今週のMornin#62
くすみ
お化粧の影響か両方の瞼が少しずつくすんできている気がする。クレンジングを適当にしていた自覚はあり、時折そういうものを落とそうとマッサージやらいろんなものを塗ったりもしているけれどあんまり良くならない。色素沈着というと現実的過ぎるけれど、くすみと言えばまだちょっと素敵さが残る。お仕事している時にアイシャドウをつけている?と聞かれたけれど、見事にそれはただのくすみだった。くすみ、という漢字は何にあたるのかを調べたけれど答えは出なかった。燻み、とは違うし、イメージ的には氵が付いている想像をしていたけれど、そもそも存在しない。今週どこかで気が向いたら「くすみ」にあたる漢字を想像したいと思った。
今週のMornin
写真の感想
ある軒先のプランターに咲いている薔薇。年中、ほぼ一年を通してどういう状態かはさておき薔薇が咲いている。いつでも見ることができる安心感もあるけれど、もう少し特別な存在であって欲しいとも思う薔薇。子供の頃はその棘の印象だけが強く濃く、触るのはもちろん見るのも憚られていたお花だった。それだけで何か怪我をしてしまうんじゃないかと思っていた。薔薇の存在は自分にとって忌避されるようなものだった。しばらく歳を取って東京に来てから、日常で見かける薔薇の量が格段に増えた。どこを歩いていても見かけることができる。特別と日常の間で、どこに位置付けていいのかいまだに計りかねている。そういうランクづけみたいなことをするお花でもないのだろうかとも思う。
不用品に囲まれる
買ってから一度もまともに使っていないようなものが部屋に溢れている。定期的にそういうものを売りに出してものを減らしては、また気がついたらそういうものに囲まれている。うちはあまりにものが多い。絶対的にものが多い。減らすべきなのは分かっているが減っていかない。どれも大切だとか愛着があるからだとかではなく、ものが多い方が安心するという大きな概念だと思う。ひとつひとつは本当に大した必要性があるわけではないと思う。何年かに1回使えばいい方だろうに、それなのに時に必要なものすら用意がないこともある。ものに囲まれて一体何に備えているのかわからない。また、そろそろ断捨離の気分になるような気がする。段ボールを組み立てて、そこに不用品をまとめていって、売れそうなものはフリマアプリに出していく作業。血を抜いて、要らない成分を濾し出してまた体に戻すように。
夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます