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こころのかくれんぼ 15     【自宅療養編 ~地図のある身体~】

ご注意:今回は術後の傷の写真を、記事の最後に掲載しています。

術後にお世話になったHCUから、一般病棟へ移動した。
変わらずに4人部屋の廊下側のベッドだ。
太陽の光はあまり届かないけれど、行動がゆっくりゆっくりの今の私には、ベッドからトイレに向かう道のりが少しでも短縮されることが、有難い。

意識がはっきりするにしたがって、仰向けの状態から側臥位になって起き上がる…と言う、普段なら何も意識しないで行える一連の「ねがえり動作」のひとつひとつに、細かく注意を払う必要が生じていた。身体の左を下して横たわろうとすると、上半身を捻じるそのわずかな皮膚の動きによって左の肩と脇腹の傷が突っ張られるのが分かる。上になった右腕の重みが鎖骨や前胸部の傷に波及しのしかかり、鋭く響く。

同業者として、ナースコールを押すのは忍びなかったのだが、このまま耐え続ける事でもない。心の中で「えい!」と声を出して、ボタンを押す。
頭の下に使っている枕のほかに、もうひとつ枕を借りてみた。
腕の重みを預けてみると、なかなかいい感じ。
実際の臨床現場でも、ご自分で動くことが困難な方の体位交換の時には、様々な硬さ・高さ・幅のクッションを工夫しながら体圧を分散させているのだが、そのミニ応用編としてみた。

そっと枕を抱き抱えると、自力で支えようとしていた筋肉の緊張が分散されて、上半身全体の引きつれが和らぐのを感じる。
ひとつが動くと、全体が動く。本当に皮膚というのは途切れなく繋がっていて、私を絶え間なく包んでくれているのだなぁとしみじみと実感した。
からだの角度も変えたくて、ベッドのリモコンで上体をわずかに上げてみたのだが、当然のように重力で背中がずり落ちていく。
あらららら、しまった!
そう、上半身を上げる時には、まず足元から。
下、上、下、上・・・と細かに交互に上げる掟を失念していた。
やっちゃったなぁ…と自分に苦笑しながら、振出しに戻る、

ずり落ちた分だけ上に這い上がらなくてはいけない。
ぐっと両腕に込めた力が、肩周辺の傷に伝わって地味に辛い。
そんなことは無いと分かっていても、縫った部分が裂けそうなほどの強い張りを感じるのだ。痛くて怖い。
もぞもぞしながら、自分のちょうど良い角度で小さな「くの字」を作ると、お尻の位置も安定して腹部の緊張も緩んでいくのが分かる。

体位交換の際に意識していた「皮膚の摩擦・圧迫・ずれ」の予防と言う経験を自分の身体をもって実感した時間だった。
本当にわずかな位置の変化で、驚くほどに楽になる事もあれば、身の置き所が定まらなくて、際限なく動き続けたくもなる。
身体の下に感じるよれたパジャマやシーツの皴も、時間経過と共に不快感から圧迫の苦痛に変化していく。これまでも看護師として、身動きが取れないという状況にある方に対して、いかに心地よい状態で休んで頂けるかと配慮してきたつもりだったが、きっと足りていなかっただろうな…と反省しきりだ。昼も夜も、とにかく安楽な体位を工夫しながら時は過ぎていった。


一般病棟二日目。経過も順調とのことで、抜糸は外来受診として退院の指示が出た。ちょうど月を跨いで、コロナで制限されていた面会が一時的に解除された時期でもあり、夫が仕事の合間にお迎えに来てくれた。
いつも本当にありがとう。
でも部屋まで来る許可は下りず、家族は食堂で待機とのこと。
荷物は自分で・・・。仕方ない。気合を入れて重いボストンバックを運ぶ。
あぁキャリケースにすればよかったと、少しだけ後悔しながら。

正面玄関の自動ドアが開き、飛び込んできた世界は日常そのものだった。
風の冷たさとやわらかさ。ガラス越しではない太陽の暖かさ。
鳥の声も、高く遠い飛行機の音も、少し湿度のある空気のにおいも。
身体全体で感じることが出来ることが、本当にしあわせだった。
わずか数日であっても、非日常の空間に身を置いて適応しようとしていた事を自覚した瞬間だった。

自宅は、やっぱりほっとする。
病院と同じで何もすることがなく、ただ寝ているだけだれど、全然違う。
暮らし。そう、家は暮らしの場なのだ。
「病院という場で暮らしていたよ」とも言えるのだが、割り当てられた不特定多数の見知らぬ人との共同生活・時間や規則・制限の中で提供される、ある種の一方向的な関わりというのは「管理されているわたし」という感覚をどこか拭い去れないものだ。

ワセリンでべどついた身体をシャワーでさっぱりさせたくて、そろそろと服を脱ぐ。改めて、じっくりとからだを観察してみた。
一つ一つの傷は小さいけれど、やはり数は多い。
そして身体がマーキングされていた。
それぞれのエリアで、担当した医師がいたことを意味している。
顔と首。右肩、左肩。右腰、左腰、腹部中央・・・。

まるで国境で区切られた地図のようだ。
ほんの少しだけ、勝手に線を引かれている地球の気持ちになってみた。
ひとつの、おなじからだの上なのにねぇ、と。


以下、写真を掲載しています。
文章で伝えることよりも、視覚的にお伝えした方が届けられることもあるのではと考え、掲載を決意いたしました。
病気の特性も含めて、広くご理解頂けるきっかけになれたら…とも願っていますが、傷が苦手な方は、これ以降ご覧いただくのをお控えくださいね。








右前項部の傷たち。鎖骨周辺の傷は、この後の下着選びに難儀しました。
左前胸部。左右の腫瘍の多さに違いがあるのが少しわかります。
腹部の傷。これだけ腫瘍がありました。こちらも左右差があります。

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