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今週のMornin#37



日記が続く

何年かおきに、そうだ日記を始めようと思い出して書き始めていつの間にか辞めてしまう。大体体調が悪くなって書く元気がない時を境に辞めてしまう。今年はまだそういう体の壊し方をしていない。1ヶ月しか経っていないのだからそうだろう。機械みたいに、何か良くない部分をごっそり取り出したり、電池を変えたりしてすぐ元気に戻れば僕らきっともう少し気楽に生きてけるかもしれないけれど、きっとそうはしない僕らだから、意外と楽しく生きているのだと思っている。

駅舎



今週のMornin


Droop


写真の解説

木の写真を撮るのも見るのも、その人となりが多かれ少なかれ薄かれ濃かれでているような気がしている。そもそも木の写真を撮ること自体があんまり自然とすることではないと思う。意図がないとしない行為の一つだと思う。食事や歯磨き、爪の手入れや肌の手入れとはまた違う。誰かはレンズテストをするのに木を撮るといいと行っていた人がいた。レンズテストなんてものは解像度とボケの質と量、光の捉え方なんか、色々さまざま言っている人がいる。それはそれでいいと思うけれど、そういう意図もなく木を撮る。何がうつっているわけではないのに、何か希望みたいな望みみたいなものをうつそうとしている行動の一つだと思う。それはさておき、昨日も木を撮っていた。ピントは真ん中にポイントをおいてシングルAFで撮っている。上半分にAFを合わせてから下に煽り下半分が若干ピントを外して枝の細部が抜けている。もちろん背景の木々もボヤけているが、量的に多くないためかスッキリした構図に感じる。枝に葉がないことから季節は春や夏ではないことがわかり、秋か冬か、冬の季節を乗せるためには「寂しさ」「冷たさ」「硬さ」があると冬のイメージに近づく。地平線に近づくにつれて光の量が増えている。上の方が雲が残っているのがわかる。冬は太陽が低い。

SIGMA fp
35mm F2 SS 1/2500 ISO100

誰かが泣いているか、雨に打たれているか、海から這い上がっているように、自分には見えた。

ahead


見えないものを見ようとする無力との向き合い

2月、遅ればせながら新年会をした。年に何回か会ってくれる人たちがいることはとてもありがたくて、どうしてあんまり友達がいないのかと悩んでいる思い余る自分の性質に少しだけ少しだけ目を瞑らせて貰っている。自分への反駁。誰にも勝てないと覚悟を決めている、そういうポーズだけ確実に決めているのに、結局のところ自分には勝てないのである。自我が自分の中にあるのか、外にあるのかを意識する。
週に1回、ギターを触っている。音が鳴るということに毎回ちょっと感動している。歳を取ったなと思う。

Level




夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます