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わたしたちは、希望の火を灯しあうことができる。「フェス開催」という目標の先に、はたなかみどりさんが出会った風景

夢や目標を口にすることは、こわいこと。
そして、そのこわさの先に、「自分の命を生きている」という感覚がある--。

2020年12月に公開したLifestories.のインタビューでそう語ってくれたのは、シンガーソングライターのはたなかみどりさん。当時、はたなかさんはこんな目標を教えてくれた。

「実は今は新しい目標があります。それは、『ap bank fesのようなフェスをつくる』っていうこと。…前のわたしだったら、『つくるのなんて無理だ!』と思っていただろうけど、今のわたしは『つくれるかもしれない』って思うことができてるんですよね。」

インタビューからおよそ1年後。はたなかさんは、自らが発起人となったオンラインフェス「ICHI FES」の開催を実現した。コロナ禍の影響もあり、当初想定していたリアルでのイベントではないかたちになったものの、ひとつの目標を叶えた今、はたなかさんの目にうつる景色はどんなものなのだろう。

目標を口にしたあとに待っていた、困難と、よろこび。
そして、目標を実現したあとに見えた景色。

それは、はたなかさん自身にとっても意外なものだった。

実現のイメージがわかなかった


小学校5年生のときから胸の奥にあった「シンガーソングライターになる」という目標を叶え、活動をはじめたはたなかさん(その経緯は、前回のインタビューにて)。そんな彼女のなかで、「フェスを開催する」というあらたな目標が芽生えたのは、友人のコーチングがきっかけだった。

はたなか:コーチングをやってる「げんちゃん」っていう友人に、コーチングをしてもらうことがあって。そのときに湧いてきたのが、「『apbank fes(※)』で『to U』を歌う」っていうものだったんです。でも、目標があまりにも大きかったし、『apbank fes』も次にいつ開催されるかわからなかったこともあって、なんか力が入らなくなってしまって。

「じゃあ、自分たちでフェスをつくっちゃえばいいじゃないか!」って、あるときひらめいたんです。自分の夢の舞台を自分でつくって、『to U』みたいな曲を自分でつくって、出演してくれた人たちと一緒に歌う景色を見てみたいな、って思ったんですよね。

そのコーチングの様子をインスタライブで配信していたこともあり、はたなかさんの思いを後押しする声も集まった。SNSでフェスの開催に向けてのプロジェクトメンバーを募集したところ、7名のメンバーが集まったのだ。

こうして、フェスの開催に向けての歩みが始まった。

しかし、順風満帆な船出とはいかなかった。

はたなか:呼びかけるところまでは勢いに乗ってできたんですけど、そのあとがめちゃめちゃ大変で。誰もフェスなんてつくったことがないし、イメージも漠然としてるところからのスタートだったから、話し合いの場を月に1回設けても、何も進まない日々が続いて。

そんな、ぬるっとしたスタートだったので、みんなもモチベーションが下がってしまったんでしょうね。ミーティングを開いても、私と夫のゆうやさん以外、誰も来ないこともあったんです。みんなが忙しいのもわかってるけど…あのときは、結構メンタルがやられてましたね。

「フェスを開催する」という目標を掲げて、半年ほど。はたなかさんのなかでも、実現に向けたイメージを持つことがむずかしくなっていた。

はたなか:2021年の1月頃って、わたし自身「実現できる」という感覚がなくて、正直。わりと暗黒期というか、「もうこのまま自然消滅しちゃうんじゃないか…」みたいな気持ちもありましたね。やっぱり、場所とか出演者とか、具体的なかたちが見えないなかで進めていくのって、すごく難しかったんです。

※apbank fes
音楽家の小林武史氏、Mr.Childrenの櫻井和寿氏、坂本龍一氏が拠出した資金をもとに2003年に設立された「一般社団法人 ap bank」が主催する野外音楽イベント。2005年から開催されている。「ap bank」から派生して結成されたバンド「Bank Band」の最初のオリジナル楽曲として制作された『to U』は、「apbank fes」のテーマソング的な存在として、フェスのトリを飾る曲。


開催に向け、覚悟が決まった



フェスの開催に向けてのプロジェクトは、暗礁に乗り上げたかに見えた。

しかし、次第に光が見えてくる。きっかけになったのは、会場と出演者が決まったことだった。

はたなか:千葉の「REWILD MUSIC FES CAMP」という、音楽フェスに特化したキャンプ場があるんですけど、2020年2月ぐらいにそこが会場に決まったんですね。それで少し実現のイメージが湧いてきて。

もうひとつ、、元「Goose house」(※)の竹渕慶さんの出演が決まったことも大きかったです。フェスをつくってたわたしたちからすると、竹渕さんに出てもらえるのってすごいことだったから、それでみんなのモチベーションが一気に上がりましたね。「もう本気でやるしかないね」って。そこから、少しずつ具体的な話をするようになりました。

会場と出演者が決まったことで、フェスの開催に向けて、プロジェクトは加速していく。

千葉県いすみ市で玄米菜食のカフェ、自然建築の宿など運営する「ブラウンズフィールド」や、東京の西多摩の山里で木こりのお仕事をしながらお茶づくりもしている「森のお仕事株式会社」など、出店者も徐々に決まり、6-7月にはクラウドファンディングで3,900,351円の支援を集めた。仲間も当初の7人から20人ほどに増え、「ICHI FES」の世界観を伝えるオンラインイベントを9回開くなど、活動は軌道に乗っていった。

はたなか:もう、逃げ道をつくれなくなったという感じかな。それまでは逃げ道をつくれたんですよ。わたしが「やらない」って言ったら、やらなくて済むわけですから。でもここまでくると、「自分だけのことじゃないな」みたいな。覚悟が決まった感じでしたね。

(※)Goose house
男女8人のシンガー・ソングライターが集うユニット、およびグループの活動拠点であるシェアハウスの名前。

途絶えそうになった希望


>フェスの開催に向けて集まった仲間たち。

フェスの開催に向かって熱量が高まっていくなかで、メンバーたちは大きな壁に直面することになる。新型コロナウイルス感染症の影響だ。

2021年8月には、愛知県常滑市で29日に開かれた音楽フェス「NAMIMONOGATARI(波物語)2021」で、マスクをしない観客が密集していたことに批判が集まった。こうした問題もあって、世の中のフェスの開催に対する風向きは、思わしくない方向に傾いていた。

はたなか:準備を進めていくなかで、フェスを開催することへの違和感がチームのなかにもあったと思うんですよね。本当に必死に準備をして、考える暇もないから、みんな目を背けていたんですけど。でも、なんとなく「このままでいいのかな…」っていう、違和感とか、罪悪感みたいなものを、たぶんどこかでみんな感じていて。

そんな違和感が、「NAMIMONOGATARI」が炎上したくらいのタイミングで、わたしのなかでも隠せなくなってきたというか。自分がここでなにか言葉を発しないと、違和感を違和感として持ったまま、みんなを突き進ませちゃうんじゃないかって、ふっと思ったんです。

そして、8月の終わり。はたなかさんははじめて、「中止と延期」という選択を考えたという。

はたなか:その日は今でもすごい覚えてます。家に帰る終電の中でした。別のフェスを企画してた方に、インスタグラムのDMで相談したんです。

そしたら「うちのフェスに専属でついてくれているお医者さんにも、9月、10月のフェス開催は厳しいと言われた」と言っていて。その返事が来たときは、希望が途絶えた感じがしましたね。「1年やってきたけど、もう無理なんだな」って。


オンライン開催という活路


一瞬、途絶えるかに思えたフェスへの道。
しかし、はたなかさんは活路を見出した。

はたなか:その日、なにかアイデアないかな、なにかアイデアないかな…って、深夜の終電に乗りながらずっと考えていて。で、ピンと来たんですよ。「あ、オンライン開催だ!」って。

そういえば、もともとこの「ICHI FES」のプロジェクトを始めたとき、オンライン開催も考えてたんですよね。だから、オンラインでの開催に切り替えられないかなって、その瞬間ひらめいたんです。

でも、リアルだからこその質感は生み出せないし、今つくっているものを全部やりなおさなきゃいけないし、出店者さんも呼べなくなるし、装飾などのメンバーは仕事がなくなってしまうし…。

いろいろと思うことはあったんですけど、やっぱりここで何かを残せなかったら、もう次の年にフェスを続けていくモチベーションはわたしたちには残らないだろうな、という気もしたんです。

決心したはたなかさんは、その後のミーティングで、オンライン開催の意思を伝えた。メンバーのなかには、「リアルでの開催を諦められない」という声もあった。

はたなか:伝えたら、メンバーの多くが泣いていましたね。やっぱりどうしても諦めきれないというメンバーもいましたし。だけど、「個人としては、オンラインということに納得ができているわけじゃない。でも、『ICHI FES』全体のことを考えたら、オンラインのほうがいい気がする。だから、やろう」って、言ってくれたんです。

オンラインでの開催が決定したのが、8月29日。フェスの開催予定日まで、あと1ヶ月となっていた。そこから、それまで準備してきたものの多くを白紙に戻し、新たにフェスをつくりあげる作業は、簡単なものではなかった。

はたなか:会場もオンライン配信用に新しいところを押さえて、音響も全部組み直して。もう、突貫工事みたいな感じでした。

開催に向けての準備も本当に大変だったし、やっぱりずっと「ICHI FES」を応援してくださっていた人たちにも、すごく残念な気持ちにさせてしまったんですよね。「オンラインになったから参加できる」という人もいれば、「オンラインなら参加しません」という人もいて。でも、カスタマーサポートのメンバーがすごく丁寧に、一人ひとりにメッセージを送って、頭を下げてくれて。

そんなふうに、みんな「なんとかかたちにしなきゃ」って思いながら、無理をしながら頑張っていた時期が、その時期でした。

目標を語り、応援しあう仲間


もともと「ICHI FES」は、はたなかさん個人の目標だった。だからこそ、プロジェクトが始まった当初は、ミーティングに誰も来ないこともあったのだろう。

しかしこのときには、もはや「ICHI FES」の開催ははたなかさんだけの目標ではなくなっていた。

はたなか:メンバーのひとりが、「最初はどりちゃん(筆者註:はたなかさんのあだ名)の夢を応援するつもりでメンバーに入ったけど、今では『ICHI FES』が自分の夢になってるよ」って言ってくれたんです。それがすごくうれしくて。

あるとき、コーチをやってる友達のげんちゃんが、メンバー一人ひとりにコーチングをしてくれて。そこでの気づきを経て、メンバーが「自分が『ICHIFES』でチャレンジしたいことはこれです!」って、宣言していくような流れも生まれたんですよ。

あるメンバーは、「自分がつくった舞台セットの上で、自分がつくった服を着て歌いたい」という目標を。またあるメンバーは、「『ICHI FES』の写真を撮って、それで自分の写真の個展をやる」という目標を。メンバーそれぞれが、フェスの開催に、自分の目標を重ねていった。

目標を語り応援しあいながらも、ときには「準備が大変だ」「自分が関わりたい形と違う」など、嘆きに耳を傾けあう仲間達。それははからずも、はたなかさんが「ICHI FES」で目指していた世界観に通じるものだった。

はたなか:もともと「ICHI FES」の「ICHI」という言葉に込めた願いが、4つあって。「『地球1個分の暮らし』を取り戻していくこと」と、「『市場(いちば)』のように人が立ち寄る集いの場であること」、「自分自身の生き方をもう一度はじめなおす一歩であること」、そして「今ここの位置から新しい未来をつくっていくこと」という願いがあったんです。

気づいたら、本当にそんな願いを実現できたような、それぞれが一歩を踏み出すことを応援して、一緒に未来をつくっていけるような関係性が生まれていたんです。

「こうやって声を重ねることができたのは、何年振りだろう」


迎えた10月2日。フェス本番を控えたはたなかさんは、最後まで大きな不安があった。

はたなか:もう本当に、直前まで怖くて仕方がなくて、前日もあまり寝れなかったんです。正直、運営のことはそこまで心配してなかったんですよ。でも、最後まで怖くて仕方がなかったのは、自分が演者の1人として舞台に立つことでした。

わたしからしたら、共演するみなさんはすごいアーティストさんばかり。そのなかで、こんな無名な自分が、フェスの主催者として、ちゃんと楽しんでいただけるようなパフォーマンスができるんだろうか…っていう、怖さがあったんです。

しかしひとたびステージに上がれば、そんな不安など感じさせない、「シンガーソングライター・はたなかみどり」の顔になる。自ら作詞作曲を手がけた『素直になれないひとのうた』や『たねの話』などの曲を披露し、画面のむこうにいる観客を魅了した。

(画像:はたなかさん提供)

はたなかさんは、「やっているときはすごく楽しくて、今できる自分のベストなパフォーマンスができた」と振り返る。

はたなか:印象に残っているのは、やっぱり、わたしが作曲したフェスのテーマソング『ひとつ』を、フェスの最後に、出演したアーティストたちと歌っている瞬間ですね。

あのときの感覚を言葉にするのはむずかしいんですけど…アーティスト同士で、目を見て歌ったんです。それが本当にうれしくて。たとえば、歌い手や演奏する人同士、一言も話したことがなかった人もいるんです。そういう人同士が、目を合わせながら歌ったり、演奏したりしていて。

10人ぐらいのメンバーが、ひとつになってる感覚っていうのかな。画面越しの人たちも、画面という境界線すらなくなって。顔は見えないけど「多分届いてるんだろうな」って信じられるような、不思議な感覚がしたんですよね。

共演したアーティストたちも、同じような感覚を持ったのかもしれない。竹渕慶さんの「こうやって声を重ねることができたのは、何年振りだろう」という言葉が印象的だったと、はたなかさんは語る。

はたなか:あぁ、本当にそうだ、と思って。以前は当たり前のように声を重ねてたけど、それって当たり前じゃなかったんだ、って。

とくに最近って、マスクがないと人とも一緒にいられなくて。表情も分かりにくいし、距離感が遠く感じちゃうような日常があるじゃないですか。でも、『ひとつ』を歌っていたあの瞬間は、そういう心の距離感が一気になくなった感じがしたんです。

なんかうまく説明できないんですけど…「人ってこんなに近かったんだよな」っていうのかな。そんなふうに、いろんなことを感じた瞬間でした。

はたなか:「あぁ、この時間が終わらないで」と思いながら歌ってた気がします。その瞬間をもっと味わいたいな、って、ただ思いながら。切なさもあるし、でもすごい楽しいし、充足感もあって。なんなんですかね。やっぱり言葉にするのはむずかしいな(笑)。

でも、「音楽を通してひとつになるって、こんな感覚か」って思いました。あとから、オンラインで聴いてた人に感想を聞いたら、不思議と同じような声があったんですよね。「本当にひとつになった感じがしました」っていう声がすごく多くて。「音楽って、すべての境界線を溶かす力があるんだな」っていうことをあらためて感じましたね。

今振り返っても、とにかく幸せな時間だったな。たった5分の、あの景色を見れただけで、1年頑張ってきてよかった。そんなふうに思えるくらい、わたしにとってすごく大きな時間でした。

10月2日・3日の開催で、のべ400人ほどが視聴したフェスは、こうして幕を閉じた。


フェスが、新しい生命になった


>路上ライブ中のはたなかさん。

2020年のある日に時計の針を戻す。はたなかさんはコーチである友人「げんちゃん」とのコーチングがきっかけで「 『ap bank fes』のようなフェスをつくる」という目標を思いついた。ただ、それを口にすることはとてもこわいことだったと、前回のインタビューで語っていた。

そのこわさを乗り越えて、目標を口にし、プロジェクトをスタートしたはたなかさんは、当初の想定とは違うかたちにはなったが、フェスの開催を実現した。

目標を実現した今、はたなかさんにはどのような景色が見えたのだろうか。フェスを終えて10日ほどが経った10月13日に話を聞いた。

はたなか:目標を実現して見えた景色かぁ…。多分いろいろあるんですけど、今振り返ってみると、最初はシンプルに「自分がその舞台で歌いたい」っていう思いで始めたんですよね。正直、それが満たされれば、1回開催できたらいいや、みたいな感じだったし。

でも、やっていくなかで、メンバーや応援してくださる皆さんやアーティストさん、みんなが仲間になっていって。そうするうちに、「『ICHI FES』を、みんなが帰ってこれる居場所だったり、みんなの夢が叶えられるような器として、どうやったらいいかたちで残すことができるだろう」って、だんだん自分のマインドが変わっていったんです。

なんか、フェスというものに命が吹き込まれて、ひとつの新しい生命みたいなものになった瞬間に、立ち会えた感じというか。不思議な感覚なんですけどね。

みんなが帰ってこれる居場所や、みんなの夢が叶えられるような器としてのフェス。音楽を聴いたり、ご飯を食べたりするだけではない、そんなフェスのあり方への手応えを、はたなかさんはつかんでいた。

はたなか:「ICH FES」で大切にしてたことのひとつが、「個の解放」と「全体の調和」でした。そもそも1人だけで、目標や夢を実現するのってむずかしいじゃないですか。だから「ICH FES」は、「個人」と「全体」が循環しあってるようなかたちにしたかったんです。人が集って、応援し合えたら、「個の解放」が進むと思ったから。

一人ひとりが夢を語って、それに対してみんなが「こういう人を紹介するよ」とか、「手伝えるよ」とか、自分のできる応援のかたちを表明して。その結果、一人ひとりの願いがかたちになっていく、みたいな場にしたくて。

私自身、やっぱり1人だったら目標の実現は難しかったけど、みんなが「いけるよ」「やろうよ」って言ってくれたことに背中を押してもらえたから。「ICH FES」は、わたしだけじゃなく、メンバーみんなにとってそういう場になったのかもしれないですね。


フェスが終わったから、自分が変わったわけじゃない


>路上ライブ中のはたなかさん。左はパートナーで自らもシンガーソングライターである高橋ゆうやさん。

目標を叶えて、はたなかさんの人生は大きく変わった…というわかりやすい物語を、話を聞く僕らは期待してしまう。けれど、実際にはたなかさんの口からは意外な言葉も出てきた。

はたなか:正直「ICHI FES」が終わっても、「自分が自分だということは変わらないんだ」ってことに、すごくがっかりしちゃった面もあったんです。

目標を宣言したときは、「これが終わったら、自分が変わってるんじゃないか」って思ってたんですけどね。でも実際、目標を叶えてみたら、次の日からファンがたくさん増えたわけでもないし、めちゃめちゃ歌が上手くなったわけではないし。「あ、意外と変わんないな」みたいな感じで、愕然としたんですよ。

目標を達成して見えた先の景色は、昨日までとあまり変わらないものだった。それははたなかさんにとって、ネガティブなことだったのだろうか。

はたなか:うーん、何て言うんだろうな…。ネガティブっていうより、そのことを受け入れるのが大変だった、という感じですね。

でも、よく考えたら、人生を振り返るとそんなことの連続だったなって。外から見たらすごい経験をしたときだって、別に自分は変わらないし、大事にしていることも変わらない。

だからこそ、大きな変化より、日々の小さな変化を見つめて、一つひとつお祝いしていくことが大切なんだなって思います。わたしにはそれしかできないし、それがリアルだよな、みたいな感覚をつかんだような気がしますね。


希望の火を灯しあう


フェスの開催という、ひとつの目標を叶えたはたなかさん。小さな変化を祝い続けた日々の先に、思い描いている夢はあるのだろうか。

はたなか:もしかしたらこれから変わるかもしれないですけど、最終的には暮らしとフェスが切り離されてない場所が欲しいなと思ってます。

大きな土地のなかに、フェスの会場があって、同じ場所でサステナブルな暮らしが営まれていて、学校みたいな学びの場もあるような。そんな場所で、「ICHI FES」が体現したい価値観がいろんなかたちで実現されていったらおもしろいんだろうな、って。ほんと、夢の最終形態みたいなものですね(笑)。

でも、やはり、「無理だよ」という自分の声も聞こえてくるという。「土地はどうするんだ」「お金ないでしょ」といった声だ。それでも、夢を語るはたなかさんの語り口からは、どこか夢が叶うことを信じているように思えるのだ。それはどうしてなんだろう。

はたなか:あぁ、たしかに。「無理だよ」って思っている自分とともに、やっぱりどこかで、「本当に願ったら無理じゃないよね」って信じてる自分がいるのかもしれないです。人間が本気で何かをやろうとしたら、絶対できるって、どこかで思ってるんだろうな。

ただ、一人で「できる」って思い続けるのって、すごくむずかしくて。そこには、一緒に取り組んでくれる仲間とか、思い出させてくれるコーチとか、応援してくれるファンの方達とか、そういう周りの存在が必要なんですよね。

自分が希望を捨てそうなときにも、誰かが希望を持っているということ。自分より自分を信じてくれる人がいるということが、目標や夢を実現するために必要だ--。そのことを、はたなかさんはフェスづくりを通して学んだという。

はたなか:ひとりの希望だったら、その人が失っちゃったらもうおしまい。だけど仲間がいれば、その希望の火が消えかかっても、別の誰かが灯してあげることができますよね。

目標や夢を見つけることが火を灯すことだとしたら、それを誰かに語ることは、その火を誰かにわたすこと。そうして火がゆきわたれば、誰かの想いの火が消えてしまいそうなときに、別の誰かがその人の火を灯すことができる。

ICH FESのテーマソング「ひとつ」に、こんな歌詞がある。

「ひとつひとつの声達から
新たな物語を始めよう
山も海も超えていけ
あの空も超えていけ」

はたなかさんが灯した小さな火は、山も海も空も超えて、今も誰かの胸を灯し続けている。

はたなかさんからのお知らせ


去年、600人を超える皆さんから応援を頂いて産声をあげたICHI FESが、今年も開催されることが決定しました! 出演者やチケットの情報は追ってお知らせします。お楽しみに!

◎日時
11/5(土)
開場11:00/開演11:45
終演予定 19:30

◎場所
京丹後森林公園スイス村
BEAT CAMP



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