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今週のMornin#33

渦中

新春あけましておめでとうございますとも、すこし憚れ畏れる世間の容態に、これからどう生きるか?みたいな白鷺の出てくる映画のことを思い出して、なにごともバランスの優先度を見誤らないようにできたらよいのだろうかと恐々している。いい塩梅という字の中にも塩と梅があるのだから、いい塩梅自体にバランスが溢れている。最近、おいしい食べ物をおいしい以外の表現で誰かに伝えたくなったら、それはひとつ形のない愛だなと思った。


今週のMornin


策略


写真の解説

この写真を見て何を感じるかを1番考えている写真が、こうやって写真を撮っていると存在する。
自分もそうだし、写真を見てくれた人にどう感じて欲しいかと思う、願う、祈る写真がある。結構ある。傲慢ながら結構ある。
この写真は勝手ながら夜空、天の川みたいだなと思った。左右が濃いめの木々に囲まれて上下に少し薄めの枝木が見える。織姫と彦星がどこかにあるのではないかと探した。左右はその天の川の川縁みたいに見えていた。深く一方的でもこう考えていると、何かの性格診断みたいな気持ちにもなってきてしまう。いろいろ考えるには、浅くても多少おだやかな気持ちがあるといいのだと思った。
カメラはSIGMA fp レンズは35mm F2 DG DN、SSが1/800、絞りはF2、ISO100で撮っている。左右の木の部分の木の模様なんかは完全に黒で潰しているが枝の数が細かく残り・枝の本数や濃さが細くも鋭さを感じる。構図的にはもう少し広角でも画面が埋まっていいかもしれない。自分は35mm以上の広角レンズがこっぴどく苦手だ。本当はもう少し練習した方が良いのかもしれない。気が向けばそうすることにしよう。
使っていてとっても楽しいSIGMA fpもゆくゆくレビューを書きます。

コントラスト


強くなくとも生きる


他責思考とはどうもいけ好かない。嫌悪に満たない滑稽さを感じる。何が人生経験だと鼻で笑う。とはいえ全体主義で民主主義が持たれる今世では、正しさよりも声の大きさで決まってしまう思想が多くあり、ちょっとやはり俗世とたびたびたまにうまくやっていけないと思う。薄々、孤独以下、ひとりで生きていくのはかなり大変でつらいなと思ってはきているけれど、それは大人数に自分を合わせて当てはめて自分を刻まなければいけないなら、要らないと思う。
写真を撮っている時はずっとひとりで、でもひとりを意識しなくていいから気が楽でいい。なんで写真を撮っているのかはずっと不透明なままで、残す理由なんて明確にどこにもないけれど、どう頑張って言い訳をしても自分のためでしかないというのは、自己愛の再確認にいいのかもしれない。今年も頑張ってお花や人間や、写真を撮ろうと思う。たくさんでなくても、大事な写真が一枚か二枚あれば何よりだ。

迎春


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