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自殺観の歴史的変遷 ①
コロナ禍の中で社会的な活動が制限されている。
そのような状況の中で、特に女性や若者の自殺者数が増加している。
人とのつながりがたたれる中で、不安と孤独を感じると人は自殺という考えにひきつけられるのだろう。
当然自殺というのは防がれるべきであるし、背景に様々な社会的要因もあることから、社会的な取り組みも必要である。
ただどのように対策していくのかを考える上で、社会が自殺という現象に対して、どのような視線を向けてきたのかということを知ることは大事なことである。例えば、キリスト教圏のように伝統的に自殺に対して厳しい視線をそそいできた国では自殺率は低くなる傾向がある。それは歴史的な流れの中でも変化をしていくものでもある。
自殺に対する考え方
歴史的に見ると、自殺はいかなる理由があっても許されないという考え方と、自殺することもやむを得ないときはあり人にはその権利があるという考え方の二つの流れがある。この二つのいずれかが混じり合いながらあるときには一つの考えが強まりその時代における自殺観を形作っていく。
古代において
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例えば、古代エジプトのクレオパトラ(BC69年~BC30年)が女王として君臨していたとき、アレクサンドリアには最良の自殺の方法と作法を教えた学校があったと言われている。
クレオパトラ自身もオクタウィアヌスに屈することを拒んで自殺した。贈答品のイチジクに忍ばせていたコブラに身体を噛ませて自殺したとも伝えられておりこの学校で学んだのかもしれない。
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古代ギリシャにおいても、ある条件のおいては自殺は許されるべき、そして自然の摂理にかなった行為であるという議論の記録も残っている。
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sジャック=ルイ・ダヴィッド 1787年
古代ギリシャの哲学者であるソクラテス(BC469年頃 - BC399年4月27日)も若者を惑わしたという罪で死刑を宣告される。当時の慣習としては牢番にわずかなお金を握らせるだけで脱獄可能であり、「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫き、票決に反して亡命するという不正を行なうよりも、死と共に殉ずる道を選んだとされている。
古代ギリシャやローマにおいて、特にストア派といわれる立場においては、自殺をするものが自分達の仲間である市民、自由人であれば、正当な行為として認めていた。一方、自由人ではない奴隷の自殺は認められていなかった。
自由人である個人には死の手段と時を自分で選ぶ権利があり、根本的な問題は、「いかにして死ぬか」ということだった。
しかし、その後主流になったのは自殺は不当な者とする考えであった。
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ラファエッロ・サンティオ 1509年
例えばプラトン(BC427年 -BC347年)は、個人の主権は至高善という名の神の主権の前に消えるべきものであり、人間はいつ死ぬかの決定権をこの神にゆだねなければならないとした。例外として、不治の病による苦痛からの解放によるものはよいとしてはいる。
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ラファエッロ・サンティオ 1509年
またアリストテレス(BC384年 - BC322年)も自分の生命を自ら絶つことで不法に得られる個人の主権よりも国家の主権が優先されるとした。
自殺は、たとえその人自身にとって不正でなくとも、国家に対しては不正なり。
古代ギリシャにおいて、自殺者を埋葬するときにその右手(自殺をおこなった方の手)を切り離して、遺体から遠く離れた所に埋めること命じる法があり、最終的にはこれが妥当であるといる考えが主流になっていく。
古代ギリシャ、ローマにおいても、自殺はいかなる理由があっても許されないという考え方と、自殺することもやむを得ないときはあり人にはその権利があるという考え方の二つの流れがあった。最終的には自殺はいかなる理由があっても許されないという考えが主流になっていく。
しかし現代とは異なり命がかけがえのないものであるという視点よりも国家や至高善のような個人を超えた大事なもののために自殺は許容されないという考えが主流であった。
次回は、中世において特にキリスト教圏において自殺に対してどのように考えられていたのかを見ていきたいと思う。
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