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K2冬季初登頂に思うこと

2021年1月16日。

世界中の山ノボラーたちの耳に、とんでもないニュースが飛び込んできた。

冬季のK2に初登頂!!??

10人が同時登頂!!??

しかも登頂したのは、ネパール人チーム!!!

これは間違いなく、登山史を塗り替える快挙だ。



K2冬季登頂がどれぐらい凄いのか??

世界には8,000峰が14座ある。

世界一は、みなさんご存知エヴェレスト(8,868m)だ。

そして、世界二位の高峰が、K2(8,611m)である。

そのうち、K2以外の13座はすでに冬季に登頂されている。

ちなみに、K2以外の8,000m峰でここ最近まで冬季登頂がなされていなかったのは、世界第9位のナンガ・パルバット(8,125 m)。

この山も「人喰い山」と恐れられていたが、2016年にイタリアの登山家、シモーネ・モーロが冬季初登頂を成功させた。

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AFP BB NEWSより引用 https://www.afpbb.com/articles/-/3079237

つまり、K2冬季登頂は、ヒマラヤ登山に残された最難関の課題のひとつだったのだ。


非情の山

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K2画像:Wikipediaより

「非情の山」

これが世界第二のヒマラヤン・ジャイアントにつけられたニックネーム。

どれぐらい登頂が困難なのか。

これまで登頂に成功したのは、わずか400人弱

エベレストは約10,000人。

死亡率(死亡者/登頂者)は、他の8,000m峰が10%以下に対し、K2の死亡率はなんと23%

単純な比較にはならないが、8,000峰の中でも各ルートの難易度は群を抜いている。


日本人とK2

日本人でK2に初登頂したのは、1977年8月8日。

日本山岳協会登山隊の重広恒夫ら3人である(世界第2登)。

このときの森田勝のエピソードは、あまりにもドラマティック。

森田勝は、危険すぎて登攀不可能と言われた三スラ(谷川岳滝沢第三スラブ)をやり遂げた伝説のクライマー。

そんな森田は、1977年のK2登攀においても超人的な力を発揮していたが、登頂メンバーが発表され、まさかの第2次アタック隊に。

森田はそれを受け入れず、勝手に下山してしまう。

その壮絶な人物像は、夢枕獏の小説『神々の山嶺』の主人公、羽生 丈二としても描かれている。

K2にはドラマがある。


登山界に超人現る

今回、K2に登頂したチームリーダーのひとり。

ニルマル・プルジャ(Nirmal Purja)。

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ニルマルさんのインスタグラムより引用 https://www.instagram.com/nimsdai/?hl=ja

つい数年前まで全く無名だったネパール人登山家が、登山界に衝撃を与えた。

2019年、彼はなんと8,000m峰14座を、わずか6カ月と6日!!!で完登したのである。

おいおい、近所の裏山じゃないんだぞ!!w

と、総ツッコミを入れたくなるような信じられない記録。

14座のヒマラヤン・ジャイアンツをすべて登った人はこれまで世界に40人ほどいるが(日本人は竹内洋岳さんのみ)、軒並み10年以上かけて登っている。

志半ばで山に散った登山家も数知れず。

最速記録でも7年10カ月かかっていることから、この記録がどれだけ凄いか分かってもらえるだろうか。

ニルマルさん、一体何者!!??

彼はネパール人だが、シェルパ族ではない。

経歴は、イギリスのグルカ兵の山岳部隊出身。

特殊部隊のネパール人=超人

これまで欧米列強のクライマーが金と時間と、命を削って築き上げた記録を、あっさり更新。

ネパールの超人、恐るべし。

しかも、イケメンでかっこいい・・・。

恐るべし。


超人もくじけそうになった冬のK2

そんな超人ニルマルを持ってしても、冬のK2は困難を極めた。

「気象条件はまったく、本当にすさまじかった。気温は氷点下65度まで下がり、(風は)ハリケーン並みだった」

ひょ、氷点下65度・・・。

しかも、ジェットストリームが直撃し、平均風速40m/s以上だったという。


実は、私も2013年にヒマラヤでジェットストリームを経験したことがある。

高橋励起

写真:アマ・ダブラム峰に登る筆者

その時も、風速40m/s以上。

どんな様子だったかと言うと・・・。

拳ぐらいの小石(もはや小石ではない?)が、顔面めがけて飛んでくる。

肺に直接風が暴れ込み、息ができない。

立った瞬間に吹き飛ばされる。

はい、居るだけで死にます。

ベースキャンプに積み上げられた石垣が、かめはめ波を食らったみたいに弾け飛んだときには、もはや漫画の世界かと思った。


それでなくとも、困難なK2の登攀ルート。

そして、災害レベルの気象条件。

さすがの超人でも、これは厳しかった。

でも、彼はこの「全人類の壁」を乗り越えた。

UNITY(団結)という力で。


世界初の快挙!K2冬季初登頂へ

K2冬季登攀。

もともとは別々のネパール人登山隊でそれぞれこの難題に立ち向かっていた。

しかし、最終的にそれぞれの登山隊がひとつになり、新たなチームを結成し極寒の頂を目指したのだ。

もうひとつのリーダー、ミンマ・ギャルジェ・シェルパも、8,000m峰を13座登っているトップクライマー。

ニルマルのチーム、ミンマのチーム、まさにネパール・オールスターチームが力のすべてを結集させた。

そして、山頂直下では10人全員が揃い、最後はネパール国歌を歌いながら山頂に立った。

超人ニルマルは無酸素での登頂!

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ニルマルのTwitterより、写真と登頂の様子(動画) https://twitter.com/nimsdai/status/1353269945254162432


シェルパの強さ

これまでのヒマラヤ登山史を振り返ると、

そこには必ずシェルパたちの力が大きく存在している。

山岳ガイド、ルート工作、荷揚げなど、ヒマラヤ登山を支える彼らは、その多くが少数民族シェルパ(Sherpa)の出身。

高所登山に抜群に強さを誇り、高いリスクを背負いながら登山のサポートを生業としている。


私自身が、シェルパの強さを目の当たりにしたのは、

さきほど話をしたアマ・ダブラムでのこと。

40m/s以上の烈風の中、完全に山肌に閉じ込められた私たち。

まともに立っていられない状況下、なんと一人のシェルパがベースキャンプから登ってきたのだ!

重戦車のように、ジリジリと、そして確実に。

最初、豆粒のように見えたものが、人間だったと分かったときの驚きと感動は忘れない。

その彼、ミンマ・シェルパは私の命の恩人である。

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写真:左から筆者、ラクパ・シェルパ、ニマ・シェルパ、ミンマ・シェルパ


シェルパたちが登った意味

今回の快挙。

もちろん冬のK2に登ったことも大事だが、それよりもシェルパたちが自分の意志で登ったことに大きな意味がある。

登頂後にニルマルが語ったこと、

「ここで伝えたいことがある。世界は今、危機を経験している。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)、それにもまして、地球温暖化だ」

「大事なメッセージは、みんなが団結すればどんなことでも実現できるということ。だからこそ、われわれ10人は力を合わせてK2登頂を実現した」


これまでは、あくまでシャドー(影)だった彼ら。

ときに、雇い主から命を軽んじられ、差別もされた。

その彼らが仕事としてではなく、自己を表現するフィールドとして冬の頂でめいいっぱいの夕陽を浴びて、ついに自身の影を見つめるに至ったのだ。

ネパール人としての誇り。

山で命を落とした沢山の同胞の想いとともに。

彼らは手を取り合い、全員でK2の頂に立った。


シェルパの友人のひとりとして。

シェルパのいちファンとして。

心から拍手を贈りたい。



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私のヒマラヤ挑戦記録、マガジン「山、生きる。」で連載中です。

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