見出し画像

今週のMornin#52

犬馬之年

何をするべきか、気を抜くと常に考える。時期的なものだったりメスオスの組み合わせ的なものだったりするけれど、いまはそれらをよく考える。自分に関心が向きすぎないように仕事をしたり写真を撮ったり短歌をよんだり絵を見たりお化粧品を見漁ったりしている。自由自在で全ていい時期は終わって、ある程度制約や見切りがないと自分らしく在れないような気がして、昔から使っているものやことから途端に逃げられなくなる。逃げようとしているということは、逃げられる可能性がある意味低いことの現れだ。
きっと苦し紛れに逃げるのだ。

tribute


今週のMornin


overtaking

写真の感想

F8 SS1/125 ISO12800
NOKTON 35mm F1.2 X mount

薔薇の季節、薔薇とは変化のお花だ。季節が変わるたびに咲く薔薇があるからだ。そのおかげで、「どの季節の薔薇が好き?」という話題が生まれる。春夏秋冬、春、夏、秋、冬のどの時期に咲く薔薇が好きか、同時にどの時期の薔薇が好きでないかと選択を余儀なくされる。ちょっと残酷だと思う。そんなことを言えば自分は冬に咲く薔薇が好きだと思うが、「冬に咲いている薔薇」が好きなのではなく、「冬」に咲いている薔薇が好きなのだ。運よく、冬に咲いてくれた薔薇のおかげ、という理由で「冬に咲く薔薇」をこれから愛して向き合えたらいいと思う。自分が体を横にして休むときのように、薔薇も季節の変わり目で休めているのだろうか、杞憂を寄せる。

写真としては薔薇と、背景の路面電車の線路、それに光が当たり線となり遠近感が感じられる。奥によく見ると車両が見えて、その光で後ろが照らされているのがわかる。そのまた手前には踏切のない横断路があり、人が何人か往来している。薔薇とはこういう生活の近くに咲いている、咲かざるを得ない、咲いているのがまるで仕事のような、そう感じる時がある。人も薔薇ももう少し休めるような社会になれば、何かがいい方向に転がることもあるといい。


fatigue


男の子なのか女の子なのか


性別の差みたいなもので損も得もないのが平等だと思う。そして平等はこの資本主義の世界にほぼ成立できない。競争こそが、という捉え方の方が大多数で正義で好ましく、今の段階では最適解の一つなのだろう。人と人が、それも大人数と大人数とで暮らしていくにはある程度統制が必要で、そのためにはシステムやルールが必要で、そういう先人たちに行ってきた過程には頭が上がらない。呑気に家で音楽を聴きながら、写真を整理して、好きなことができているのも、どこかで誰かが何かを自分のために施してくれていることを、自覚するとまでは言わなくても、1日の終わりに感謝を向けることくらいはできるだろうなと思っている。聖書を最近は眺められていない。今夜は1ページ読もうと思う。何についてのページだったか、来週お伝えすることにします。

来週は展示があります。

26日(日曜日)、27日(月曜日)は終日在廊しています。
何かに疲れたら、学校や仕事をサボりたくなったら是非遊びに来てください。いいサボり方、考えましょう。

rain rain layin

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます