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自殺観の歴史的変遷 ③

はじめに


 コロナ禍の中で社会的活動が制限され、特に女性や若者の自殺者数が増加している。当然自殺というのは防がれるべきものであるし、背景に様々な社会的要因もあることから、社会的な取り組みも必要である。
ただどのように対策していくのかを考える上で、社会が自殺という現象に対して、どのような視線を向けてきたのかということを知ることは大事なことである。それは歴史的な流れの中でも変化をしていくものでもあり、歴史を振り返ることは現代においても意義があることだと思う。

前回までは主にキリスト教圏における自殺観をたどってみたが、今回は近代において理性的な人間像が復権していく中での自殺観の変化について紹介したい。

中世において


自殺というものが他者、共同体に与える影響により、厳しく処罰されるべきであるとされ、実際に刑事罰になる国もあった。
宗教的な理由からは、人が自殺をするのは絶望に陥っているからであり(神の恩寵に希望を抱くことができない状態)、悪魔に負けたからだという視点により主にキリスト教圏においては厳しい視線が注がれていた。

ルネサンス以降

ルネサンス以降において、理性的な人間像が再び重要視される中で自ら死を選ぶ権利があるという視点が復権されていくことになる。
1774年にドイツで刊行されたゲーテによる「若きウェルテルの悩み」が、その端緒としては有名である。

若きウェルテルの悩み



この作品は2部構成になっている。主に主人公ウェルテルが主に友人にあてた数十通の書簡によりなっている。

 第1部では、ウェルテルが新たにやってきた土地でのとある公爵とその老法官と親しくなったことなどが語られる。ある日ウェルテルは郊外で開かれた舞踏会に出かけ、その際に老法官の娘シャルロッテと初めて対面する。ウェルテルは彼女が婚約者のいる身であることを知りつつ、その美しさと豊かな感性に惹かれていく。この日からウェルテルはシャルロッテのもとに訪れるようになり、シャルロッテからもまた憎からず思われる。しかし幸福な日々は長く続かず、彼女の婚約者が到着すると悩みこの場所より去ってしまう。
 第2部で、新たな土地でウェルテルは官職に就き、公務に集中する。しかし同僚たちの卑俗さなどについていけなくなり、結局退官する。その後数か月各地をさまよった後やがてシャルロッテのいるところに戻ることになる。しかしシャルロッテとアルベルトはすでに結婚しており、冷たく振舞われてしまう。ウェルテルがシャルロッテへの思いを捨てきれず苦しむ中、ある日ウェルテルの知り合いの男性が、自らの主人の未亡人への思いから殺人を犯してしまう。その知り合いに自分の状況を重ね合わせたウェルテルはその男を弁護しようとするが、それははねのけられる。この出来事が引き金となり、ウェルテルは自殺を決意する。彼は使いをやってシャルロッテの婚約者の持つピストルを借り、深夜12時の鐘とともに自殺を決行する。

ゲーテの描いたウェルテルは、純粋な愛に生きようとするがそれは現実の世界では叶えられず、また仕事においても純粋さ、純潔を目指そうとするが卑俗な世界ではそれも叶えられなかった。愛や純粋さは永遠に手に入らないことに絶望し死を選ぶ。

カール・イェルーザレム
 

このウェルテルには、モデルとなった実際の人物がいる。カール・ヴィルヘルム・イェルーザレム(1747年3月21日 - 1772年10月30日)は、ドイツの法学者であるが、ゲーテの友人でもあった。彼は人妻に恋をしていが、それは一方的な恋であり拒否され、失望し、ゲーテとの共通の友人から借りたピストルで自ら命を絶つ。
 この出来事はゲーテにとっても大きな衝撃を与えることになり「若きウェルテルの悩み」を生み出す。この本は出版されるや否やヨーロッパ中で流行し、ウェルテルをまねて自殺をする青年が頻発した。
 現代でも芸能人などの知名度の高い人物の自殺が報じられると、その後に連鎖的に自殺が増えてしまうことがあるが、この現象をさしてウェルテル効果とも呼ばれている。

中世からの変化

 中世までにおいて、特にキリスト教圏においては神の前でどうあるかということが中心であったと思われる。しかしルネサンス以降、近代においては自らどう生きるべきかを考える視点が生まれていく。いかに生きるかという視点は古代ギリシャのストア派がそうであったように如何に死ぬか、いつ死ぬべきかという視点を生み出すことにもつながっていった。

哲学の立場から

アルベール・カミュ

ゲーテは18世紀の人間として文学作品の中で人の生き方を描いたが、19世紀から20世紀に入ってくる中で哲学的な立場でも人の生き様を探求していくことになる。その中でも小説『異邦人』の作家としても知られているアルベール・カミュ(1913年11月7日 - 1960年1月4日)は「シーシュポスの神話」の冒頭に「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題にこたえることなのである」と書いている。
 最終的にカミュは自殺は、生きるということに伴う不条理な運命を見つめない態度として退けており、この不条理を明晰な意識のもとで見つめ続けることことが、生を価値あるものにするものだとしている。

シシュポス
ティツィアーノ 1548年-1549年の絵画

 このタイトルになっているシーシュポスとはギリシャ神話に出てくる人物である。神を欺いた罰を受け、大きな岩を山頂に押して運び続けている。彼は神々の言い付け通りに岩を運ぶのだが、山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまう。同じ動作を何度繰り返しても、結局は同じ結果にしかならない。日本でいると賽の河原のようなイメージのようなものである。カミュは人生の不条理さをこの神話のイメージで表現している。カミュの結論としてはこの不条理さへの反抗とは、自殺を選ぶことではなく、この不条理さを見つめ続けながら生き続けることが生を価値あるものにすると述べている。

最後に


 ヨーロッパのほとんどの国では、18、19世紀の間に自殺が正式に処罰の対象より外されていく。しかし、同時に刑罰が科されるのを減免される理由として精神疾患であることが必要とされることもあった。
 イングランドとウェールズでは1961年(自殺は宗教的な問題ではなく、医学上の問題であるという理由で廃止)まで、アイルランドでは1993年まで、自殺は犯罪であり続けた。

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