ノート


僕は小さな頃から大人が嫌いだった。
何をしても怒るし、何を言っても聞いてくれない。

大人はわかってくれない。

なんてノートの端っこに涙ながらに書いてたこともあった。
今にして思えば行き場のない、表現出来ない知らない感情を吐き出す場は、だいたいその時手元に転がってたノートだった気がする。

小説を書いてみた事もあった。

当時流行ってた恋愛小説も書いてみたし、冒険小説、はたまたミステリー小説に挑戦してみたり。
たいてい中盤までは書き進められるんだけど、知識不足で恋愛の表現が出来なかったり、冒険の結末が思いつかなかったり、密室殺人を書いてはみたものの、どうやっても犯人が密室から出てこられなかったり。
それぞれ予め分かっている、ぶつかるであろう壁に一直線にぶつかり、それぞれ少しは越えようとしてみるんだけど結局ダメで、ついぞ完成したことなんてなかった。

その時の感情や感性を、それぞれたまたま手元にあるノートにぶつけてしまうものだから、どこに何が書いてあるのか、自分でもわからなくなってしまう。
数学の授業中なんかに何気なくペラっとページをめくるとうっかり恋愛小説の書き出しにぶつかってしまって、1人でコソコソ赤面してたっけ。

艶やかな桜の舞い散る校庭で、僕はあの娘に心を盗まれたー。

この『僕』の人生は、偶然同じクラス、偶然隣の席になったあの娘と、特に満足に、言葉1つ交わせないまま、僕によって人生をほったらかしにされたままだ。多分一生ほったらかされているんだろう。可哀想な『僕』。

そんな国語や英語や地理の授業を繰り返して、気付けば僕は大人になっていた。

バイトを掛け持ちして家賃を払い、地元では有名なそれなりの企業に就職し、職場で知り合った2歳下の愛嬌のある女性と結婚し、元気な男の子が1人生まれた。

毎朝の通勤ラッシュと上司の理不尽な怒りに耐え、へとへとで家に戻ると暖かい食事とわんぱくな息子、妻の優しい微笑みが出迎えてくれた。

取り立てて裕福なわけではないけれど生きるのに困ると言う事もなく、ごくごく平凡な暮らしを幸せだと感じていた。幸せだった。

運動会のかけっこで1位だったのに転んでしまって、最下位になって悔しくて泣いている息子を抱きしめて、よく頑張ったと言った。

息子が反抗期を迎え家を飛び出し、方々手を尽くして必死に探し回って、繁華街のゲームセンターで平手打ちして、共に泣いた。

家族『サービス』と言う言葉が嫌いな妻と、たまに旅行し、温泉に入って美味しいものを食べ、共に眠った。

離婚届にハンコを押して、8畳1Kの部屋を借り、休日に1人で映画館に出かけて自分が発した言葉が、ふと耳に届いた。

「大人1枚」

そうか、いつからか僕は大人になってしまっていたのだ。



僕はどんな大人だったろう。

僕の嫌いだった、何も分かってあげない何も聞いてあげない大人だったんだろうか。
冒険や恋愛やミステリーに満ちた人生を送ってきたんだろうか。
あの日の僕はいったい何を思って小説を書いていたんだろうか。

暗くなった部屋の電気をパチっと点けて、テーブルにコンビニで買ってきたご飯とノートを広げた。

僕の人生も『僕』の人生も帰ってこないし、戻る事も出来ないけれど、あの日の僕が絵空見た願いが、今の僕が感じる想いが、何かこの世に生まれ出て、その存在を主張せんと叫んでいる。

わくわくする恋愛も冒険もミステリーもなかった僕。

得て失って何か気付いた僕。

何が変わるでもなく何を成すわけでもないけれど、大人が嫌いで大人になった僕が、いつかページをめくって赤面する日が来ますように。



僕は小さな頃から大人が嫌いだったー。

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