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鬱々と夜

やるべきことに手をつけられないまま、流しの食器を片付けられぬまま、ふらふらと夜、外に出ることだけは毎日続けている。家より外のほうが言葉を紡ぎやすいから、俯いたまま画面に指を這わせている。暗い夜道は安心する、後ろからわたしを追い抜かすバイク。苦しくないようになら轢いてくれてもよかった。そんなこと言うと本気で悲しむ人間がいる。「誰にも愛されない」とわんわん泣いてたあの頃のほうが、素直に死にたくいられた。愛されるというのは心地良くて苦しい。ふるえるこころをあたためてくれるひとがいる。簡単に「死にたい」なんて言えなくなってしまった。簡単に死ねなくなってしまった。「生きて」と言うときの暴力性について、頭に入れておかなきゃいけないな。でもふいに、わたしを衝動的に、ベランダから突き落とそうとする影が迫ってきて、そういうときわたしはベランダに出て、下を見て、恐ろしさに身震いして引き返す。そうして必死でページを繰って、わたしを救う言葉を探す。この繰り返しでなんとか生きる。きみのために生きてる、きみのせいで生きてる。死にたいひとをゆるしてはくれない世の中で、生きていくことだけがまっとうなやり方で、わたしはどんどん、どんどん傾いてゆく。彼はあれだったかな。衝動的に屋上に上がって、下を向いて、一歩を踏み出せてしまったのかな。きみのことをだれもゆるしてはくれない。暴力的に、無責任に、他人事のように、ゆるしてあげたかった。生きていくことがほんとうに良いことなのかわからないけど。「生きる」と思っても足元が揺らいで、今日もベランダに出てしまって、ばかみたいに食べてしまって、自分のための涙は流れてくれなかった。自分を嫌いなまま、肯定できないまま、暗闇の中をふらふらと歩いている。こんな状態が平常になってしまって、鬱でも生きていけてしまって、結果として「ふつう」に見えてしまっている。はんぺんみたいな月が今日も美しくて、夜の冷たい風が指を鈍らせて、常に酩酊状態のわたしはふらついている。必ずくるらしいじゃんか朝は、別に希望でもなんでもないな。

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