資料:神の古記(こふき)

天理教 「こふきの研究」

十六年本(桝井本・五)より

神の古記(こふき)

この世は、もと、人間も世界もなく、泥の海ばかり。その中に、神と言うは、月日両人居たばかり。この月様と言うは、「くにとこたちのみこと」という神なり。日樣は「おもたりのみこと」という神なり。その中より、月様が先に居てた。 国床を見定めて、日様へお談じなされ候には、

泥海に、月日両人いたばかりでは、神と言うて敬う者なし、何の楽しみもなく、人間をこしらえ、その上、世界をこしらえて、守護させば、人間は重宝なるもので、陽気遊山を見て、その他、何事も見られること

と相談定まり、この人間をこしらえるには、種・苗代が要るに、道具雛型なくばいかんことゆえ、道具雛形を見出すること。
見澄ませば、「ぎぎよ」という「うを」がいる。この「うを」は、人魚ともいう魚、人間の顔で、鱗なし。肌は、人間の肌。また見澄ませば、「みい」という「しろぐつな」が居る。この者も、今人間の肌にて、鱗なし。この二人とも、心は真っ直ぐで、正直なる者、この姿、心を見て、これを引き寄せ貰い受けて、この姿をもって人間こしらえる種・苗代に貰い受けようと、相談します。


右両人、引き寄せて、

このたび人間という者をこしらえたきつき、その方の姿心をもって、人間の種・苗代に貰い受けて、

仰せられ候らえば、両人嫌うて、断りを申し上げると言えど、押して貰い、

人間をこしらえ世界をこしらえ、その上は、この世の一神と授け、人間の親神と拝ますことと、言うて、無理に承知をさせて貰い受け遊ばされて。

それより、なによの道具、人間の魂、五体の道具雛形を見出そうと見澄ませば、泥海中に「どじょう」ばかりおる。
このものを、貰い受け、食べ、この味わい心を見て、人間の魂とす。

また見澄ませば、乾の方に、「しゃちほこ」が居る。この者に承知をさせて貰い受け、食べて心味を見るに、「しゃちほこ」という「うを」は勢い強く変にしゃくばるものであるゆえ、男の一の道具に仕込みて人間の骨の守護とす。

また、巽の方に「かめ」がいる。これ貰い受け食べて心味わい、姿を見るに、この者は皮強く倒れぬ者であるゆえに、女の一の道具に仕込んで、人間の皮繋ぎの守護とす。

また、東の方に「うなぎ」が居る。これを貰い受け、 食べて心味わい、姿を見るに、この者は勢強く、頭の方からでも尾の方へも出入りする者であるゆえに、人間の飲み食い出入りの守護とす。
これを五体とす。

人間に、息、風をもって物を言わす道具雛形と見澄ませば、坤の方に「かれい」が居る。この者、承知をさして貰い受、食べて心味わい姿を見るに、この者は身薄き、味よき者であり、角なるものでは風が出ず、身薄きもので扇げば風が出るものであるゆえに、人間の息、風の守護とす。

なおも人間の楽しみ、食物を第一にこしらえおく道具を見澄ませば、西の方に「くろぐつな」が居る。この者を引き寄せ貰い受け、食べて心味わい、姿を見て、この者は勢強く引きても切れぬものであるゆえに、食物、立毛、地より生えるものの引き出しの守護として、一に使うた道具なり。

また、人間の生まる時、親子の縁を、死に出直しの時に縁切りの道具、見澄ませば、艮の方に、「ふぐ」という「うを」がいる。この者を貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、この者は大食するもので、食べてあたるものであるゆえに、人間の生き死にの時、縁を切る守護とす。この世のよろづ切るものに守護とす。
 これなる魚、道具するを嫌うものを、無理に貰い受け、人間をこしらえる相談を定めて、「ぎぎょ」へ「しゃちほこ」を男一の道具に仕込み、それより「くにとこたちの命」の心を入り込み、男神で人間の種なり。

「みい」へ「かめ」を女の一の道具に仕込み、それに「おもたりの命」の心を入り込み、女神にして、人間の苗代となして、この屋敷の甘露台の地場を神体の中央として、北枕に寝て、九億 九万九千九百九十九人の人数、三日三夜に南無々々と二人づつ宿し込み給う。

このことをもって、南無とは「あうん」のことなり。今、人間も南無々々として居ることは良きことなり。南無というは夫婦ののことなり。夫婦とは、天地を象り(かたとり)て夫婦始めたことなり。

人間という名をつけたは、雛形の人ぎよと人間の良きことあれば、これを今にけんということを残り、この二つの理をもって人間と名をつけ給うことなり。

東西という、 西東北南というは、宿し込みの時、北枕の西向きに寝た人間の本芯は目のことゆえ、西向きを西という。西より目を東送るゆえに東という。「ぎ様」は先に起きて北向きになるゆえに北という。「み様」は、あとより南向きに起きなされたるゆえに南という。

「この世」というは、夜から世を照らしなさる月様が先はじめ、夜から始まりこの理をもって、「この世」という。
これみな人間のいうことは、元始めの時、人間を象りて名を付けたことをいうてきることなり。

身の内は神のかりものなり。人間守護下さる神は、くにとこたちのみこと、おもりのみこと、この二柱の元の神、あとの八柱の神は、人間をこしらえるにつき、使うた道具主に神名を授け給う。

この十柱の神は、この世の元の神なり。

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