なぜ私は働くのかと疑問に思ってしまった時に読むといいかもしれない。 渋沢栄一『論語と算盤』との対話。
文字数:約1,950
渋沢栄一(1840~1931)は現代日本の資本主義の父と言われている実業家です。明治維新後、数々の株式会社の設立を手がけています。例えば、みずほ銀行は日本最古の銀行として渋沢栄一によって設立されました。他には、王子製紙やサッポロビール、キリンビール、清水建設、損保ジャパン日本興亜、東京海上日動火災保険など、就活生の人気企業には、だいたい渋沢栄一が関わっていると言われています。
2024年には一万円札が福沢諭吉から渋沢栄一に変わるようです。偉業を考えれば納得なのですが、バイタリティに溢れすぎていて、正直なところ意味がわかりません。
幕末から明治維新になり、渋沢栄一は官僚から実業家を目指します。士魂商才をモットーとして、道徳とビジネスを両立させることで、日本を発展させたのです。
会社は利益を最大化することが目的ですが、仕事は他者への貢献とよく言われます。人のために何かをすることがお金を稼ぐということの本質なのだと思います。ビジネスは他者との協業だからです。
しかし、実際のところ働いている人はどうなのでしょうか。出世争いや出世のための接待、給料を少しでも増やすための残業、経費を湯水のように使う事、気に入られようと上司の顔色を伺う事、同僚との飲み会では愚痴大会、イヤイヤ満員電車に揺られる日々。
社会は厳しく冷徹です。弱みを見せれば、すぐに押しつぶされそうになってしまいます。少なくとも私はそう感じるから、自分を鍛えるために哲学を学びたいし、どんな人が来てもビクともしないような人間になりたいのです。
渋沢栄一はそんな人間としての生き方を「論語」に見出していました。
「論語」とは、今から約2000年前に中国春秋戦国時代の孔子がその弟子たちと交わした言行録です。仁・義・礼・智を説き、後の儒教になりました。
渋沢栄一は、「論語」から人間道徳と経済活動の2つの側面を結びつけていました。渋沢栄一の人生論、ビジネス論を描いたのが「論語と算盤」なのです。
まさに完全な人間と形容するにふさわしいと私は思っていますが、渋沢栄一は「論語と算盤」[角川ソフィア文庫]の中で人間にとって必要な能力として、こう書いています。
「智」とは、智恵のことで、物事の本質を正しく判断するための心のことです。知識や教養とは別物なのですが、学んだ知識を人格に生かしていくことで、智恵となるようです。逆に知識だけでは、智恵を持っているとは言えません。
「情」とは、感情のことです。智恵を持つ人は、物事の因果関係の理を見極める力を持っています。しかし、そこに感情が無ければ、とんでもない人間になると渋沢栄一は説いています。人間は理性的な生き物ですが、やはり感情が無ければ、なんと人生は虚しくなるのかすぐに想像できます。
「意」とは、意志のことで、揺れ動く感情をコントロールする役割があります。断固とした意志はブレない人間は必ず持っている強さです。しかし、どんなに強い意志を持っていても、「智」と「情」が伴わなければ、ただの頭でっかちの頑固者で、人の言うことは聞かないし、このような人間も社会には有用ではないと渋沢栄一は言っています。
「智・情・意」を心に秘めて、欲望や感情に流されるまま生きるのではなく、正しい理性を持てるだけの教養をもち、自分の目標達成のための絶対的な意志を持つこと、これが完全な人間の定義であるということです。
やはりそのような人間になるためには、学び続けなければならないかと思います。現代語訳版の「論語と算盤」[ちくま新書]には、こうあります。
私は学ぶことには、年齢など関係がないと思っています。なお、「論語と算盤」はYoutubeで中田敦彦が熱く語っています。概要を学ぶには、パーフェクトヒューマンに聞くのがオススメです。
2020/05/23
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