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今週のMornin#64

海、祈り、家


海に行ってきた。行ったことのない初めての海だった。電車ではるばる2時間半。これまでに行っていた海は、1人で行ける海は特に電車とバスで行ける海だけだった。実家にいる時だけ車で海に連れて行ってもらえていた。そういう海だったものが東京に来てからは自分の力で、自分の時間とお金を使っていくところになっている。よくいく海が増えてきて、安心できる選択肢が増えてきて、それはそれで本当にありがたい。今回行った海もこれまで行ったことのある海とはまた違う素敵な海だった。相変わらず海の中には入れなかったけれど、砂浜、すべすべであまりに細かい砂浜が綺麗で、照りつける夏の日差しも、たまに吹く潮風も。
人間の祖先は海から来ている話もかなり頷ける。やっぱり安心する。

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今週のMornin

capture


写真の解説

海。写真を撮るお友達ができたので、一緒に海に行った。何をするためでもなく海に行くために海に行くという、ただそれだけ。何を持っていくでもなく、写真を撮りたいのでカメラは何台か持っていくくらいなもんで、自分は海に入るのは怖いからと、タオルなんかは持っていかずに。それでも海にどうしていくのか。風も岩場も砂浜も波音も波が岩に当たって跳ね返る水の粒も、そういう無機質が好きだからなんだということにしている。無機物はいい、という話を何年も前からしている。どうしても感情のある意思のある存在に対しての距離感の掴み方が行くわかっていないから。うまくいかないことが多くて困ってしまうから。無機物にはそういう余計な杞憂をしなくて済む。本当は向き合い普通のやり取りをした方がいいのだろうが、そういうものから逃げられるのも人間らしさと言うことで甘えている。いつかそのツケが人生に回ってくるんだろうなと思う。人間、罪の数を数えても幸せにはなれない。自虐をしても自傷をしても、何も変わらない。変わりたい気持ちがそこに溢れる気持ちは本当に心からよく分かるけれど、そういう選択肢を取ることは自分は決してない。

お友達、海に入って、一回戻ってきて、またカメラを持って海に駆ける姿が可愛らしくてよかった。写真、残したい気持ちがなければシャッターは切れない。撮るべきものを撮るか撮らないかで悩む自分にはできない写真を見るのが好きだった。

F6.4 SS1/2500 ISO800
NOKTON 35mm F1.2 X mount


下るまでわからない、坂


疲労も眠気も、坂道みたいなものだと思っている。疲れて疲れて、たまに休んでまた疲れて、気がついたらもうそれ以上疲れることもできないくらいになっていて、しかもそれが坂の上か下かもわからない。上だったらそこから転げ落ちるし、下だったらどん底ということが認知され絶望するだけ。そういう要素があるのが坂なんだと思う。眠気の場合もそう。自分はそこそこ不眠症だから夜はお薬が手放せない。そうすると強制的に坂道から下ろしてくれるというか、取り出して別のところに置き直してくれるような。もう抵抗もできないくらいの眠気でどうにかしてくれるから、今の生活が保たれている。

帰路

夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます