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アニメ「メジャー」茂野吾郎のジュニア期から学ぶ、トーナメント方式の光と影


【目次】
1:始めに。
2:茂野吾郎というド主人公ここにあり。
3:与えられた環境でベストを尽くす選手とコーチ。
4:インターハイがあれほど「感動」する理由。
5:強いチームに選手が集まりやすい理由。
6:リーグ戦方式で救われる選手とコーチ。
7:最後に。

1:始めに。

題名にある「ジュニア期」とは、日本体育教会の資料には中学、高校の時期とありましたが、ここではリトル時代(小学生)も含ませていただきます。
あらかじめご了承ください。

2:茂野吾郎というド主人公ここにあり。

アニメ「メジャー」は、主人公の茂野吾郎(旧:本田吾朗)の少年野球(リトル)時代から、アメリカのメジャーリーグに挑戦し大活躍するまでを描いた野球アニメです。

23歳の僕がおそらく10年以上前から観ていたアニメを、大学院生になった今見返してみると、全く異なった見方、感情で観ることが出来ました。

昔はただ、当時の自分からみて年上だった吾朗の、どこまでもカッコよくビシバシ三振を取る姿に憧れていました。

今見返すと、常に負けらない状況で、身体を酷使し続けながら、ピッチャーとして躍動し続けた吾朗の姿に感情移入してしまったんです。

吾朗は最終的に160k m/hを投げる剛腕の左ピッチャーとして日本代表にもなった選手ですが、その選手生活は常に怪我に悩まされたものでした。

実は吾朗は、もともと右投げの選手でした。しかし、リトル時代から、大会を通して1人で投げ抜くことで(他のピッチャーを用意しても、必ずアクシデントが起きて、ピンチでは吾郎が投げざるを得なくなる)身体を酷使し続けた結果、

まだ成長しきっていないその身体に蓄積されたダメージが、リトル最後の大会で右肩を壊すという形で爆発。その後、2度とピッチャーとして投球できないほどの大怪我を負うことになります。

父親の勧めで中学では左投げに転向後、高校では甲子園に出場するために県内屈指の強豪、海堂高校との試合の際も、吾朗1人で延長12回まで投げ抜きますが、直前に痛めた足首の靭帯損傷が完治しないまま無理をして、その試合の後半年ほどリハビリ生活を余儀なくされます。

リハビリを終えたのち、アメリカのメジャーリーグに挑戦することになります。

3:与えられた環境でベストを尽くす選手とコーチ。

ここまでざっとあらすじをまとめましたが、ここまで全ての公式戦はトーナメント方式で行われており、「負けたら終わり」という状況でした。それゆえに、野球が大好きで、勝利に対して常にひたむきな吾朗の姿に心を打たれました。

特に、「体力的に限界+怪我が悪化している状況」でチームのみんなと勝利を掴むため、監督の選手交代の打診をも払い退けて結果を出し続ける姿は、スポーツマンとしてだけでなく、男として憧れてしまいます。

しかし、そこにはいろんな危険が孕んでいると感じました。
目の前の試合に全てをかける吾朗のポリシーが、全ていい結果に転じていないことはアニメを見ていた人にはわかると思います。

「大会で優勝をする」という目標のために「目の前に試合に全身全霊をかける」吾朗の性格は、高校時代にプロ入りを有望視されながら、「目の前の海堂戦にしか興味がない」という発言からも明らかです。

水は入れる容器の形に寸分違わず形を変えます。トーナメントというピラミッドの頂点を勝ち取るこの環境があることで、選手もコーチもその環境で100%力を発揮しようとする。これは至って普通のことです。

しかし、その容器の形はジュニア期の選手と、その選手たちをみるコーチにはとても歪で場合によっては、次の入れ物に対応できないほどの弊害を生む事になる危険を孕んでいます。

4:インターハイがあれほど「感動」する理由。

今のトーナメント環境があるおかげで、劇的で感動的な場面に出会えていることは事実です。チーム数の多い競技では、少ない日程で一気に1位を決めることが出来るのもトーナメントのメリット。

例えば毎年テレビの前で見る甲子園が、なぜあそこまで感動できるのか。

それは、連日の試合の疲れを感じさせないほどのハツラツとしたプレーの応酬があるから。その裏に満身創痍の中、負けたら終わりの崖っぷちでいろんなもののために戦う選手が山ほどいるからです。

選手が戦う「背景」が濃ければ濃いほど、私たちは感情移入してしまいます。
例えば。

「予選から1人で投げ抜いてきた」
「怪我を抱えながらプレーしてきた」
「38度の熱があったのに勝った」

これらが「美談」として語られてしまう背景には、様々なものがあると思いますが、選手ファーストの精神でないことだけは明らかです。

5:強いチームに選手が集まりやすい理由。

試合経験は宝です。トーナメントで甲子園の決勝戦まで戦うチームは地区予選から含めて、多いところでは14試合、短期間で実践的な経験値を獲得することが出来ます。

しかし残念ながら、大会を勝ち上がって経験を積めるかどうかはチームによってまばらです。ほとんどのチームはそれよりもっと、もっと少ない試合数で引退することを余儀なくされます。これは他の競技でも同じ。

つまり、もし県内でトップのチームに入らなければ自分の経験すら満足に確保できないという事実が、選手たちの選択肢を狭めてしまっていると思います。

「このチームに入らなければインターハイには出れない」

有望な選手はこういった言葉で勧誘を受けることは少なくないと思います。

大切なのは「インターハイに出ること」ではなく、「インターハイで同じくらい強い相手と試合をする機会を得られること」ではないでしょうか。

吾朗ほどの力があれば、県内屈指の強豪から野球部のないチームにわざわざ転向して、1からチームを作り上げ、県大会準決勝までコマを進めることになりますが。

そんな逆境を進めるほどクレイジーな選手は全国、どのチーム競技探しても、滅多に見つからないでしょう。笑

なぜなら、みんな将来がかかってしまっているから。

「一つの事に集中する事が良い事」という日本の習慣が拍車をかけているのかもしれません。一つの事にすがってしまっては、周りの大切な事、好きな事を逃してしまいがちです。

6:リーグ戦方式で救われる選手とコーチ。

トーナメント方式では1試合1試合を全力で戦う必要がありますよね、いくら選手の将来のためを思っても、その試合で負けてしまえば、それ以上の経験を摘ませることはできないですから。

もし同じようなレベル同士で、十分に経験を積むことができるほどの、試合数を確保できたら、選手たちはもっといろんな経験を積むことができると思いませんか。

コーチはもっといろんな選手を起用して、いろんなことを試す機会を得ることが出来ます。

いい意味で「頑張らなくてもいい」のです。それまでは目の前の1試合を見るしかなかった状況が、選手の将来を見据えたコーチングにスイッチすることができるのです。

今のままでは、選手もコーチも与えられた試合環境でベストを尽くしてしまうんです。そうです、尽くさざるを得ないんです。

これがトーナメント方式の光と影。

全ての物事にはメリットデメリットがあると思います。
リーグ戦にももちろんデメリットはあります。

全肯定、全否定するつもりは全くありません。
良いことと良くないことは往々にして同時に起こっています。

先ほども申したように、与えられた環境で全力を尽くす選手とコーチが最も大事で、報われるべきだと思っています。

7:最後に。

いかがだったでしょうか。

最近、リーグ戦文化について勉強する機会があり、いろいろな考えが頭を巡っていました。そこに最高に格好いい「茂野吾郎」という、いい意味でも、悪い意味でもトーナメントの影響を受けた選手の一生をのぞき見る機会があったので記事にしてみました。

ほんと、選手とコーチには何の罪もないんですよね。

でも、スポーツが好きで、大好きで、一生懸命向き合っている選手が怪我やプレッシャーに押し潰されて消えていく姿は見たくない。

大好きな銘苅さんの言葉で印象強いものがあります。

「コーチとして一番やってはいけないことは、その競技を嫌いにさせてしまうこと。」

とても心に残っています。

今日はこのくらいにしておきます。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

意見感想があればぜひ、コメントしていただけると嬉しいです。

では、お疲れ様でした。
今日も良い1日を。

森永浩壽




2022年の今、フルタイムで働きながら日本リーグ参入を目指すハンドボールチーム"富山ドリームス"の選手として活動しています。ここでのサポートは自身の競技力の向上(主に食費です...)と、富山県内の地域との交流に使わせていただきます。