かくれんぼをしよう

「もういいかい」

「もういいよ」


そう聞こえてきたから振り返っただけなのに、その先には真っ白の空間しかなかった。壁、ではなく、白い空間だった。触りにいけば何かがあるのかもしれないが、白という色が全てを歪ませて、無限の空間のように感じる。

かくれんぼをしていたはずだった。相手がいたはずなのに、振り返るまではそれが誰だったかは覚えていたはずなのに。振り返った瞬間に全てが真っ白になってしまった。自分の体を見てみる。真っ白の床に自分の足が見える。一応「床」という概念はあるようだ。床の上に私は立っているようだ。足が2本あるから、人間ではあるようだ。


いや待ってくれ、私は人間か?その記憶はかなり曖昧だ。足が見えるだけで、自分が人間なのか。そうではないのか。なにで自分がなんだと判断できるのか?

動かせるかどうかを試してみよう。足は動く。指も動いている。足の甲に映る人間的な筋のようなものが、浮いたり沈んだりしている。筋肉がある。はっきりと、それは丈夫な構造として動いていることが見てわかる。そうか、自分は人間、の可能性が高い。 


まだ確信が持てなかった。ゆっくりと歩いてみる。右足が先に前に出た。重心が前に傾く。傾いた体の軸を支えるように左足が前に出る。一歩、二歩、三歩。歩くことができた。 両手はどうだろう。胴体はどうだろう。自分がなんなのかを確かめる作業は、楽しい。動く、触れる、ゴツゴツしている。感覚を確かめる。体を叩いてみる。ペチペチと音がする。ああ、音もわかるんだ。瞬間的に記憶が蘇り、思い出す。快感に似ていた。快感がわかることが快感だった。思い出す。かくれんぼをしていたんじゃないか?周りを見回す。白い空間は変わらない。変わらず遠くに何も見えない。

ただ、自分は自分の体を認識している。数分前とは違う。


そんなことでと、思い出す。いや、それはなんの記憶だ?

頭の中に「かくれんぼ」以外の記憶が流れ込んでくる。相手、を思い出した。探していたんだった。いつの間にか目を閉じていた。再び目を開ける。 真っ白かった空間は変わらない。自分の目が良くなったわけではない。ただ、誰かの背中が見えた。一つ。だけ、それを追いかけることのできる、自分の足、体、手。目も耳も触ってみると全て備わっている。


なにも不安になることはない。ゆっくり追いかけてみよう。行先が決まっていなくてもいい。十分にそこにある「自分」がそこにあるなら。終点だとしても。

かくれんぼをしよう。


 


 

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます