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【両親と距離を置いてみて分かってきた生きづらさ】


千葉県の勝浦市で一人暮らしを始めて1ヶ月以上が経ちました。

正直最初はこんなコンディションで一人暮らし出来る?!食べれない状態で…って感じで生きる気力も無いままへたり込むように勝浦へ。

でもね、それはなんとなく分かってたけど、
両親と離れたら自然と改善した。

生きづらさ、その原因の一つは両親から押しつけられた「何もできない子」の役割。

そしてもう一つは今目の前にいる私を見ようとしない、見れない両親の目。

それに必死に対抗しようとして私の身体は摂食障害などの身体のサインを出した。
生存戦略だったんだと思うけど、それはほんとに命がけの闘いで本気で死にかけた。

もがいてももがいても抜け出せない水の中。
沈んでいく、窒息していく感覚だった。

家族間での笑いは兄の引きこもりが始まった20年前からとっくに消えていて、

母はずっと誰かにありのままを受け入れて欲しいと必死に生きていた。
そんな母は私を身体が弱い子、コミュニケーションが苦手な子として何でも私の代わりをした。
母の母(祖母)は過労とストレスで胃ガンで早くに亡くなったらしいが、そんな母の事を崇拝していた。

父は法律家としてルールを厳格に遵守して、人との関わりを出来る限り避け、目を合わせようとしなかった。
人との会話はこなしてるに過ぎなかった。
眉をひそめてご飯を食べてたのが印象的だ。

2人とも何かの対象物をシェアする、共同注視するということが出来なかった。

明らかに見てるものがズレてる。
どうしてそこを見てるの?私ここ見て話してるよ?なぜそこを見ないのか、分からない。

幼児が発達段階で出来るようになると言われている「共同注視」、あれが成り立たないのだ!!😂(いつからなのかと考えると怖すぎ)

そんな中で25年間も生きてこれた私に乾杯🍻
いやもうほんと理解あるお友達のおかげでしかないんですよね。

でも今でもたまに癖が出てしまう。
「何も出来ない子」の役割遵守。
演じてるつもりはないけど自然とそうなってしまう時がある。

それはもう、誰かの奴隷になるような感覚。
自分に選択肢がある事を忘れて目的も無く誰かに認めてもらおうと必死に生きてしまう。

誰のために?誰の人生を生きてるのか? 
分からなくなる。

(そもそも母親が私がやるべきことまでやってたから実際に同年代の子に比べていろいろとトロくて鈍い。それに経験が少なかったから人と同じものに興味を持って共感する事も苦手。悔しくけどそれが現実)

「私には無理」25年間浴びせられてきた呪いのことば。

いつも誰かが充実してるのを見ると私の中の私がささやく。

そんな時は「私にだって出来る。可能だよ。大丈夫!なめんじゃねぇぞこらぁぁあああ」
自分で逐一、言い直す。

孤独な作業だけどとっても大事な作業。
時間をかけて少しずつ認識の癖を取り除いていきながら実際に自分で出来る事を自分でやる。

私も出来ると自信をつけるために何をする?

私はやっぱりハワイへフラ修行をしにいくという目標を達成したい!!

今の夢はこれである、うん😌


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