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【KoKoKaRa #3】千葉英和高校女子バスケットボール部ヘッドコーチ兼3人制プロバスケットプレイヤー藤岡麻菜美選手



藤岡 麻菜美さんの経歴

藤岡 麻菜美さん
1994年2月1日 千葉県生まれ
MBTI ENFJ(主人公)
身長:170㎝

  • 千葉県船橋市にあるミニバスの名門である中山MBCでバスケットボールを始め、市川四中を経て千葉英和高校に進学。

  • 年代別日本代表に選出され、U-18アジア選手権で準優勝。

  • 筑波大学に進学後、2015年ユニバーシアード日本代表に選出され4位。大学ではキャプテンを務め、インカレで優勝。最優秀選手賞とアシスト王を受賞。

  • 2016年、JXサンフラワーズに加入。リオデジャネイロオリンピック日本代表候補に選出。

  • 2017年、ユニバーシアード日本代表の主将を務め、銀メダル。FIBA女子アジアカップでは優勝し、ベスト5に選出。

  • 2020年5月29日、現役引退を発表。引退後は母校の千葉英和高校の女子バスケットボール部アシスタントコーチに就任。

  • 2021年5月6日、シャンソンVマジックから復帰が発表される。選手復帰後も千葉英和高校女子バスケットボール部のアシスタントコーチを続ける。

  • 2023年2月22日、シャンソン化粧品を退団。

  • 現在は千葉英和高校女子バスケットボール部のヘッドコーチの傍ら選手としては3人制プロチームの東京ダイムに所属している

バスケットを始めたきっかけ

ーバスケットボール経験者なら、凄い経歴だとお分かりかと思います。ー
ーそんな 藤岡さんがバスケを始めたきっかけは何だったのでしょうか?ー

小学2年生の時に仲良かった同じクラスの友人がバスケットをやっていて、その友人に誘われたのがバスケットボールと出会ったきっかけなんです。その友人とは、小学、中学、高校まで一緒でした。

初めての日本代表選出

ーちなみに藤岡さんのお名前が全国的に知れ渡ったのはいつぐらいの時だったのか覚えてますか?ー

それでいうと中学のジュニアオールスターの時かと思います。
そのジュニアオールスターで千葉県が全国初優勝したんです。
その時に千葉県選抜のキャプテンをやらせてもらっていたのもあり、大会MVPもいただきました。
そこで目をかけてもらい、15歳の時にU-16の日本代表に選出していただきました。
ちなみにその時のメンバーに今、一緒に千葉英和高校女子バスケットボール部で教えている大沼もいたんです!そのころからだと思います。

ーいや、本当にすごいですよね!もう1回言わせてください、本当にすごいです!笑ー
ーU-16のメンバーに選ばれた時に同じチームメンバーにこの人上手だなとか思うような選手はいましたか?ー

なんか、なんだろう、、凄い人たちがいるんだなと思ったんですけど、めちゃくちゃうまいなとかはなかったです。全国にはこんな人たちがいるんだ〜みたいな感覚の方が強かったと思います。

藤岡さんの強さの秘密とは?

ー藤岡さんのその強さみたいなのってどんな時にどんなきっかけがあったからとかご自身でわかります?ー

いや、全然そんなことはまったくなくて、ミニの時なんて練習中も試合中もしゃべれない子だったんですよ!
めちゃくちゃ大人しくて、ピアノ弾いてるみたいな感じの子でした(笑)
ただそれこそ、本当に変わったのはジュニアオールスターを経験して変わりました!
選抜の監督から「史上最強に声がでない選抜チームだ」と言われ続け、自分たちでも全国優勝するには声だしは必要なのかなと思って、ジュニアオールスターに挑んだら優勝したので、あっ、声だしってめちゃくちゃ重要なんだな!自分が変わらなきゃな!」って気づきました!
一応、ミニバスの時もしゃべらずに全国優勝したんですけどね(笑)

千葉英和高校へ進学した大きな理由

ーその後は千葉英和高校に進学しましたね。当時、色々な高校からスカウトがありましたか?ー

そうですね。
千葉県ですと昭和学院、千葉経済ですね。

ー当時は今ほど千葉英和高校も強くなかったと思いますが、千葉英和高校に進学した理由はなんだったんでしょう?ー

まず、1番大きな理由は千葉県の強豪校である昭和学院を倒したい!という気持ちが強かったです。
なんか惹かれたレールを進むのが苦手で、自分で開拓をしていきたいという気持ちが強いんですよね。
でも当時、アンダーカテゴリーとかにいくと「千葉英和ってどこ?」「高校どこだっけ?」みたな感じでしたね(笑)
当時は千葉県内でもベスト16とかだったので仕方ないと思います。

ただ、入学した1年の時から「高校3年間のうちに絶対に全国いく」というのを決めて進学しました。

ー同級生には県外や県内でもトップレベルの選手は集まったのですか?ー

県選抜まではいかないですけど、市の選抜のレベルの子たちは同年代にいました。熱いチームメイトが揃ったので全国でるためには普段の学校生活や私生活などからちゃんとしていこう!とみんなで決めて、部活動に励んでいました。

ー高校3年間の最高戦績はどうだったのですか?ー

3年生の時に昭和学院に負けてしまいましたが2位でインターハイに出場して全国ベスト16までいきました。ベスト8に行きたかったです!

筑波大学へ進学からプロを選択した理由

その後、筑波大学に進学されていますが、プロの道ではなく大学進学を選んだ理由は何だったのでしょうか?ー

きっかけは教員になりたかったというのが大きな理由です。そしてバスケットボール部も強かったので、ちゃんと文武両道ができる!なと思ったのが筑波大学に進学した理由です。教員免許を取得しました。

ー筑波大学でのバスケットでの戦績はどうだったのでしょう?ー

4年の時にインカレ(全国大会)優勝しました。
高校の時は全国に行きたい、大学は日本一になりたいと思って、日本一になれる学校+教員免許も取れる!でという理由で筑波に進学したので大変だったけど、日本一になれて良かったです!

ー有言実行、想ったことは叶えていく!その想いが強いんでしょうね!
そして筑波大学を卒業し、2016年、JXサンフラワーズ(現 ENEOSサンフラワーズ)に加入されましたね!ー

大学入学前は本当に教員になりたかったんです。
教員免許も取得できるし、バスケ部も強いとしか思ってませんでした。
ところが、きっかけがあったんです!
1年生の時にオールジャパン(皇后杯とも呼ばれる、世代関係なく実力があるチームが出場するので名実ともに日本一の大会である)に出場した時に、うちの大学がWリーグ(当時は実業団)に所属する2チームに勝利したのが話題になった時に「好きなバスケットボールでたくさんのお客様に応援してもらえる世界ってすごく素敵だな~」って思い、Wリーグの道へ進む決断をしました。
ただ、筑波大学女子バスケットボール部は文武両道をベースとしてるので正直、両立するのはめちゃくちゃ大変でした(笑)

ENEOSに決めた理由

ーENEOSサンフラワーズ以外にもお声がけあったと思いますがENEOSに決めた理由はなんだったのでしょう?ー

やっぱり自分が バスケットボール選手としてどこを目指したいかって考えたときに、やっぱ日本代表、フル代表としてコートに立つことだったので、当時日本代表の スタッフが入ってたのがENEOSのHC内海さん、ACはトムホーバスさん(現 日本代表男子のHC)
とかだったので、そこの人たちと普段からバスケをできる環境にいる。
そういう環境だと得られることがたくさんある. 例えば考え方とか戦術とかも!
日本代表、フル代表を目指すには近道かなって思いましたね!
 あとは、ENEOSのチームメンバーのほとんどが日本代表の選手だったんで、当時はすぐ試合に出るっていうよりかは、
色々な経験させてもらいたいなっていうのがあって。毎日、日本代表クラスの人たちと練習するってどういう感じなんだろうみたいな気持ちが強くなったので決めました。


リオ オリンピック日本代表候補選出と今までに味わった事がない感情

ーWリーグ入団直前の大学4年生の時ですかね?リオデジャネイロオリンピック日本代表候補に選出されたのは!ー

そうですね!
あの時は大学生からは私だけで、周りはWリーグの選手だらけでしたが飛び込みました!(笑)

ープレッシャーとかなかったですか?ー

ないです!というかプレッシャーがあるな〜とか思わないぐらい代表練習に没頭していましたね(笑)周りは日本女子バスケ界のトップオブトップしかいないのでついていく!学ぶ!ことに没頭していました。今までは学業とバスケの両立だった生活が1日中、バスケ!
でも結局、リオ五輪の12人には残れなかったんです。
当時、日本女子バスケが48年ぶりに自力でオリンピック出場を決めたので日本でもかなり話題になっていて、代表遠征から帰国したその足で、代表発表記者会見が行われる品川のホテルにいきました。
その時、メンバーは18人いて記者会見の30分前までスタッフ陣も12人を誰にするのか?絞ることに悩んでいたと聞きましたね。
そこで、落選した6人の中の1人になっちゃいました。(今では大活躍しているエブリン選手も同じ落選メンバーでした)

選ばれた12人はそのまま記者会見に向かい、6人は会場のホテルの裏口から1人ずつタクシーで帰ったんですよ。
品川駅までだったのですが、すごい厳戒態勢がひかれていたのでわざわざタクシーを用紙してくれたんだと思います。

そして、品川駅のホームで1人でめちゃくちゃ泣きました。
今までに味わったことがないぐらい、悔しいという感情があふれ出てきてしまって、ホームにはたくさんの人がいたにも関わらず気にせず泣いていました。
本当に初めてでした。あそこまで悔しいと思った感情になったのは。
今度こそ絶対に代表に入ってやる!と品川駅のホームで自分に誓いました。

ー経歴みるとオリンピック終了後からちゃんと代表入りしてるんですね(笑)ー

そうですね!本当にあの悔しさがあったからですね。
アジアカップでは3連覇を果たし、ベスト5にも選出していただきました。
なんか1度、決めたら必ずやりきるっていうのと、本当に私は周りの人に恵まれてるなって思います。1人じゃ絶対できないから、 助けてくれる人とかサポートしてくれる人は絶対にいるんですよ。そういう周りの人たちには感謝を忘れないように普段から心がけてます。

※その後もENEOSや代表でも活躍し2020年に引退を発表。母校である千葉英和高校のアシスタントコーチへ就任、2021年にはWリーグ(シャンソンVマジック)の選手へ復帰しつつ母校のコーチも続けていくが2023年にシャンソン化粧品を退団し、現在は3x3のプロチームであるTOKYO DIMEへ所属しながら千葉英和高校のヘッドコーチとしても活動中。

現在の競技生活について

ー3人制のバスケットをやってみてどうですか?ー

3人制のバスケは超良いです!
お客様とも距離も近いですし、試合展開も早いのでプレイしていてすごく楽しいです。
そして、まだまだ身体が動くので(もはや今は過去一番動く、調子良い)3人制はもっとやりたいですね!
ただ今はコーチが最優先です!こう思えたのも英和高校のこどもたちとアシスタントコーチの大沼さんのおかげです。

今後のキャリアのこと

ー今はコーチとしてのキャリアはもちろんだと思うのですが、何かチャレンジしてみたいことはありますか?ー

やりたいこと、チャレンジしたいことが最近たくさんありますね!
スクールもやりたいし、将来的には学校の授業では教えてもらえないような自己認識の時間とか、それこそコーチングとかが授業のカリキュラムの一環として取り入れられる時代がきたらいいなーって思ってます。
道徳ではなく社会にでて学業ではない役に立つよ!的なものを無償でも良いからやりたいんですよ!

ずっと今までも今もバスケットボールしかやってきてないので、やりたいことがあっても「何から初めてよいのか?どうしたらよいのか?」がわからないんです。
とりあえず、やろうとは思うんですけど、「何から?どの順番で?」みたいなところで足踏みしちゃいますね。

ーちなみに藤岡さんの直近の目標などはありますか?ー
あります!千葉英和高校で日本一を取ることです。
千葉英和高校の女子バスケットボール部のテーマは「楽しいからこそ強い!」
を掲げています。

そして、将来的にはバスケをやっている、やってきた強み×〇〇というような方程式を各々が見つけられ、キャリアにいかせるような取り組みをやっていきたいと思っています。

ーインタビューを終えてー

・今までアスリートとしてやってきた強みをどう活かしたら良いのかわからない
・何をしたいのか定まらない
・どんな仕事が自分にあっているのかわからない
・周りに教えてくれる人がいない
・誰を信頼して話を聞いたら良いかわからない
お話をお伺いして、たくさんのアスリートの方が同じ悩みを抱えているのだなと改めて思いました。

藤岡さんは「選択の場面」ではあえて挑戦の道を選択し自身で開拓してきたからこそ、今の藤岡さんがあるんだなと強く感じました。
そして、藤岡さんとの対談を通じて思ったことは「決めたことをやりきる力」が
ものすごく強い方で「芯」がぶれないカッコイイ方なんだと改めて思いました!

これからもKoKoKaRaは藤岡さんの活動を全力で応援していきます。


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