神「貧乏になりなさい」・・・?! (劇画 教祖物語を読んで その4)

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神「貧乏になりなさい」・・・?!

神は、世界を助ける仕事を、建築に例えている。
古い建物を壊し、新しい建物を建築すること。人々が難儀不自由する世界から、誰も難儀しない自由自在の世界へ変える。
そういう世界助けを、普請(建築)に例えているのである。

まず神は、中山家に対し、「貧に落ちきれ(貧乏になれ!)」と言った。
在る物は、みな人に施してしまい、貧乏のどん底に突き進み、ついに母屋(家)も売り払う段取りがついた。
その時、神は「さあ、これから世界の普請にかかる。祝って下され」と、酒肴をふるまわれた、という。

いよいよ神の新世界創造が始まるのだ!
いったい、そこで何が行われたのか?
始まったのは、夫が亡くなった後の家族、女1人(中山みきさん56歳)と、子供たちの、貧のどん底の生活である・・・!?。

 その後は、「10年間は、容易ならぬ道すがらの日々で・・」と記されている。

それが、世界の普請の始まりだ、というのだ。
難儀不自由する世界を助けると言っておきながら、真っ先に、自分が、難儀不自由のどん底に落ちてしまっている。
こんなことで、人を助けられるのだろうか?

神は、言う。
「流れる水も同じこと 低い所へ落ちこめ落ちこめ 表門構え玄関造りでは 人はたすけられん 貧乏せ 貧乏せ・・」

「貧乏しなければ、人は助けられない」という考え方が、ここで示されているのである。

 そんな日々のワンシーンが描かれている。
 夜、油が切れて、明かりを灯すことも出来ない中、親子三人で、糸紡ぎをしているのである。
 娘が「ま、月の光がこんなに明るく・・・油がきれて行燈もともせぬが、助かるな」と言う。
 中山みきさんは「せや、油がのうても、親神様は、こないにけっこうに明かりをくれてはるのや。喜ばなあかんで」と言う。
 しかも、一日で、普通の倍の量も、糸が紡げたと、喜び合っている。

 また、食事の時、娘が「お母はん、もうお米がありません。どないしましょう」と言う。
すると、みきさんは「ああ、そうかや。ま、ええやないか」と言う。

 一体、何が良いのか?

 みきさんは、子供たちに、こう言う。
「世界には、枕もとに、食べ物を山ほどつんでも、食べるに食べられず、水ものどをこさんと言うて、苦しんでいる人もある。それを思えば、わしらはけっこうや」

 「水をのめば、水の味がする。親神様が、けっこうに、おあたえ下されてある。」

 「どれくらいつまらんとても、つまらんと言うたらいかんで。けっして乞食は、ささぬ」

そういう中にあって、一日働いてやっと手に入れたお米でも、物乞いが来れば、惜しげもなく与えていたという。

あれ?
ここで、疑問が湧く。
貧乏のどん底にあって、この家族は、全く難儀不自由していないのである。
「喜びに満ちた自由自在」を実現しているのである。

つまり、人間として「助かっている姿」が、ここに存在しているのだ。

後の天理教の姿を見れば、巨大な神殿がそびえ立ち、教祖の末裔や親族は、物質的に何不自由ない生活をしている。
そこを、目的地としてしまば、子孫が、楽な生活を手に入れるために、中山みきさんは苦労をしていた、ととれなくもない。
実際、「教祖のおかげで、結構に暮らさせて頂いている」、「教祖のような真似は出来ない」と謙虚に言っている。
いや、謙虚そうに言っているだけで、真似をしようとさえしていない。

中山みきさんの辿った道と、現代の天理教の姿は、全く関係ないのだ。
むしろ、道を踏み外してしまったのではないか、という感も否めない。
なぜなら、「教祖の真似はとても出来ません」と、真顔で言い、金や建物や地位など、教祖が捨てた物に、再び囲まれて生活しているからである。
いや、物が豊かになることが悪いのではない。
豊かな物に囲まれていても、難儀不自由していることが問題なのだ。

この物語を見ると、中山みきさんの貧乏のどん底の生活の中に、難儀不自由のない人間の姿が、すでに完成されているのが、見て取れる。
中山みきさんは、貧乏のどん底だろうが、なんだろうが、状況に関係なく、難儀不自由しない人間になったのだ。
自由自在の存在となったのだ。

ということは、あとは、中山みきさんと同じ人間が、増えていけば、世界は、助かるのだ。

ところが、何故か、現代社会は、そうなっていない。物は豊かになった(今、また日本は貧困化が進んでいるらしいが)が、決して自由自在とは言えない。

なぜなのか?
最高最強の神の弱点ゆえに、であろう。
人間が納得しなければ、神は何も出来ないからだ。

先走らず、物語の方に戻ろう。

人に施し散財を続け、ついに、中山みきさん一家が、貧乏のどん底に落ちきった。
この時こそ、十数年前に「世界を助けるために天下った」神の仕事が、最高潮に達した時なのだ。
この貧乏のどん底に生活している姿こと、この物語のクライマックスなのだと言える。

「難儀不自由しない人間」、「喜びに満ちた自由自在の人間」、つまり「真に助かった人間」が、本当に出来上がったからだ。

一人でも手本が出来上がれば、後は、横並びに増やせば、すべての人間が真に助かることが出来るのである。
偶然に出来たものなら、増やすことは難しいかもしれないが、これは神が作ろうと思って、計画通りに作り上げたものなのだ。
だから、同じように、他の人間も、完成させることが出来るはずなのである。

これからどのように神が世界助けを進めていったのか?
続きを、読み進めねばならない。

娘たちの感想。
というか、3人の娘のうち、2人は脱落してしまった。優しいお母さんが、豹変して怖い発言や行動をする様子が、怖くなってしまったようです。
幼稚園や小学2年では、無理ないです。
いや、私だって怖い!
小学3年の長女は、まだ楽しみにしているみたい。


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