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ぼくと小熊千佳子さんでつくった写真集「POKALDE PEAK / AMA DABLAM」が、ADC AWARD 2024にて入選しました。 ADC(正式名称:東京アートディレクターズクラブ)は1952年に結成されたアートディレクションで歴史のある機関で、日本を代表するアートディレクター85名により構成されています。 この全会員が審査員となって行われる年次公募展がADC AWARDです。 ADC賞は、日本の広告やグラフィックデザインの先端の動向を反映する賞として、毎年国
平出和也さんと中島健郎さん。 2人がK2西壁で遭難したというニュースを見たのは、ちょうど生徒を引率しての十勝岳縦走登山から降りてきて、ほっと一息ついているときだった。 生徒を引率してのテント泊、足をくじいた生徒がいて、しかも夜半に雨風が強くなったので、かなり神経をすり減らしたが、無事に登頂を果たし、全員無事に下山できた。 そんな安堵感の直後、このニュースを見たのでショックが大きかった。 一緒に引率していた先生は、健郎さんと家族ぐるみで付き合いがあったようなので、余計に
残るは、まさしくケーキの名のごとく丸みを帯びた丘を登りつめるだけだ。 残念ながら、ピークはガスっており姿を望むことはできないが、本当にもう少し。 どれだけゆっくり登っても2時間あればモン・ブランのサミットだ。 モン・モディまでかなり飛ばしたので、体力は消費しているが、今ならピークまで行って帰って来れない事はない。 肩でしていた呼吸を少し整え、再び白い世界を歩き出す。 そこから大きく弧を描くように、コル(Col de la Brenva)を抜ける。 斜面の取り付きま
ジリジリと肌を痛めつける太陽。 絵の具で描いたような、青い空。 その二つに反射する眩い峰々、その麓でそよそよと揺れるトリコロールの三色旗。 2013年8月、新婚ホヤホヤのぼくと妻は、フランスのシャモニーに居た。 歴史ある世界有数のリゾート地に来て上機嫌の妻を前に、ぼくは別の意味で笑みが止まらなかった。 それもそのはず、約半年前から粛々と進められていた「新婚旅行、ついでにモン・ブラン」計画が、遂に実行の時を迎えたからだ。 実行に移す前に、皆さんに計画の詳細を説明しよ
いつか、本を出版してみたい。 本が好きな人なら、一度は誰しもが夢見ることではないでしょうか。 ぼくもその一人です。 星野道夫さんに憧れて、いつか、自分の写真や文章を一冊の本として出版してみたいと思っていました。 ”夢は言葉にすれば実現する。” そう信じて、「いつか本を出す」と言い続けてきました。 でも、そう簡単にはいきませんでした。 そもそも、誰が自分の文や写真に共感してくれるのか。 大事なことが抜けていた気がします。 ただ、文章を書くことは好きなので、ずっ
ヒマラヤのアマ・ダブラムの頂に届かなかったあの時から、10年が経った。 10年間、あの日登れなかった頂を越えようとしてきた。 この10年で、僕の身には大きな変化があった。 結婚して、子どもを2人授かった。 仕事が多忙を極め、身体も動かなくなってきた。 あれだけ近かった山が遠くなっていく感覚。 もちろん、ヒマラヤも。 だけど、山でなくともきっと別の高みはあるはずだ、と探してきた。 どこかにアマ・ダブラムはあるはずだ、と。 でも、未だ僕はアマ・ダブラム以上のもの
フィルムカメラを携えたはじめての山行。 どうしても行きたい山があった。 北海道の主峰、旭岳である。 今から10年前の6月に、ぼくは旭岳の山頂で妻にプロポーズをした。 この日のために、ぼくはサプライズで妻にもうひとつ指輪を買っていた(どうしてこうなってしまったかは、また別の機会に)。 プロポーズした瞬間、めちゃくちゃ良い雰囲気になったが、あとから登ってきた老夫婦の声で気が抜けてしまい、二人で笑ったのは良い思い出だ。 妻は10年目は来年だと言っていたが、ぼくは覚えてい
ぼくは山岳関係の書物がすきだ。 そこには、山と関わった人たちそれぞれの人生があり、ドラマがある。 でも同時に、読んでいて違和感を持つことも多々ある。 特に記録的な物差しで語られる山の世界は、どうも好きではない。 もちろん純粋に、すごいなぁ!と思うのだけど、それは彼らの記録に紐づく栄光や名誉に対しての羨望ではなく、より過酷な状況で「生」を発露する人間としての魅力に感嘆しているのである。 山岳会を頂点に、存在する山の世界のヒエラルキー。 登山という行為がそれ自体に意味
六花亭の包装紙のイラストで有名な画家、坂本直行(なおゆき)さん。 ”ちょっこうさん”という呼び名で親しまれた彼は、坂本龍馬の末裔でもある。 これは、ちょうど90年前の1931年5月22日に直行さんが書いた鉛筆書きのデッサン。 わが家には数点、直行さんの絵が飾ってある。 そんな直行さんが、北海道十勝の広尾村(今の広尾町)で、裸一貫で原野に飛び込み酪農をやっていた記録が2冊の本になっている。 「開墾の記」、そして「続 開墾の記」だ。 原野を切り開き、痩せ地に地力を与え
2021年1月16日。 世界中の山ノボラーたちの耳に、とんでもないニュースが飛び込んできた。 冬季のK2に初登頂!!?? 10人が同時登頂!!?? しかも登頂したのは、ネパール人チーム!!! これは間違いなく、登山史を塗り替える快挙だ。 K2冬季登頂がどれぐらい凄いのか??世界には8,000峰が14座ある。 世界一は、みなさんご存知エヴェレスト(8,868m)だ。 そして、世界二位の高峰が、K2(8,611m)である。 そのうち、K2以外の13座はすでに冬季
どこの山岳会にも属しておらず、山の先輩もいない、そんな素人山ノボラーの私が、勝手に山の師匠と崇めている女性がいる。 大学生の頃、私はバンド活動に夢中で、日常の中で山なんてかすりもしない生活を送っていた。 そんなときに、彼女と出会った。 小柄で整った顔立ちの彼女は、大学の一つ後輩。 ど真ん中!タイプの女性だった。 そんな彼女は大学のワンダーフォーゲル部に所属していた。 最初、ワンゲルと聞いた時に、僕は彼女がどんな活動をしているのか、皆目見当もつかなかった。 ワンダ
8月8日。 昨晩は原口家に大変お世話になった。 結局久しぶりの酒盛りで盛り上がり、ほとんど寝なかったため、4時半に起こされたときには、寝た瞬間に起こされた感覚で少しぼけーっとしてしまった。 そんな寝ぼけた状態の私を原口さんは扇沢まで送ってくれたのだった。 「すぐ近くだから」と言って、小一時間かけて笑顔で送ってくれた原口さん、つくづく親切な人だと感動。 心から感謝です。 扇沢からはトロリーバスで黒部ダムへ。 ここがかの有名な黒部ダムかと感心。 プロジェクトXの見
静かに手を合わせ、祈る。 遠い世界へ旅立っていった故人を想い、未だ苦しみや悲しみを抱えて生きる人々を想い、そして病と闘う彼女の父を想い、私は祈った。 心を無にして。 遠くにかすむ富士を望みながら。 隣で手を合わせる僧侶の念仏が、遠くに響き渡る。 自分の身長を足してちょうど3,000mを越える剱岳の頂は、太陽の光に満ち溢れていた。 霊峰剱の山の声、諸行無常の響きあり。 2011年。 この年、日本はこれまで経験したことのない未曾有の震災に直面した。 3月11日に
私が勤務している高校では、6月に1年生を対象に2泊3日の宿泊研修という行事が行われていた。 その主旨は、体験学習を通じてお互いの理解を深め合うというものだが、中身は完全に登山遠足である(今は違います)。 場所はニセコ連峰。 登山は2日に渡り行われるのだが、これが結構ハードな山行なのである。 私が1年生を受け持った2011年、この年は例年2日間ニセコでの行程を変更し、1日目は小樽にある塩谷丸山(629m)、2日目をニセコ縦走登山とした。 1年生の学年団は私をはじめ、山