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直行さんの教え

六花亭の包装紙のイラストで有名な画家、坂本直行(なおゆき)さん。

”ちょっこうさん”という呼び名で親しまれた彼は、坂本龍馬の末裔でもある。

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これは、ちょうど90年前の1931年5月22日に直行さんが書いた鉛筆書きのデッサン。

わが家には数点、直行さんの絵が飾ってある。


そんな直行さんが、北海道十勝の広尾村(今の広尾町)で、裸一貫で原野に飛び込み酪農をやっていた記録が2冊の本になっている。

「開墾の記」、そして「続 開墾の記」だ。

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原野を切り開き、痩せ地に地力を与えながら、苦しいながらも自然と向き合い、なんとか活路を見出そうとする「開墾の記」。

それに対し、「続 開墾の記」は戦時中の話で、冷害、貧困、過酷な労働が当時の世相とともに何重苦にもなり直行さんら家族を責め立てる。

「続 開墾の記」は、直行さんが亡くなって11年後に原稿が発見され、出版された本である。

ここに紹介するのは、マイナス30度近い極寒の夜に、直行さんが妻のツルさんと息子たちの将来を語る物語からの抜粋である。

戦時中に、日々の生活に困窮しながらも、ユーモアを忘れない夫婦の会話。

そして、本質をついた教育観と同じ日本人に向けた鋭い視線。

いち教育者として、大切にしたい。

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わが家には、直行さんが書いたバラの絵も飾ってある。

札幌にある直行さん縁の深い画廊で購入した。

こちらの作品は、妻のツルさんが高齢のため手放すまで、最後まで大切に所持していた絵だそうだ。

すてきな夫婦だな、と改めて思う。



六、わが家の教育問題

(前略)

「べらぼうに寒い晩だな。もっと燃やせよ」

私は外から樹氷が真っ白についた薪を一抱え持ってきてストーヴの前へ置いた。家内は背中にオーバーをひっかけて針仕事をしていたが、ストーヴに薪をいれながら、「父さんは子どもを大学までやりますか」

「なんだい、やぶから棒みたいな話だな」

実のところ私は少しぎくりとした。それは現実と理想があまりにもへだたっているからである。私はぞくぞくする寒気に、オーバーをひっかけて天井を見上げた。屋根のアカダモのつき柾(カンナでついてこしらえた柾)は古くなり、皆乾燥してそり返っているので星がちらちら見える。

「寒いわけだ。屋根の柾があれだ。星が見えるよ」

それに返事もしない家内は

「父さんはどう考えるんですか」

とはげしい追求である。

「うんそうだね。そんな事は炭焼のやせ腕では不可能な事だね。子どもたちにはすまない話だが」

「ではやりたいと思いますか」

「そりゃ経済がゆるせばね――出来るだけの教育はしてやりたいのが人情だよ。だが貧乏ならば仕方がないだろう。しかしね、牛飼いをやるというのなら農学校ぐらいは出してやりたいね」

「父さんは高等教育※を受けたんでしょう」

※直行さんは北海道大学農学実科卒

「そりゃそうだがね。――親としては生活の許す範囲で子どもの教育をするのが当然だろう。はじめっから子どもの教育に有利な商売をえらぶ人はないだろうね。それから言ったらこんな山の中での開墾なんかやる人はないだろうよ。昔はフロシキ包ひとつで北海道へ渡った人が沢山いたんだよ。――しかし負けおしみを言うわけではないがね、大学を出たってずいぶん馬鹿が多いよ。俺に言わせれば実力だがね。日本の社会では実力が買われないで遊泳術がものを言うんだから困る。こんな社会では国家の発展もないね。――しかし俺は子どもはのびのびと育てたいね。子どもの時は少し間がぬけた位のんびりしてた方がいい。都会の子どもによく見る小さなうちから口が達者でこましゃくれたませ小僧が大嫌いだ。第一めんこくないよ。その点は山の中はめぐまれてると思うよ。悠長に育つからね」

「父さんの言う事は本当だと思いますが、私は何よりも他人に愛される人間にしてやりたいと思いますよ。人に嫌われる人間くらい不幸な人はないと思いますよ」

「そうだ、それは本当だ。それに俺は生活力の旺盛な人間でなければならないと思う。青白い人間は役に立たない。それから人生に対して純情と情熱の持主にしてやりたいね。歳とともに熱情も色あせるような人間は駄目だよ。それにしても一番大切なのは馬鹿になってもよいから健康第一だ。体の弱い事は家庭全体の不幸になるからね。何をするんでも健康が資本だよ。俺は、健康は社会に対する何よりの責任だと思うね」

「うちでは皆丈夫だから幸福だと思いますよ」

「本当に一番の幸福だよ。それから――よろこびは共に分かち、悲しみは共に悲しむ人間でありたいね。これは平凡だが、一番にむずかしい事だと思うよ。ことに日本の社会ではね。自分と同じ幸福は他人にやりたくない、それと同時に他人の幸福はねたむ。不幸はあわれんでもらいたい。だが、一方では他人はなるべく不幸であってほしいのが日本の社会だ。これは日本の家族制度や封建的な社会組織の産物だろう」

「本当にそうですね」

「俺は健康第一だから、勉強しなかった」

「うまい事言って――」

「だから見ろ、体力では誰にも負けない自信がある。世の中は面白いものだよ。学校一のサボリ屋が今学校の先生をしている。そして言う事がふるってる。どんな巧妙を極めたカンニングでも直ちに発見するとさ」

「そして学校一の勉強家が百姓をやってると言うのでしょう」

「そうだよ、その通りだ――だが俺は落第はしなかったよ。成績が一番になるよりもしんがりになる方が技術的に困難だそうだ。失敗すると落第するからね」

「父さんはしんがりでしたの」

「俺にはそれほどの技術はないよ」

「父さんは教育を受けて一番有難いと思う事は何でしたの。私のうちは貧乏だったから何もわかりませんし。それだから子どもたちはよけい教育してやりたくて――」

「そうだね、有難いと思う事は――第一には親を有難いと思う。それ以外はまあ観察力と理解力くらいが一番に有難く思う事だね。だが社会に関しては全くゼロだ。これでは駄目だと思うが、これは教育法が悪いからだよ。そうなるとなんでそんな教育の仕方が生まれたかという事になるがね――やたらにむずかしい講義を三年間聞いたが、頭には何も残っていないよ。俺の頭の悪いせいばかりではないらしいね。農学だって実際農業から遊離した教育方法だからだよ。だから興味をもてないんだね。やたらに理屈のつめこみ主義でね」

「そんな教育なら私も不賛成ですよ」

「そうなんだよ――それいつだったか訪ねて来た客人がいたろう――繊維化学研究所員とかいう肩書のついた名刺を持って訪ねて来た人が……」

「そうそう、いましたね」

「あの人が亜麻畑の亜麻を見て、この可愛らしい花をつけた作物はなんですかと俺に聞くんだよ。俺はびっくりしてしばらくその人の顔を眺めていたよ」

「それで父さんは何と言ったんですか」

「それでね、あんたの名刺にはたしか繊維研究所員とあったはずですがね――これを知らんとは不思議だ。これは亜麻ですよ、と言ったら、穴があったらはいりたいという顔をしてね。実は畑に生えている亜麻は初めて見るんでね、とさ――つまり製品か繊維に加工されたもの以外に見てないと言うのだ。それが帝大出の工学博士だが農学士様だ。俺もびっくりしたが笑えないね。これは教育の大きな欠陥だよ。現在の教育は人間を作ったり社会や生産の為に役立てようとするのではなく、形式的な内容の空虚な、生活の手段のためだけあるんだね。そしてその人は亜麻を一本ほしいと言うのだ。押し花にして持ってゆきたいと言うので、お役に立つのなら一本でなくて沢山持ってゆきなさいと言ってやったよ」

出典:坂本直行「続 開墾の記」(1994)北海道新聞社P116〜122より

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