今週のMornin#36
雨のち曇り
久しぶりに雨に打たれた。雨にも大きさというか粒の太さみたいなものがあって、霧雨と呼ばれたり、確か煙雨(えんう)とか粉糖雨(こぬかあめ)とかを聞いたことがある。これは日本語のいいところの一つだと思う。ある現象やら状態やらを示したり表すのに色々な言葉を組み合わせて差異を楽しんで使えること。今週の日曜日の雨は、煙雨だったと思う。雨関連だと「雨足」という言葉も好きだった。
今週のMornin
写真の振り返り
レインボーブリッジを歩いて渡ることができることを知っていて、これまでも何回か行ったことがあった。この日もそうしたくて向かったけれど冬季間は空いている時間が短く、運悪くもう閉まっていた。やむおえず、それでも前々から行きたいと思っていたレインボーブリッジの足元にある公園に行った。雨予報だったけれど橋の下だろうし雨はそこまで気にしなくていいと思っていた。とぼとぼと向かっていくと少しずつ雨が降ってきた。足元に着くと落下防止の柵に青鷺がいた。その青鷺がとても落ち着いていて、なんとなく目が合うけれど逃げてはいかず、しばらく見合っていた。少しずつ近づかせてもらっても逃げずにそこにいたので何枚か写真を撮ったのが今週のMorninだった。少し雨に濡れてしまった。
写真的には光量が不足しているのでSSも1/100と十分稼げず、ISOも5000まで上げている。レンズ的にはF1.2まで開けれるがここでは1段絞りF1.8でシャッターを切った。よくみると手ブレしているようで青鷺が十分解像しきってはいない。それでも背景の照明と雨が反射し点光源として左側の構図を埋めてくれて、中央は青鷺と柵で右に二分するようにさらに背景の東京夜景と東京湾の黒い海がなんとか構図を保っているような感じがする。
露出的にはもう1段落とすと青鷺が見えにくくなってしまう。ギリギリのSSと露出と水平だけ合わせてあとはF1.8の被写界深度とISOオートに任せた。
去年の前半は鳥をよく撮っていたのを思い出した。どこか図鑑みたいな写真を撮っているような気持ちになり、なんだか性分に合わないなと撮るのをやめてしまった。撮れた時の達成感や気持ちよさはとってもあって、鳥を撮りに出かけようと思えたけれど、そういう少し抗えない自然との対話みたいで、でも博打にも近くて運が良いか悪いかを考えていたら、どうしても自分でコントロールできる範囲に限界があることと、既存のありふれている情景にふと鳥が飛んできてくれることが嬉しいのであったことも思い出した。金銭的にもし余裕ができたらまた鳥を撮るレンズを買ってみるかもしれないが、しばらくは撮らないと思う。被写体としての鳥は本当に好きで美しいと思う。海岸で飛ぶ大きな鳶や鷲やゆりかもめには眩しくてもしばらく見つめてしまう。
この青鷺は一定距離を近づくと遠ざかってしまった、そうやって遠ざかってくれるのはある意味愛だと思う。それが近づくことや遠ざかることが正しく正義とも思わないように慎ましく生きていきたい。
雪が舞う明日には溶ける
1月もあっという間。嬉しいことも多く、そうでもないことも多く、あんまり悲しくて辛いことはなかったように思う。年々、悲しくて辛いことが相対的に減っていくとも思うと、そういう枯れた感情が0になるのなら、その前に終わりにしてくれたら良いのにと思う。生産的であることが生きる理由ではないけれど、真っ平じゃ面白くないし、波風が立たないと進む気が起きない。
意外と生きる気があるらしい。
仕方ない。
夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます