「今日のアナーキー」 第3話 キミちゃん

「ま〜ま〜」
まさしがお母さんに気がつくと、砂遊びを放り出してこちらに向かってくる。
手にはお気に入りの怪獣のおもちゃを握っている。
キミちゃんはしゃがんでまさしを包み込みながら、今日のことが気にかかっていた。
「さっきのエミィちゃん、ちょっと変やったなあ。」



2度目の出会い

「ちょっとすんませんっ …まさしっ」
人だかりの中にぐいぐいと分け入ると、
キミちゃんはぐったりとした息子の姿を見つけ、肩を強く握る。
安堵と緊張が同時に湧き上がる。
そばにいた数人がまさしと同じようにぐっしょりと濡れている。
「あの、息子を助けていただいて、本当にあ.. あ、」
言葉を詰まらせ、目を見開く。
「あ、あんた、さっきの..」
エミィは歯を剥き出しにしてにかっと笑っている。
それはキミちゃんとエミィの2度目の出会いだった。


初めての出会い

最後の訪問先に商品を届け終えると、キミちゃんは慣れた動作で“ふ れ あ い フ ー ズ”と大きな文字が貼られた社用車に滑り込みエンジンをかける。

「ただいま戻りました~」
事務所のドアを開けて誰にいうでもなく声を出す。
「おかえりなさい~」
数人が反射的に呼応する。

入ってすぐ横にあるホワイトボードの前に立ち、「東芽」と書かれたマグネットを「帰宅」の方に移動させる。
時計は3時半を指している。

「訪問終わりましたんで、このまま帰宅させてもらいますー」

ドアを閉めようとすると、向こうからすかさず副社長の花見さんが声を張る。
「あ~東芽さん、帰りにちょっと生協で仕入れ品受け取ってきてくれへん?なまもんちゃうから、こっち戻るんは明日の朝で大丈夫なんで。」

キミちゃんは“げっ”と心の中で顔を歪ませる。

「あっぼく行ってきます」
事務作業をしていた古屋くんが手を上げて割り込む。

(ナイス古屋っ)
心の中でガッツポーズする。

「生協は東芽さん家の方向でしょ。わざわざうちのトラックで行かんでもねぇ。そもそもね、時短で4時までの約束でしょ、わたしもね、こんな言いたくないんやけど..」
花見さんの爆速おしゃべりがはじまる。

古屋くんの手がしなしなと引っ込んでいく。

「あ~、了解しました!行ってきまーす!」
キミちゃんは逃げるように言い放つと、古屋くんに親指を立てながらドアを閉める。



「まさし、今日はどんなことして遊んだん?」
キミちゃんは幼稚園のお迎えをすますと、車のシートベルトを締めながら訪ねる。
「..ん..ん、..ん~と、あの、火山があって、それがあのボーンて、ばくはつするの」
「うん、ほんで?」
エンジンをかけながら、たどたどしい言葉に耳を傾ける。
「ほんで、あの.. テツくんが、かいじゅうのにんぎょうで、ガオっーって..あの、ティラノサウルスの、つめは2ほんやねん。」
まさしは一生懸命に言葉を紡ぎ出す。
キミちゃんは「ほんまぁ」などと相槌をうちながら耳を傾ける。



「ちょっと用事すましてくるから、ここで待っといてくれる?」
車内にまさしを残し、キミちゃんは外に出る。

生協の建物の中に入ると、受付と応接室を兼ねた小さな空間が広がり、色褪せたチラシやポスターが所々に貼られている。
誰もいない。
「すみませ~んっ! ふれあいフーズです~! お世話になってます~!」
奥に届くようにキミちゃんが声を張る。
パタパタと足音がして、キミちゃんと同世代らしきお兄さんが出てくる。
「ふれあいフーズです。注文の品を取りに伺いました。」
「あ、はい、少々お待ちください..。」
お兄さんは不慣れな様子で奥に引っ込む。

チッチッチッチ..

時計の針を見ながらキミちゃんは足のつま先をトントンと鳴らす。
(あ~いつものおばちゃんやったら顔見ただけですぐやねんけどなあ。)

数十分経って裏の倉庫に案内されると、すでに作業服のおじさんがカゴ台車を力一杯押している。
「ふれあいフーズさんね。はい、これ今週分と..来週分もやね。もう1台あるから。ここにサインお願いしますね。」
ペラペラと紙をめくりおじさんが確認するように言う。

(えっ、)
キミちゃんは一瞬固まる。

「あの、これ全部ですか?..あちゃ~。今日自家用車なんですよ。乗りきらないんで、一旦戻って会社のトラックで来ますわ。」
そう答えながら頭の中が忙しく動き出す。

「あらそうか。1時間以内やったらうちのトラック無料で貸し出してますよ。どうします?」

(..事務所までの往復で1時間、保育園のお迎えは間に合えへんからおばあちゃんにお願いして、それでも家には5時には着くか。)
予定の算段がつく。
「じゃあそうさせてもらいます。」

キミちゃんはポケットからスマホを取り出し、履歴画面の一番上にある番号をタップする。
プルルル…プルル…
「あっお母さん?悪いんやけど、たん と ぽぽ 迎えに行ってくれる?4時半までは園で見てくれてるから。うち?うちは5時には家に着くわ。まさしも一緒。うん、ごめんな、ありがとう、ほな切るな。」

電話を切った指でそのままさらに履歴画面を少しスクロールし、違う番号をタップする。
プルルル…
「あっ古屋?ちょうどよかった。商品が思ったより多くて、30分後に事務所戻るからあと整理 頼んでいい?うん、いつも助かる。」

2件の電話を終えるやいなや、おじさんの方を向いてまた口を開く。
「すみません、トイレ借りていいですか?あと生協のスーパー少し寄ってきていいですか?その間にトラックの準備お願いできますか?」

(う~ん テキパキしとるなあ)
おじさんは息子をトイレに連れて行くキミちゃんの後ろ姿を見ながら思わず唸る。


「好きなお菓子1つ買ってええよ。」
隣の生協直営の小さなスーパーで素早く店内を巡回し、目当ての商品をカゴに入れる。
「お〜い、まさし~決まった~?レジ並んどるよ~」


「…そやけど、ポイントカードだけ。クレジットカードとか、その~、なんちゃらカード?それは対応してないんです。」
前から話し声が聞こえる。レジ係のおばちゃんが前に並んでいる女性に向かって何か説得しているようだ。

「あの、このカード使えるって、これに..」
髪を2つ結びにした女性が、手に持っているチラシを指す。

おばちゃんはそのチラシを取って顔の近くに寄せると、ピントを合わせるようにゆっくり体を反らせる。
「か ら ぞ ん カード.. 対応店..?ん~、でもそんなん機械もないしね、ここはできないんですよ。」

エミィはあたふたとしている。
「あ、あの、その..」

「あのー」
キミちゃんはひょいとチラシを覗き込み、1箇所を指を差す。
「それKARAZONのカードですよね?ほら、ここのお店の名前もありますよ。店長呼びましょか? 店長さ~ん!」
すでによく通る声で叫んでいる。

「どうされました?」
店長が慌ててかけてくる。

「KARAZONカードで決済したいそうなんですけど、ここ対応店ですか?」

「ああ。まだレジの準備が整ってなくてね、ご迷惑おかけしてすみませんねえ。奥来てもらえますか?」
店長がエミィに向かって手招きする。

「あ、あの、ありがとうございました」
エミィはキミちゃんの方を向いてお辞儀すると店長の後を追う。

「あれま、最近噂の?移住者?まあ~..。」
レジのおばちゃんは物言いたげに顔をしかめる。
「こんなとこにも難しい機械置かれても、また覚えんといかんし難儀やわ。ええと..お待たせしてすみませんねえ。お米が2点と..」
流暢に口と手を動かしながら、次々と商品がレジを通されていく。
エミィが持っていたKARAZONのチラシはレジカウンターに置かれたままだ。

「合計12,667円です。」

(KARAZONの移住者は生活必需品が支給されるて聞いてたけど、普通にカードで好きなもん買えるんや。)
キミちゃんは財布から1万円札を取り出しながら、シワだらけになったチラシをじっと見つめていた。



「まさし、じゃあお母さんともうちょっとだけドライブしよか。」
「..や。」
「え」
「や!!」
「なんでえなあ。ちょっと横で乗っててえな。」
しまった。キミちゃんは冷や汗をかく。

車の前で押し問答をしていると、不意に声がかかる。
「あの、うちの息子もちょうど今来て。よかったら少しの間一緒に預かっときましょか?」

先ほどの受付のお兄さんだ。横に小さい子どもを連れている。
「ほんまですか..助かります。まさし、1時間だけいい子にしててな。」

「や゛ー!!  まぁまぁ゛ー!」

キミちゃんはまさしの叫びに耳を閉ざし、もう一度お兄さんに深くお辞儀をすると、荷物が積まれた2トントラックに乗り込む。



「東芽さぁ~ん」
古屋くんが事務所裏の搬入口で手を振っている。
「結構量あるから、リフター使った方が早いわ。」
運転席から降りながらキミちゃんが古屋くんに声をかける。

2人でトラックのリヤドアを開けて荷物を下ろせるように準備していると、2階の事務所から声がする。
「東芽さーん、東芽さんに電話ですー」

(電話?)

「古屋、進めといてもらえる?」
キミちゃんは奥のドアを開けて階段を登る。

「..はい。わかりました、すぐ戻ります。」
受話器を置くいて顔を上げると、周囲の目線が集まっている。
みんながキミちゃんから出てくる言葉を待つ。

「む すこ が い なくなった み た いで。」

キミちゃんはひっくり返ったような声を出す。
目はピントがずれたように変な方向を向いている。

「さ がしてき まあ す。」

「…」
その異様さに誰も声をかけることができなかった。



キミちゃんは当時の記憶が朧げだ。
いつの間にかトラックを走らせている。

あれ
最後まさしと何話したっけ。
なんでこんな急いで走ってんねんやろう。
毎日 毎日 
時間に追われて
お金のやりくりして
わたし何してるんやっけ

不思議と心は静まり、脳はキンと冷え、とてつもない回転数でバグを起こしているようだった。
彼女は暗く寒い地底へと少しずつ招かれていた。

キミちゃんの様子とは反対に、トラックは猛スピードで前進するのだった。


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