【254日目:毎日ご質問回答】思い出の場所ってありますか?
ご質問ありがとうございます。
思い出の場所は生まれ育った
静岡県浜名郡雄踏町宇布見の鶴ヶ丘団地の右側の坂の上り始めを右手に曲がった道の50mほど進んだ行き止まりから見える私が裏山と呼んでいた山と小川と沼と田んぼ、畑のあった場所です。生まれてからそこで近所の年を超えた友達と春夏秋冬の小さな自然の中で遊んでいた記憶が原体験です。
しかし、過去の記憶はその後の自分の成長で何度もラベリングされるものです。ついこないだまで、自然体験の記憶として私の脳内で保存されていましたが、それ以外の2つの意味合いも付加されています。
一つは喜怒哀楽の様々を表現できる仲間とそのぎゅっと詰まった小さな自然で遊んでいたという事実です。私はその後自分が人間にもかかわらず、自然環境を人間の手から守りたいという子供の頃に感じた純粋な思いを胸に数十年仕事にプライベートに生きてきました。そして、その動機があまりにもストイックすぎるので、仲間が見つけられないでほとんど一人で活動していました。数十年の間にここは自分の居場所になる場所に違いないと思って所属して実際に活動をしてみると、根本的に人間の経済活動から自然環境を守ることに繋がっていないのではないかと思われてきて、その活動、仕事を終えるということを繰り返してきたように感じます。
その中でも、小さな頃、仲間とぎゅっと凝縮した手触り感のある自然の中で活動したということは、その純粋な環境保全アクティビストから自然環境教育のファシリテーター、インタープリターへと活動を移行させる動機になりました。簡単に言うと、この活動さえしていれば自然は守られるなんて活動はないし、その考え自体が人間の力を過信しすぎていておこがましいと感じるからです。
例えば、自然環境アクティビストとして活動していた時のマインドは、SDGs(持続可能な開発目標)と大企業中心に盛んにメディアを通して言われていますが、その日本語名を言える人、その中身を正確に的確に把握している人がどれくらいいるのだろうかと考え、こんな活動目標意味ないのではないか?という思考になっていたと思います。
しかし、小さな自然環境で仲間と遊んでいた原体験を振り返れば、私の感覚ではその小さな自然の春夏秋冬を心の底からワクワクして楽しんでいましたが、同じ時間を共有していた仲間はまた別の認知の仕方で目の前の植物や昆虫や水辺に対峙していたはずです。ある時、イノシシに追いかけられて、大けが寸前のところで助かった仲間は、「イノシシ何て全部駆除してこの世からいなくなればいいのに」と今でも思っているかもしれない。
そうなんです。教育というのは学校の授業や教科書を思い出すので、何か画一的なものを学ぶことだと捉える日本在住の方が今でも多いと思いますが、私は自然環境教育を深く学ぶ過程で、そうか同じ文言を学んでも感じ方、捉え方は人それぞれであるのだという教育に関わる価値観が180度変わりました。ですので、大学の時にちょっと考えていた中学の理科や高校の生物の教師にならなくて良かったとつくづく思います。今では、ご近所さんとのお茶飲み話にも生きる力につながる教育的価値を感じることができるし、自分が思ってもみない形で目の前の方の役に立てたら、本望です。
ということで、純粋な攻撃的な自然を守らなきゃという活動家精神から脱皮出来て本当に良かった。大企業には大いにSDGsをメディアを通して、発信していってほしいと思っています。もちろん、間違った使い方をしている方がいれば、愛のある突っ込みをさせて頂きます。皆仲間です。
これは、マレーシアに約三年フィリピン出身でイスラム教徒であるアブラハムさんと住んでいた経験値が大いに役に立っているとも言えます。自然環境アクティビストにあたるものが、イスラム原理主義者であり、自然環境ファシリテーターやインタープリターにあたるものがアブラハムさんです。フィリピンは拳銃が許されている国なので、治安も悪いのは当然ですが、国民のほとんどを占めているキリスト教徒と少数派のイスラム教徒との間で戦争の様な武器を使ったやり合いが今でもマレーシアの新聞に載るくらい頻繁に起こっています。
私は事前知識でそのことを学んでいたので、アブラハムさんがフィリピン出身のイスラム教徒と聞いて多少身構えるところがありました。しかし、その考え方は在日中国人は犯罪者ばかりだのようなラベリング思考です。最も大切な相手個人と同じ釜の飯を食って、仲間になる過程により、アブラハムさんと今でも友情を感じる間柄です。何せ、イスラム教で絶対ダメなお酒をとことん飲んじゃうだもの。そして、小さな畑で野菜を育てているし、体を鍛えているし、いつも笑顔で「ジロ、元気か?」と声を掛けてくれるし、一日6回の礼拝を忘れても、全然気にしてないし、まあなんていうか、優しさの塊のような方です。
だから、私のその後は大手メディアの情報は半分以下で、地縁や何かしらの組織で出会った仲間との会話に価値を置いて生きています。それは、原体験の小さな自然の中で仲間と遊んでいた時のコミュニケーションと同じです。もちろん、深くつながれずにあまりやり取りしない間柄になってしまった場合もあります。しかし、その瞬間に言葉を交わしたこと、何かしらコミュニケーションをしたことに対し、その後どのような意味付けをするかは自分次第です。
そして、今は日本の超高齢化社会という感覚を地縁で知り合った人たちから感じ取り、活動を開始しています。それも私の感覚では価値観に関わる教育の延長線上です。社会をよくしたいと考える人たちとは私が歩んできた道で拾った価値観や経験値などの相性が良いので、気持ちよく活動しています。まあ、これから長く働けば、現実には色々なことが起こることは当たり前です。だからこそ、自分の過去のラベルを変えて、今の財産にすることはとても大切な作業です。アブラハムさんの息子さんはもう二十歳を超えているよなー。アブラハム一家の少しずつ作っていた家はもう出来上がったかな。また会いたいです。
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