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星めぐりの旅 2022/12/6(写真と文)

最終日の朝。

深夜にW杯の日本戦があったため、寝不足の人も多いだろう。

いわずもがな、僕もその一人だ。

早朝、ぼーっとした思考を起こすためにひと風呂浴びる。

昔ながらの帳場の横に、少年時代の賢治さんの写真が飾ってあった。

大沢温泉で撮影された写真。宮沢賢治は前列右から5人目
玄関横のプレートにも宮澤家との関わりが記されている



生徒たちはサッカーには興味がないのか、ぐっすり寝た様子で元気そう。

ここから、バスで花巻駅へ。



粉雪舞う花巻駅を後に、一路JRで盛岡へ向かう。

少し後ろ髪を引かれる思い。

次に訪れるのは、いつになるだろうか。

盛岡までの車窓は、のどかな田園風景が広がる。

”イーハトーヴ”

賢治さんが生前出版した『イーハトーヴ童話 注文の多い料理店』の広告にはこう書かれている。

「イーハトヴとは一つの地名である。強て、その地点を求むるならば、大小クラウスたちの耕していた、野原や、少女アリスが辿った鏡の国と同じ世界の中、テパーンタール砂漠の遥かな北東、イヴン王国の遠い東と考えられる。実にこれは、著者の心象中に、この様な状景をもって実在したドリームランドとしての日本岩手県である。」

目の前を流れ過ぎる景色は、茶色く無機質で、なにか特別なものを感じることはない。

だけど、賢治さんはペンと紙だけで、この地をドリームランドに変えてしまった。

改めて、彼の類まれなる創造力に感服するばかり。



盛岡市は、岩手県の県庁所在地だけあって大きな都市だ。

ここ2日間、ずっと花巻にいたので、みんな面食らってしまった。

盛岡に来た目的は、「もりおか啄木・賢治青春館」に行くこと。

昨年他界してしまった、ジャーナリストの外岡秀俊さんのご縁で繋がった大切な場所だ。

青春館の堀口さんと会うのも4年ぶりだろうか。

重たい扉を開けると、マスク越しの優しい笑顔で迎え入れてくれた。

生徒は展示を見て、僕は堀口さんとしばらく近況を報告し合う。

青春館にある宮沢賢治の胸像


話は思わぬ展開になり、急遽、館長さんも交えて夏の展示会の報告をする。

生徒の説明にも思わず熱が入る。

札幌の高校生が、こうして賢治さんの地元岩手で「宮沢賢治」をテーマに話をする。

これってすごいことなんじゃないかな。

これまでの彼らの奮闘を、真剣に聞いてくださる青春館のお二人。

ふと外に目をやると、雪が降っている。

時間いっぱい話をして、館長と堀口さんにお礼を伝え、青春館を後にした。


岩手銀行赤レンガ館

外は、一面の銀世界。

出会ったことのない盛岡。

なんだか急にワクワクした。



この旅で、生徒たちの「宮沢賢治」像は、少しリアルな輪郭を帯びたようだった。

そして、全員岩手が大好きになった。


高校教師だった賢治さん。

同じ立場で、生徒を花巻に連れてくるたびに思うことがある。

「私たち教員が生徒に伝えるべきことはなんだろう。」

賢治さんは、今から約100年前にすごい授業をしていた。

当時の生徒たちは、みんな授業の詳細までしっかりと覚えており、どれだけ記憶に残る授業だったのか、想像に難くない。

授業の中身については、畑山博氏が書いた本書に詳しいので、興味ある方はぜひ。


昨今、日本では「探究学習」が「SDGs」とともにトレンドワードとして扱われている。

真の「探究」ってなんだろうと考えてみた時に、「宮沢賢治文学を研究する会」の生徒たちが三年間やり続けてきたことこそが、まさしく「探究学習」なのだろうと、この旅で実感した。


”世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない”『農民芸術概論綱要』より

”みんなのほんたうの幸福を求めてなら私たちはこのまゝこのまっくらな海に封ぜられても悔いてはいけない”「宗谷挽歌」より

”僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。”『銀河鉄道の夜』より


機体の外に見える苫小牧の夜景を眺めながら、考えていた。

ほんとうの幸せって、詰まるところ「優しさ」なのかもしれないなぁ、と。

その「優しさ」とは、全てのネガティブな感情をも包括した優しさなのだろう。


昨日、宮沢賢治記念館を出て、イーハトーブ館へ続く森の小道で、「先生」と生徒たちに呼び止められた。

振り返ると、みんなムフムフと嬉しそうな顔で僕をみている。

「先生、いつもお世話になっているので・・・」

と手渡されたのは、包装紙に包まれた細長いギフトボックス。

先ほど宮沢賢治記念館で買ってきたのだろう。

「・・・ありがとう」

温かい気持ちが、胸いっぱいに広がった。



買ってくれたことが嬉しかったのではなく、彼らの「優しさ」に感動した。

この子たちは、”ほんとうの幸せ”が何かを知っている。

そのことが、たまらなく嬉しかった。



この三年間、コロナ禍に翻弄され、僕自身なんども見失いそうになった。

高校生活を送った彼らにも、多くの葛藤があったに違いない。

この活動も、上手くいかなかったことの方が多かった。

だけど、諦めずに進み続けたからこそ、今ささやかな”ほんとうの幸せ”を享受できている。

そのことがどれほど尊いか。


果てしない闇夜に明滅する小さな灯りが、僕の心を静かに揺らした。

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