見出し画像

今週のMornin#56

あの日みた空

短歌のことを考える日が増えた。5-7-5-7-7の調子で、普段の会話や目に入る看板や広告にもそのどこかに当てはまりそうなものがあったりする。日本人の潜在的な感覚もあるかもしれない。7-5調の美しさ、現代っぽいイントロからリズム早く全開の調子より落ち着いていて、車窓から外を眺めながら聴くのに心地がいいような調子が、今の生活の時間にちょうどいいのかもしれない。この考え方はちょっと怖くて、ちょうどいいからこそなのか、そこが一つの下限上限のどちらかで、自分の振れ幅が狭まっているだけなのか。歳をとるというのは基本あらゆるものが小さく狭くなることだと思う。気を遣わないといけないなと思う。

Half-eaten



今週のMornin

touch

写真の感想

日曜日にお友達の学園祭みたいなものに行って写真の展示を見に行った。自分は写真の勉強というような勉強をあまりして来ず、そういう部活やサークルにも入ったことがなく、そういうものに多少以上に憧れがあった。そのお友達の写真も他の写真もじっくり見ることができてよかった。自分の美意識と向き合う以上に、写真とその写真を撮った人とのコミニュケーションだと、写真はそう思う。どうしてこの人は写真を撮ったのか、なにを伝えたかったのか、どんな気持ちなのか、喜怒哀楽、快・不快、それをここで、この流れで展示を選んだ意図とは、全てに意味があることを期待して見ている。もしかしたらあまり意味がないのかもしれないと思うこともあるけれど、意味がないという意味があるということにしている。でもこういう屁理屈の考え方がいいとは限らない。
その帰りに井の頭公園に寄って写真を撮ってきた。天気も曇りで人はそこまで多くなく動きやすかった。大きな飼い犬が散歩に勤しんでいてとってもよかった。紫陽花の季節だけれどどうしても咲き始め以降はあまり誰の目にも止まっていない場面をよく見てしまう。紫陽花、いつ見ても目が留まる。色の鮮やかさだけでなくその存在感と形の多様性で。それが公園によくある柵の支柱に跨っていた。その仄かに感じる人間の存在感が好きだった。最後まで紫陽花は紫陽花だ。
F1.4 SS1/1500 ISO800
SIRUI Sniper 56mm F1.2 XF

繋がりは切れる人は離れる


短歌に繋がる話で、最近は日本語に興味が湧いている。言語学みたいな分野になる。昨日は敬語や謙譲語みたいなものの変遷だったり、語が使われ過ぎると敬意は擦り切れていって漸減する、みたいな話とかかなり面白いと感じていた。これはつまり人は簡単に変化する、意外としているところの一つなんだろうなと思っている。同調圧力だったり、不快感の積み重ねが影響しているような気もしていて、人間は弱い、みたいな話に僅かに繋がるなと思った。名詞に繋がる動詞を自分の感性でちょこちょこ変えているようで、きっと誰かが使っていた誤用に近い使い方に影響を受けているんだろうなと思った。その人が使う言葉はつまり使いたくなるに値する言葉たちで、その人がどんな言葉を使うのかにさらに興味が湧いて、そういうところに魅力を感じるものだと思った。

roots

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます