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対話における「愛」が、癒しにつながる? -斎藤環 著・訳『オープンダイアローグとは何か』-

対話は手段ではない。それ自体が目的である。治癒は副産物としてやってくる。

朝からパンチラインに出会いました。斎藤環 著・訳『オープンダイアローグとは何か』のそでに書いてあるこの言葉。

「オープンダイアローグ」については、僕のnoteでも何回か触れさせていただきました。直訳すると「開かれた対話」。フィンランドの西ラップランド地方で開発されてきた精神科医療のアプローチで、大きな成果をもたらし、現在は日本をはじめフィンランド以外の国でも応用されています。

この考え方(オープンダイアログの第一人者であるセイックラ教授によれば、手法というよりも考え方なのだそう)のユニークな点は、冒頭にあるように「対話が目的」である点。患者の治癒が目的で、そのために対話の場を持つのではなく、対話によって症状や状況について対話のメンバーが共通言語を持つことが目的とされます。その結果として、治癒という副産物がついてくる、という考え方です。

そして、ここがとても面白いのですが、セイックラ教授はオープンダイアローグ においては、「愛」こそが癒やす要素なのだと説いています。

ここで言う「愛」は、ロマンティックな意味でのものとは違い、もうちょっと「家族愛」に近いもの。もう少しかみくだくと、「身体性」と「感情」を共有することで生まれる感覚です。

メンバーがその場に居合わせ、固有のかけがえのない身体を持ち寄って、対面しつつ言葉を交わすこと、身体的な反応として感情の表出を大切にすること(70頁)

こうした「身体性」と「感情」が共有されると、対話に参加したメンバーのあいだに愛の感覚が生まれ、それまで語られなかった言葉がつむがれはじめる。その言葉によってメンバーが癒されていく、のだそう。


そう聞いても、あまりピンとこないかもしれませんね。ただ、僕は思いあたるフシがあって。4月に開催した生き方見本市TOKYO(最近よく紹介してるな)では、多くの参加者の方から「あたたかい場だった」という声をいただきました。

おそらく、多くの参加者が生き方について何かしら悩みを抱えていたのではないかと思います(そうじゃなきゃ、なかなかこんなイベント参加しませんよね)。そして、「メンバーがその場に居合わせ、固有のかけがえのない身体を持ち寄って、対面しつつ言葉を交わし、身体的な反応として感情の表出を大切にする」ことによって、あの場はとても愛のある場になった。

だからこそ、参加してくださった方は抱えていた悩みが少し解消したり、自分のなかでヒントとなる言葉を見つけたりすることができたのじゃないかと思います。


セイックラ教授も、次のような「愛」の経験が、対話から癒しがもたらされるターニングポイントになると述べています。

意味を共有する世界に参加したことで生ずる、身体的な反応、つまり分かち合い一体となりつつあるという強い集団感情、あふれ出すような信頼感の表明、感情の身体的な表現、緊張が解け身体がくつろいでいく感じ(177頁)

こうしてメンバーが一体感を感じる時、一人ひとりのそれまで語られなかった経験に<声>が与えられ、メンバー同士で「この人のあの経験は、こんな意味があったのだな」と共通言語ができ、癒しがやってくるのです。


たしかに個人的に、生き方見本市TOKYOは「愛のある対話」に近い場だったな、という感覚はあるけれど、半日だけのイベントで築ける関係性には限りがあります。

だから、もう少し長期的に、対話を通して関係性をつむいでいき、お互いが生き方やキャリアを探求していけるようなコミュニティをつくれたら、と思っています。

さて、今日もモリッとがんばりましょう。


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