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今週のMornin#11


切り落とされる紫陽花とそうでない紫陽花の違い


無駄な遊び

何もありがたいことではないが、仕事をしばらくお休みしている。
心身ともに健康ではないので、どうにか健康に戻すためにお休みをしているわけだが、あまり調子は戻らない。
なので、家で一人でぼーっとしていては自意識は無駄によくない方向に深まるばかり。その自意識を吹き飛ばすために写真の練習をすることがよくある。今日は少し前にフォロワーが送ってくれた切花を、勝手にドライフラワーにしカサカサになった葉っぱの写真を撮っていた。
なかなかうまくいかないもので、撮っている人間の、にっちもさっちも行かない感じがむしろ写真に現れたというか、特に意図もコンセプトもないことが写真に出てきてしまったというか。
そういう休職期間を過ごしています。
時々ひとりで海に出かけるか、深夜のメルカリの発送くらいしか予定がないので、何かありましたらDMまで。

これはこれで何百枚か撮れば一つの写真集くらいにはなりそうなものだが、そこまでの元気はない。そういうことだ。


今週のMornin

今週はこちら。

江ノ島、日の入り

これから日の入りしていくというところで、海から上がる人や、これから帰ろうと準備する人たちと、さまざまな様子に、地平線と波打ち際の曲線が綺麗に撮れるところと、タイミングを図っていたら、結局どっちつかずになってしまったような記憶がある。そして、もう少し望遠レンズがあればローアングルで人影と夕日をバックにして線対称な感じで撮れたのではないかと反省しているところだった。

写真の反省

構図的には上下2分割で、上側は雲の切れ間でなんとなく曲線が何本かあり、対照的に下側は波打ち際と砂浜で曲線が何本かあり、最後に歩道の直線でなんとなくバランスを取ったような、感じがする。平行線があまりないため、どこを基準にしていいかわからなくなりそうだが、地平線が唯一絶対の基準線としてあるのが救いかもしれない。露出はかなりアンダーだ。
おおよそ、海に来ると最初はカラーでハイキーな写真が多いのだが、大抵そこから露出を落とし、モノクロに落ち着いてしまうことが多い。

ハイキー


色の好みは千差万別

カメラで写真を撮ると、どうにも色が好みでないと感じる時もある。その時は、自分で事前に決めているいくつかの設定をさらにこねくり回す。それでもうまく行かないことはあまりなかったためそのままにしているが、いずれ色の好みも年齢や経験と共に変わる気がする。今の好みが今後いつまで続くかはわからないなと思うようにしている。人間は変化に弱いから。


露出を決めてくれるのはカメラなのか、撮影している側なのか

それでも、露出はこちら側が確定しなければカメラで写真は撮れない。露出を上げ過ぎれば白く何も映らない写真になり、下げ過ぎれば黒く潰れてしまう。ある程度はRAW現像で取り戻せる時もあるが、時と場合によっては取り返しがつかない。同じところで同じ構図で写真を撮り、見比べる。みたいなことをするのは楽しいと思う。そこにその人の妥協や正義や思想が現れるだろうから。



枯れた紫陽花をそのままにしておくくらいなら


枯れたままにしておくくらいなら切り取ろうみたいな思想は割とあるらしい。でも、花壇には「お花を勝手に切り取らないでください」と看板が立ててあることもある。美しいものをそのままの状態で持ち帰りたい浅ましさに、美しい花はそのままにして枯れる様も大事にしたい、みたいな思想は相反するものなのかもしれない。春先の水仙や、梅雨時の紫陽花など。
ただ、落ちた花びらが地面に落ちて、カビや病気の元になることもあるそうで、やはり最適解は切り落として取り除くこと、になりそうだ。

ただなんとなく、美しいものを美しいと決めつけることも、美しくないものを美しくないと決めつけることも、気が進まない。

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます