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編集者として、「バズ」ではなく「ケア」の感受性を持つこと。


「耳を傾けたいのは「メディアからは消されてしまう声」であるし、ロードサイドから聞こえてくる声である」

なんてことをこの前書いた

それは編集者として、情報の伝え手としての態度のことをさしていたけれど、都市開発やまちづくりの文脈でも「聞こえない声に耳を傾ける」という実践があるらしい。

そのことを知ったのは、この記事を通して。



記事では、「Community of Care(気遣いあうコミュニティ)」「Landscape of Care(ケアのランドスケープ)」といった実践が紹介されている。


「Community of Care(気遣いあうコミュニティ)」は、目に見えないところで助け合いや繋がりが生まれているコミュニティのこと。

そしてそれらは表には出てこないインフォーマルな活動であることが多く、そのためのスペースが都市開発で商業的なサービスにとって変わられてしまうことが起こりうる。

そうした事態を避けるために、コミュニティ内の助け合いや住民同士の繋がり、そのための空間などをオンラインの地図で場所に紐付けて共有・可視化できる「Invisible Care Map(目に見えないケアの地図)」というプロジェクトも生まれたそうだ。

(参考:「Landscape of Care 都市が人々を受け入れるためにできること - 壌(JYOU)」


また、「Landscape of Care(ケアのランドスケープ)」はオランダを拠点に活動するSlow Research Labが2018年から2019年にかけて彼らがモロッコで行った活動で、次のようなものだそう。


現場に入り込む参与観察や、インデプスインタビュー を行い、住民の意見に耳を傾け地域との関係づくりを、建築家・都市計画家・まちづくり実践者が共に時間をかけて行っている。「ケア」というスタンスをとることで、より広い視点で深く、また密接にリサーチ対象と関係性を築く。
(引用:「Landscape of Care 都市が人々を受け入れるためにできること - 壌(JYOU)」


今の政権は政策理念として「自助・共助・公助」を掲げているけど、近代家族が当たり前じゃなくなったなかで自助だけにたよるのは無理ゲー。公助にもそこまで期待できないとなれば、「ケア」の視点があるまちをつくこと・そこで暮らすことはすこやかな生存戦略なのだとおもう。

そして「ケア」の視点があるまちをつくるときに、「メディアからは消されてしまう声」にきちんと耳を傾けることができる存在として、編集者やジャーナリストやライターが活躍できる可能性もある。

編集者・ライターとして、「バズ」ではなく「ケア」の感受性と言葉を持つ人が、これから必要とされて来るんじゃないかしら。


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