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今週のMornin#38

とはいえ人生


かくかくしかじか、どこにでも人生の転機というか岐路というか始まりはないけれど終わりがあるような、そういうことがある。なんとなくそう思い計っていたところでも、あった仮定がそうなっただけなので心だけは準備していただけにすんなりと色々進めることができている。と思っている。社会的に孤立することがほどほどに確定しているということは結構自分にとって不安になり得る要素らしい。それはそれで、また次の不安解消法を探すしかないのである。幸いまだ選択肢はあるっぽい。

今週のMornin

needle


写真の反省

水仙が雪の重みに負けて軒並み横や下を向いていた。茎が折れ曲がり跡がついているのがわかる。雪解け水なのか水滴がところどころにつき、茎の上に乗る水滴が綺麗な大福のような形に整い見ていて心地よかった。手前に何本か前ボケした茎があり、背景はその折れた水仙たちの白い花たちが見えている。主題は水滴と茎なのだが、左から右への視線の流れがあったり、左下から右上に向けてボケ感の奥行きがあったりしている。水滴にズームした写真も何枚か撮っていたが、少し引いた上の写真も好みだった。

SIGMA fp 35mm F2 DG DN 


珍しくSPPのカラーモード無しほぼRAWとJPEGスタンダードを並べます。

RAW
JPEGスタンダード

今の気持ちで現像したものも

ティールアンドオレンジで露出調整

と色々いじってみたものの、撮っている時にモノクロだと感じてモノクロで撮ったものがなんだかんだしっくりくる。気分や好みの話だとは思う。
モノクロを選ぶときの理由の一つは形を見せたい時だと思う。色の要素を減らして諦めて、もっと見せたいものを目立たせる。
特徴的な形や模様や、大きさや小ささや、色を廃して目立たせられるものをモノクロにしたい時が多い。お花でもそう。

白黒のいいところは生命力が関係ない写真になり得るところというか、生死があまり感じられなくなるところが好みだ。どうでもいいというよりもどっちでもいいというような。個人の好みではあるものの、後からモノクロにしてよかった写真よりも、撮りながらモノクロを選んで撮る場面の方が多い。
昔はフィルムを入れる時点でモノクロかカラーを選んでいた時代で、そもそもモノクロのフィルムしかなかった時代もあることを考えると、今の表現の幅は本当に広く自由すぎて、多様性の時代とは都合が良い。昔はそのフィルムの至らないところがすごく好みで、今ももちろん好みなのだけれど、フィルムで撮らなければという場面の差別化が有耶無耶になっていると感じていてあまりフィルムを使っていない。防湿庫にNikonF4が眠っている。

モノクロフィルム
モノクロフィルム


2月は誰の嘘

いつ思い出しても思い出せない写真がある。これまで、スマホで撮ってきた写真はGoogleのクラウドに全部乗っかっていて消えないはずなのに、いつかもしかしたら手違いで消してしまったのか、見当たらない写真がある。そういうものこそ実際にプリントをして見える位置に飾ったり、持ち歩いたりということが必要になって、需要が生まれるのだろう。なくしたくない写真がこの世にあるかぎり写真は廃れないことを祈っている。何を撮ったっていいし何を撮らなくたっていいと思うし、並行な世界でみんな適当に生きているのだから、誰かが誰かを諌めたりなんてあんまり本意でないだろう。いつまで写真を撮り続けるのだろう。

見上げる雪







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夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます