見出し画像

どうせ自分以外はみんなおばけなんだから、かまくらから出て話がしたい


4歳か5歳くらいの頃、「どうして自分以外の人間の考えていることがわからないんだろう」と不思議に思っていた。

私の話を聞いて笑っている父が、本当に楽しいと思っているのかわからない。いいよと許してくれる母が、どれくらいのレベルで「いい」と思っているのかわからない。自分の嬉しさや痛さはわかるのに、人のはまるでわからない。とにかく怖くて、「自分以外はみんなおばけなのかもしれない」と思い布団の中で夜な夜な震えていた。
お姉ちゃんにそれを相談すると、「ちょっと何言ってんのかわからんけど、あんた今日のお手伝いまだしてないでしょ。お母さん怒ってたよ」と言われて別の震えが追加された。

私が寝静まった後、私以外の"人の形をした生き物"が本来のおばけに戻る。ふう、やっと寝たね。楽しいフリをするのも疲れるよ、まったく。おばけたちが本音を話して笑い合っている。そう思うと今夜も怖くて仕方がない。

その怖さは形を変えて年々大きく育っていった。
親の思想、少し無視された中学時代、仲良しグループの謎ルール、病院実習の先生の一言、一家離散の危機、誰と付き合っても同じ結果になる現象、反対された結婚と説得した離婚、父の脳の難病。人生のあらゆる場面で「人の気持ちがわからない」ことは悩ましかった。数学IIIの問題集くらい、怖くて難解だった。

-- -- -- -- --

たくさん本を読んだ。たくさん歌を聞いた。たくさん人と話した。
頭の中に、言葉や名言が増えていく。ヒントになりそうなものはいっぱいあっていっぱい使ってみる。すると「なんで私の気持ちがわかるの」「人のことよく見てるね」「あなただけだよ、わかってくれるのは」とか言われて心のキノピオは誇らしげに鼻がぐんぐん伸びていく。褒められたので成功したらしいが、なぜか嘘をついた気分になる。自分の恐怖は解決しなかった。

30代半ばで、雑談企画『サクちゃん聞いて』の存在を知った。
自分の中の問題点はわかっているのに、どうすればいいのかわからない。そう思い悩んでいた時期にちょうど参加者の募集をしていた。金額に一瞬戸惑ったが、「ここがひとつの分かれ道なのかもしれない」と思い応募した。前の会社を辞めて無職状態だった私は、やたら背筋を伸ばして振り込みボタンを押した。

雑談の第一回目、慣れない手つきでzoomに入ると数年前にセブンルールで拝見したサクちゃんが、画面の向こうから私に話しかけていた。不思議な感じだった。
雑談の中で、サクちゃんが私の話をきちんと「聞いてくれる」。サクちゃんからいろんな質問が飛んできて「思考を掘り出してくれる」。私の中にある感情と、想像と、事実を「切り分けてくれる」。客観的に私を見た上で「私への具体的な提案をくれる」。

初回のたった数分で、この行為は金額以上の価値がある…!と心が震えた。(これは人によって感覚が異なると思う)

初回にサクちゃんに言われて刺さった言葉がある。
「人はみな感覚が違う、ということを知らなすぎる。」
自分から見た世界と他人が見ている世界が違うということを知らない。自分と他人の間に境界線がない。同じものを見ているはずなのに、なぜこんなにも違ってしまうんだ!とセルフで嘆いている。

この世には色んな人がいる。そんなこと私は知っているつもりだった。みんなちがって、みんないい。小学生の時に大好きな先生が教室に掲げてくれた学級目標。「みんなが違うからこそ助け合える」、そんなことを言って褒められた気がする。
びっくりした。私は、知らなかったのだ。

それからというもの、私は家族にも友人にもとにかく雑談企画の話をした。回を重ねて感じたことや生活の中で実験していることを話しまくった。
雑談企画で感じたことは、自分のことであるはずなのに驚くことばかりだった。今まで生きてきた世界の見方を変えるとこんなにもおもしろいのかという驚きでもはや笑ってしまい、人に話さずにいられなかった。
ある日、友人に「あなたは色んな人と仲良くなるのが上手くて色んな人と深い話をするのに、自分のことは全然わかってなかったんだね」「この世には色んな人がいるって知ってそうなのに、なんでそんなにびっくりしてるの」と心底不思議そうに言われた。なんだか照れた。

30年間ずっと怖くて、同じことを繰り返して、たくさんヒントをもらっていたからこそ、今このタイミングで全てがぐんぐん繋がっていく。新たな疑問が生まれるのでみんなに聞いてみたくなる。

今まで怖くて篭っていたカッチカチのかまくらは、自分を守るために一生懸命作り上げた努力の結晶であるはずなのに、少しずつ溶けていくを見て私はニヤニヤと安心している。
人生であまりにも同じ展開を繰り返すので、友人から「再放送かよ」と言われていた私もやっと胸を張って言える。私のことだから、きっとまた再放送をするよ。でも次の再放送は一味違うよ。楽しみにしていてね。

-- -- -- -- --


自分と人はこんなにも違うと思い知っている最中だからこそ、ふと思う。

本当に、私以外の生き物はおばけなのかもしれない。
今はその方がむしろ納得できる。そう思って生きていく方が、違いを尊重していける気さえする。

人の気持ちはわからなくて当然。
どうせ、自分以外はみんなおばけなんだから。
だからこそ、私は目の前のおばけの世界に触れたい。
どうしてそう思うのか、どうしてそう思わないのか、
おばけが見ている世界を知りたい。

根本的に違う私たちが、できるだけ一緒に存在できるように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?