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聞きたくば、尋ね来るなら、言うて聞かす、よろづ一切の元なるを。神が出て何か一切を説くならば、世界一列勇むなり。一列に早く救けを急ぐから、世界の心も勇めかけ。

ここまでは、神の胸の内が、どんな内容なのかが、言われて来ました。
しかも、本当にそんな話があるのか?というくらいに、みずからハードルを上げているのです。

神が初めて表に現れて、世界でこれまで誰も分からなかった神の胸の内を、神が直々に説いて聞かせるのである。
神が聞かせる話は、詳しく聞いたら、誰もが恋い慕わずにはいられない内容である。

そして、更に、

神の話を聞きたいなら、この神の館に、尋ねて来るなら、言って聞かせます。
神が表に現れて、神の胸の内全てを説いて聞かせるなら、世界の全ての人間が喜び勇むのです。
神は、世界一列を助けることを急いでいるので、世界中の人に神の胸の内を分からせて、喜び勇めさせます。

もう本当に自信たっぷりに、神は神の胸の内を明かそうとしているのです。
しかも、神の胸の内を分かるということは、単に知識を得ることとは違うらしいのです。
なぜなら、神の胸の内を分かりさえすれば、世界中の人間は助かると言っているのですから。

え?
もう、ハードル上げすぎです。

なんで、話を聞いて、神の胸の内が分かるだけで、世界中の誰もが、喜び勇めるのでしょうか?
世界で、困難な状況に陥って、喜べないでいる人は、様々です。
そこに、何の区別もなく、世界中全ての人が喜び勇む、と言っているのです。

そんな話があるものか!と言って、ここで終わりにしてしまってもいいわけです。

けれど、もしそんなことがあるなら、ということを考えてみましょう。

まず、この世界の全ての物事は、実は、たった一つの原因から起こっている。
そして、その原因とは、神の胸の内である。
神の胸の内が、物事の原因であり、物事は、結果である。
つまり、世界の全ての物事は、神が、神の心で動かしている、これが大前提でなければなりません。
しかし、それだけであれば、たとえ人間が、神の胸の内が分かったとしても、喜べるものではない筈です。
なぜなら、物事は、今までと何も変わらないのですから。
喜び勇めない人間が、喜び勇めるようになるには、現実の物事が変わらなければなりません。

しかし、神は自信たっぷりに、世界中の人間をみな勇ませると言っているのです。
そうなる条件は一つしかないでしょう。
それは、神の胸の内を人間が分かることによって、人間が物事の原因にアクセスできるようになることです。
物事の原因にアクセスし、原因に何らかの変化をもたらすことができれば、結果である物事を変えることが可能なのです。
神は、「世界の全ての物事を動かしている神の心に、人間が干渉できる」と言っているのです。

神の胸の内とは、何でしょう?
神は、人間に何を分からせようとしているのでしょうか?

厳しい修行をして、困難を困難と感じない精神に至ることでしょうか?
多額の献金をして、神の特別な力で助けてもらう道でしょうか?

どれも違います。
実は、答えは、もう説かれています。
「一列に早く助けを急ぐから、世界の心も勇めかけ」と言っているのです。

つまり、「人間が、喜び勇んだら、助かる」のです。
それが、「神の胸の内」なのです。
え? どういうこと?

物事は、神が全て動かしている。
けれど、それは人間の心に連動して動かしている、という事なのです。
喜び勇んだら、何も不自由がないように、神は物事を動かすのです。
勇めないで心が沈んだら、喜べないような物事ばかりになってくるのです。

つまり、神の胸の内とは、「人間の心の通りに、物事を動かす」ということなのです。
人間の心が原因で、物事は結果だと言うのです。
神の胸の内は、たったこれだけなのです。
これを分かれば、本当に世界中の全ての人間が、喜び勇めるのでしょうか?

神が自ら上げたハードルを、果たしてクリアしているのでしょうか?

つづく

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