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須釜淳子助手の恫喝と真田弘美助教授の謝罪

まずは、こちらをご覧下さいませ。

金沢大学医学部附属病院の教授らに目をつけられてパワハラを受け続けていたストレスと、須釜淳子助手指導の看護研究のストレスでボロボロになっていた看護学生の私でした。

稲垣美智子助教授に一連の話をしたら、『私の息子が家で病気で寝ていて早く帰らないといけないから、学生相談室の木村先生に相談してね。』と、逃げられてしまいました。

木村先生に相談したらカウンセリングの内容を勝手に録音されてしまいましたがカウンセリングは初めての経験だったので、これが犯罪だとは知りませんでした。

木村先生のカウンセリングには通いましたが何も変わらなくて相変わらずストレスフルな日々だったので、やがて不登校になってしまいました。

不登校になって1か月くらいしてから、実家に担任の須釜淳子助手が電話してきました。

『あなたのせいでみんな迷惑してるのよ!』と、恫喝してきました。

私はショックと恐怖で、頭が真っ白になりました。

耐えられなくて、恫喝の途中でしたが電話を切りました。

解離性障害と複雑性PTSDだったのかも知れませんが、当時の看護教員らや木村先生は精神科への受診を勧めてはくれませんでした。

それで木村先生が、カウンセリングの内容を録音したカセットテープを、当時の看護教員全員に聞かせてしまいました。

謝恩会の時に真田弘美助教授が、『ごめんなさいね』と声をかけて来ました。

そこでは、慰謝料の話は一切ありませんでした。

稲垣美智子助教授も白々しく、『あなたがそこまで考えなくてもよかったのに。』と、言っていました。

恫喝した須釜淳子助手からは謝罪の言葉は一切無く、ただ私を睨みつけていました。

稲垣美智子助教授が看護教員全員に私を木村先生に紹介してカウンセリングを受けさせていたことを伝えていた上で須釜淳子助手が恫喝電話をして来たのかと金沢大学側に確認しましたが、そんなことはありませんでしたの一点張りでした。

須釜淳子助手からの恫喝電話の際に、近くで同級生の看護学生らの声や真田弘美助教授の声も聞こえていました。

金沢大学医療技術短期大学部看護学科と金沢大学医学部附属病院での教授らからのパワハラが怖すぎて、金沢大学医学部附属病院には就職せずに東京の病院へ逃げました。

がしかしこれを知った須釜淳子助手が、『新卒でいきなり東京の病院で働くのは難しいわよ。』と、東京行きを妨害して来ました。

恐ろしかったです。

また須釜淳子助手に言われた同じ実習グループの看護学生からも、東京行きを止められました。

死にたいくらいに辛かったです。

まあ、幸にして生きていたのでこのエピソードを書けるのですが…。

金沢大学医療技術短期大学部看護学科でのアカハラと金沢大学医学部附属病院での教授らからのパワハラが、看護師であり続けることを困難にしたことは言うまでもありません。

いまだに金沢大学側からも金沢大学医学部附則病院側からも、謝罪と慰謝料が一切ありません。

北海道は看護学生らへのパワハラ騒動に重い腰を上げたけれども、石川県の谷本正憲県知事と金沢大学は沈黙のままですね。

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