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生き方を考えるために、逝き方を考える。

こんなにも身近にあふれてるのに、こんなにも語られることのないものって、ほかにあるんだろうか。

「死」について、最近考えてる。シリアスじゃなくライトに。だけど真面目に。

さいわい、と言った方がいいのかわからないけど、僕はこれまで自分が死に近づいた経験や、近しい人を亡くした経験がない。だから、あんまりこのテーマに向き合ってこなかった。というか自分ごとのように考えることができないことに、ちょっとした後ろめたさもあったりする。

だけど、生き方編集者を名乗っていて、「逝き方」について考えないのは片手落ちじゃん、と思うのだ。もんじゃのないお好み焼き屋みたいな。あれ?ちょっと違うか。

齢(よわい)31歳。ぽっこり出てきたお腹や走るとすぐもつれる脚という、この身体のままならなさに気づくにつけて、心のどこかで「そろそろ人生が限りがあるってことをふまえてあれこれ行動した方がいいんじゃないの」という思いが芽生えたのだと思う。

これは一度、ちゃんと「死」について向き合ってみよう。

……なんてことをTwitterでつぶやいたら、意外と「語りましょう!」みたいな反応があってびっくりした。「軽々しく扱うテーマじゃない」なんて言われるかと思っていたので。

たしかに今の僕に、「死」はあんまりリアリティがない。近親者に末期がんの患者はいないし、自分も自宅作業が多いので自動車事故のリスクは減った。
(先日、アニメ『日本沈没2020』を観て、どこにいようがなにしてようが災害で命を落とす可能性はあるよな、やっぱり、と思ったけど、一晩寝たら忘れてしまう。ああ、都合のいい脳みそよ……。)

が、そんな距離感だからこそ考えること、見えてくるものもあると思う。そんな思いがあったところに、Twitterの反応でさらに勇気をもらった。

死を怖がるためにではなく、生をたのしむために、死を考えたい。今はそんな気持ちなのです。





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