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私は、ひとり。

朝の歩活(ぶかつ)を終え、汗流しシャワーをしているとき思いついた言葉は「削ぎ落としたい」でした。キーワードにして見つけた写真を今日はお借りしています。

まぁ、予想通り、削ぎ落としたいのは余分な体のあれこれですけど、服にしたって持っているものにしたって、断捨離なんておしゃれなものじゃなく、削ぎ落としたい!と思ったのです。削ぎ落とすといえばやっぱりその結果は引き締まった筋肉ボディだったりとかなんですが、はっ、と思ったんです。ええ、投影ですから。

削ぎ落としたら、今あるものが変わっちゃうんじゃないの?

いややばいやばい、そんなこと思ったら、人生中削ぎ落としちゃうじゃないの!!!離婚よ離婚!別居!一人になっちゃう!!!と、削ぎ落としたい気持ちをキャンセルしようと必死(シャワーしろ)。

でもだめですよね。
思ったってことはもう表層意識に上ってきたってことは、深層意識には随分と長い間あったんですから。。

で、削ぎ落とし。

そこから考えが派生していくわけですよ。思っちゃったから。でね、割と色々不都合が出てきます。現状と比べると。


友人が、夫婦ってなにかね、結婚ってなにかね、と言うたび私は擁護してきたんだけど、ここのところ色々あって、再考してる。

やっぱりひとつは社会制度で、契約で、法的関係、だよね。大前提として。夫婦であること、結婚していることで享受できる福利がたくさんある。(同じ考えで私は同性婚はあまり反対じゃない。同じように社会的利益を欲したって当然じゃないか、と思ってる。ま、それはそれ)

これから結婚する人、結婚に夢見てる人には、聞きたくないことだと思うけど。若い頃の私は絶対そんなの信じなかった。愛し合ってるからでしょ~って、結婚はゴールじゃなくてスタートよ~とか。

いや。。。25年近く後、同じこと言えるかなぁ。。と思っちゃうよね、今。(夫は私が最初からそんな気持ちで結婚したわけじゃないでしょ、と思ってたみたいよ。めっちゃショック受けたけど。私そんなに打算的かな?悲)


でも、子供が居なくても結婚や夫婦ってできるでしょう。逆に子供が居ても結婚や夫婦じゃなくてもいいでしょう。だから、子供と夫婦や結婚って関係ないんだよね。法的に。福利的に。


それで思ったのね。愛の結果じゃないなら、なんなのかと。

私個人に限って言えば、結婚や夫婦、親になるっていうのは、責任逃れが責任を負う練習をしてたのかな、って。

私、学生時代がめちゃくちゃ長くて、留学中数年は親のスネカジリしてたし、学生結婚(って言ったって、大学院に入る数年前だから若くはない)したあとは夫が学費を払い、彼の在住地のおかげで州外生徒の学費から州内生徒の学費(3分の1)となり、彼の稼いだお金で生活した(彼はフルタイムの学生で同時にフルタイムで働いていた)。

仕事を始めても、私が家の経済を支え始めたのは、ここ数年。しかも夫に頼まれて。自主的にしたことはない。私のお金は私のお金、あなたのお金は家族の生活のため(苦笑)ずるいでしょ。

これ、大人じゃないでしょ。責任負ってないでしょ(継続中)。ま、経済的には絶対負ってない。これも夫婦の益だよね。

今一人で生活できるか(経済的に)って言われりゃ、できるよ。でも、したくな~いと思いながら、削ぎ落としたいって言ってると、何が来るかって言うと、首になるよきっと(苦笑)、一人で生きたくないから、おんぶにだっこ状態を作ろうとする。←ちょっと今やばい状況。

精神的?気持ち的?に一人で生活できるかって言われりゃ、できるけどしたくない。でも削ぎ落としたいって思っちゃった。


だからきっと、夫に見放されたんだな私(苦笑。


子供の自立が近づいてきて、夫は次の人生のステージを見越して、すでに一歩も10歩も踏み出して積極的に前向きに生きている気がする。

私は、ずっと現状よりも過去を懐かしむタイプで、今になって子どもたちが小さいときにもっとやってあげればよかったとか、後悔してる。過去に生きようとしてる。それはもう変わらない(過ぎたこと)だから安全だもの。



私はずっとおんぶにだっこの察してちゃんとして生きてきて、だんだん、それじゃ回らなくなったわけです。子供がいるとかね。子供のほうがずっとおんぶにだっこの察してちゃんじゃん?特権ですからね。

だから、自分のインナーチャイルドもおとなしくしてるわけですよ、本物の子供には勝てないな!って。で、子供の自立が近づいてきて、思ったんだろう。そろそろ爆発していい?力戻していい?って。

いや、だめでしょ(苦笑

それが、数週間前の爆発だったんだと思う。爆発してしまったので、あんまり感じなくなりました。満足したんだろうか、あの子?

爆発して、大きな勘違いと混乱を過ぎ、ちょっと心と頭が空っぽなんですけど、でも余計なものが舞ってない(ホコリかチリのように)中で見てみると、夫の言ってることって至極まともなんですよ。いつもなんですけど。あの人の言ってることはなんだかいつも正しくて。


複数でいるとね、一人って、すごく感じるよね。だから私は、固まったりグループでいるのが苦手なのかもしれない。一人ってことを感じすぎてしまうから。一人なら、一人は普通。だからネットは好き。切ってしまえるから。一人を感じすぎる前に、オフできちゃうから。

夫がいるから、一人だということをすごく感じる。一人にされてしまった、と思う。この人は私を見ていないって思ってしまう。夫がいるから。

でも違うよね。


夫が居ても居なくても、私は、ひとり。

削ぎ落として、削ぎ落として。
夫が居ても居なくても、一人であることを知り、最初から一人で、最後も一人なんだと、私はちゃんと知らなきゃいけない気がします。そしてついに、やっと!自分に責任を持って生きていかなきゃいけないと思う。夫に見捨てられたから、じゃなくて。見捨てでもしないときっと私はここにたどり着かなかった。


例えばそれは、私が健康である責任だとか。ちゃんと仕事をする責任だとか。生活をちゃんとする責任であるとか。マインドをちゃんと整える責任だとか。


今までは、夫に意識してもらうために(もしくは意識されないために)やっぱりナニカしてきたと思う。だからその結果が今なのに、見てもらえないと嘆く私がいる。いや、自分の行動の結果じゃん?とツッコム私も居て、ひたすら落ちている(こんな風に書いてるけど、結構メンタルまだやばい)。

でもその度浮上してるから、きっとだいじょうぶ。今は、混乱しながら、ふと手に掴んだものが、掴むべきものなの?と思いながらメンタルゲームしているから。


やっぱりきっと、私は削ぎ落としたい。それがどんな結果になっても。きっと、そう望み、それを手に入れるだろう

それが、別れる理由が無いから一緒にいる、だけになってしまったとしても。


そんなことを思ってたらまたなんともドンピシャな投稿を読ませていただきました。惠御子先生のブログ。

”見えない領域では、令和という時代は「所有を逃れる」と言われています。”

読んだ瞬間、マジっすか!って思った。ほんと私は昭和な人(苦笑 リアクションが死語ばかり。

これ、私が削ぎ落とすという言葉を思って悩んでいた後に見つけたのよ。削ぎ落とし、いいんじゃないの、って言われちゃった気持ちになったわよ。

追記:時々読む方のブログ。。。刺さっちゃったよ。。

そこまで捨て。。られるのか?!?!

メンタル迷走続く。

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