南無天理王命 今から神の心を、簡潔に話をするから、聞いてくれ。 人間にとって、悪しきことは、一つもない話であるのだから。 この世の元の神である「月日」の心を象

      • 資料:神の古記(こふき)

        天理教 「こふきの研究」 十六年本(桝井本・五)より 神の古記(こふき) この世は、もと、人間も世界もなく、泥の海ばかり。その中に、神と言うは、月日両人居たばかり。この月様と言うは、「くにとこたちのみこと」という神なり。日樣は「おもたりのみこと」という神なり。その中より、月様が先に居てた。 国床を見定めて、日様へお談じなされ候には、 泥海に、月日両人いたばかりでは、神と言うて敬う者なし、何の楽しみもなく、人間をこしらえ、その上、世界をこしらえて、守護させば、人間は重宝

        • 天理教「みかぐらうた」第一節 まとめ

          前回、文章が、長くなりすぎたので、まとめ。 「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」 神が人間に教えたこの言葉。 天理教のおつとめの場では、21回も唱える最重要の言葉です。 初心者はもちろん、上級者にまで通じる深い神の心が、この一節に込められているのです。 初心者 「神様、どうか私を助けて下さい」 中級者 「神様、どうか私の心を磨く力を貸して下さい」 上級者 「神様、私も神の一員として、世界を助ける天理王のつとめをつとめさせていただきます」 初めてこの言葉に接するとき、

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          悪しきを払うて、救けたまえ、天理王命 (天理教「みかぐらうた」 第一節)

          天理教の「みかぐら」を拝読して、感想など綴らせて頂こう、と思って始めたこのnoteでしたが、なぜか一節からではなく、四節の「よろづよ八首」から始めてしまいました。 なので、仕切り直して、一節の「悪しきを払うて・・」を読ませて頂きます。 「悪しきを払うて救けたまえ、天理王命。(悪いことを払って、助けて下さい。天理王命様)」 この言葉は、人間の側から自発的に発せられた言葉ではないのです。 神が、人間に、こう言って私に頼みなさいよ、と教えた言葉なのです。 教えたからには、神の方

          悪しきを払うて、救けたまえ、天理王命 (天理教「みかぐらうた」 第一節)

          【よろづよ八首 結論】人間の心の通りに、物事を動かす神

          前回までの話を、まとめると、 世界の全ての物事を動かしている神は、「人間の心の通りに、物事を動かす」という理だけを守っている。 これが、分かれば、世界中の誰もが喜び勇む。 そして、喜び勇んだら、その心の通りに、助かるのだ。 という事になります。 一つ一つ検証してみましょう。 本当に、世界中の誰も、この神の胸の内が分からなかったのでしょうか? 似たような思想は、誰も説かなかったのでしょうか? 残念ながら私の知識量では、それを検証することは不可能です。 ただ、こう考えることも

          【よろづよ八首 結論】人間の心の通りに、物事を動かす神

          聞きたくば、尋ね来るなら、言うて聞かす、よろづ一切の元なるを。神が出て何か一切を説くならば、世界一列勇むなり。一列に早く救けを急ぐから、世界の心も勇めかけ。

          ここまでは、神の胸の内が、どんな内容なのかが、言われて来ました。 しかも、本当にそんな話があるのか?というくらいに、みずからハードルを上げているのです。 神が初めて表に現れて、世界でこれまで誰も分からなかった神の胸の内を、神が直々に説いて聞かせるのである。 神が聞かせる話は、詳しく聞いたら、誰もが恋い慕わずにはいられない内容である。 そして、更に、 神の話を聞きたいなら、この神の館に、尋ねて来るなら、言って聞かせます。 神が表に現れて、神の胸の内全てを説いて聞かせるなら

          聞きたくば、尋ね来るなら、言うて聞かす、よろづ一切の元なるを。神が出て何か一切を説くならば、世界一列勇むなり。一列に早く救けを急ぐから、世界の心も勇めかけ。

          このところやまとのぢばのかみがたと  いうていれどももとしらぬ このもとをくはしくきいたことならバ  いかなものでもこいしなる

          この所、大和の地場の神館と、言うていれども元知らぬ。 この元を詳しく聞いたことならば、いかな者でも恋しなる。 神様、みずから、めちゃくちゃハードルを、上げてきました。 これから神が、誰も知らない神の心を、今まで誰にも語ったことのない神の心を、初めて明かそうとしている。 それは、この神の館以外の場所ではありえない、と言っているのです。 今の奈良県の天理市で、当時の中山家を指して、神は「神の館」と言っている。 なぜ、ここを「神の館」と呼ぶのか?  それは、天保九年に、神が、屋

          このところやまとのぢばのかみがたと  いうていれどももとしらぬ このもとをくはしくきいたことならバ  いかなものでもこいしなる

          この度は、神が表(おもて)へ現れて、なにか一切を説き聞かす

          「この度」とは、天保九年のことなのは、分かります。 ですが、表とは、どこでしょうか? 天保九年に、一人の女性の身体に、神が入り込んだとしましょう。 けれど、見た目は、それまでと変わらない一人の人間の女性なのです。 これでは、神が表に現れた、とは言い難いのです。 神とは、形で表現することができるのでしょうか? 神は、形ではないのです。 神は、形を含んではいるが、形が神の全てではない。 神は、むしろ形をもたらした無形の存在。 けれど、無形が無形のままであれば、神がいるのかいないの

          この度は、神が表(おもて)へ現れて、なにか一切を説き聞かす

          そのはずや、説いて聞かしたことはない。知らぬが無理ではないわいな

          あらゆる時代の全ての人間の心の中を見ても、誰も神の胸の内を分かった者はいない。 それもそのはず、今までただ一度も、この胸の内を、説いて聞かしたことはないのだから。 私は、神の胸の内を、絶対に知り得ない。 その理由は、おそらく2つでしょう。 一つは、理解出来ないから。 もう一つは、知らないから。 神と人間があまりにも掛け離れた存在なので、次元の低い愚かな私には、次元の高い崇高な神のお考えを理解することは不可能なのだ・・・とすれば、神の胸の内を説いて聞かされても、理解すること

          そのはずや、説いて聞かしたことはない。知らぬが無理ではないわいな

          よろづよの世界一列見晴らせど 胸の分かりた者はない (よろづよ八首)

          あらゆる時代の全ての人間の心を見てみても、神の心を分かった者はいない。 こんなことを、1人の女性が話したとなると、誇大妄想としか思えない。 なぜなら、目の前の人の心の内でさえ、人間には知りようがないのですから。 だから、この言葉の意味をそのまま受け取るならば、これは、神のような巨大な視点から話される大宣言か、嘘八百のどちらか、なのです。 全ての人間の中には、お釈迦様やキリストも含まれる。 と、言えば、これは他宗教の否定ともとれる。 けれど、そんな意味は、毛頭ないのです。 こ

          よろづよの世界一列見晴らせど 胸の分かりた者はない (よろづよ八首)

          天理教 みかぐらうた

          天理教のみかぐらうたに触れて、感想など綴らせていただきます。 天理教「みかぐらうた」 「第一節」    あしきをはらうてたすけたまへ      てんりわうのみこと 「第二節」  ちょとはなしかみのいふこときいてくれ   あしきのことはいはんでな   このよのぢいとてんとをかたどりて   ふうふをこしらへきたるでな   これハこのよのはじめだし 「第三節」  あしきをはらうてたすけせきこむ   いちれつすましてかんろだい 「第4節」(よろづよ八首)    よろづ

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          神「貧乏になりなさい」・・・?! (劇画 教祖物語を読んで その4)

          神「貧乏になりなさい」・・・?! 神は、世界を助ける仕事を、建築に例えている。 古い建物を壊し、新しい建物を建築すること。人々が難儀不自由する世界から、誰も難儀しない自由自在の世界へ変える。 そういう世界助けを、普請(建築)に例えているのである。 まず神は、中山家に対し、「貧に落ちきれ(貧乏になれ!)」と言った。 在る物は、みな人に施してしまい、貧乏のどん底に突き進み、ついに母屋(家)も売り払う段取りがついた。 その時、神は「さあ、これから世界の普請にかかる。祝って下

          神「貧乏になりなさい」・・・?! (劇画 教祖物語を読んで その4)

          妻「この屋形とりはらえ!」 夫「え・・!?」(劇画 教祖物語を読んで その3)

           元の神・実の神が、世界を助けるために、天下った。全知全能の神が、直々に全人類を救済しようというのだ!  いったい、何がはじまるのだろう?  神は、中山家に対し、「貧に落ちきれ」と、言った。 え?   神の力で、華々しく世界を助けていくのではないのか?  当時、世の中は、食べものにも困る人で、溢れていた。中山みきさんは、中山家にあるものを、どんどん人に施していったのである。嫁入り道具に始まり、それが無くなると、中山家の財産に手を付けていく。人々は、中山家に群がり、蔵は、空

          妻「この屋形とりはらえ!」 夫「え・・!?」(劇画 教祖物語を読んで その3)

          世界を助けるために、神が出来る唯一の方法(劇画 教祖物語を読んで その2)

           神のやしろとして、神に貰い受けられ、神が入り込んだ「中山みき」さんは、家事や育児を放り出し、蔵に閉じこもり、なにやら神と対話するようになる。  家族や親族は、訝しく思うのだが、神に差し上げたのだから・・・と、一応は見守ることになる。  あの加持祈祷の最中に、神が憑依した場面を目撃し、神と問答した結果、みきを神に差し上げると、答えた人々は、一応は、納得していたのは、うなずける。  けれど、「中山みき」さん御本人は、どのように納得していたのだろうか?  正気に戻ったときに、「

          世界を助けるために、神が出来る唯一の方法(劇画 教祖物語を読んで その2)

          最強の神と、その弱点 (劇画 教祖物語を読んで その1)

           われは「元の神・実の神」である。  百姓の家の主婦が、いきなりこんなことを言い始めた。  子供やご主人さん達にとって、優しくお母さん、良い奥さんだった女性が、いきなり「われは、元の神・実の神である」と、喋り出したのである。  うちの奥さんが、いきなりそんなことを言い始めたら、気が狂ったとしか思えない。 けれど、当時は、気が狂ったと思わせないよう、準備がされていた。  つまり、そのとき、「中山みき」さんは、臨時に加持祈祷(かじきとう)の依代(よりしろ)になっていたのだ。

          最強の神と、その弱点 (劇画 教祖物語を読んで その1)