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「普通」ということ

普通、という言葉が苦手だ。

「普通に考えたら〜」
「普通さぁ、」
「普通に〜」

こんな感じの響きが苦手だ。

普通とは何だろうか。
この場で言う「普通」というのは、「一般的には」とかそういう意味だろう。
でも、この「一般的」はあくまで『話者にとっての一般的』だと思う。

本当の意味での「普通」なんて、すべての人に共通する「一般」なんてないでしょ。

じゃあそもそも「一般」ってなに、という話な訳だけれど、
結局のところ

『多数決』

なのではなかろうか。 

『マジョリティーとマイノリティー』

なのではなかろうか。

世の中大抵のことは(というほど世の中を知っているとは言い難いが)結局これで片付けられている。気がする。
どちらが良いとか、悪いとかではなくて、どちらが多数か、少数か。
そして時に多数こそが正しいこととして語られがちな気がする。

社会問題にしても、そういうことは多々あると思うけれど、そのような大きな視点でなくても、この「普通」問題は沢山ある。

ここで当初の話に戻るのだが、私は「普通」という言葉から始まる話が苦手だ。

「普通」の後に続く話が自分の考えも及ばないことだったら、自分は「普通じゃない」ということになる。
被害妄想的だけど、「そんなことも考えつかなかったの?」と言われている気持ちになる。

自分でダラダラ書いた上述の考えに依るならば、それはたまたまその人と考えが違っただけで、マイノリティーとかそういう問題ですらなくて、ただ、ただ考えが違っただけなのだけれど。

でもちょっと傷付く。

ちょっと弱ってる。

「普通」とか「みんな」とか、大きな主語で決めつけるのは怖い。決めつけられるのも怖い。
自分だけでも気を付けたい。