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はなかっぱのことを陽キャの見るものだと思っていました

例えば にじさんじも陽キャの見るものだと思っています。

加えて、児童館、児童館で流行っていた「ワタル」(ワタリ?)という球技、個人戦のドッヂボールのような遊びも 陽キャのものだと思って恐怖していました。

正直に言えば、ミッケも陽キャの読み物です。
中学一年の初夏は、カッターシャツが半袖になることすら怖かった。
ジバニャン、アリエル、スマッシュブラザーズ、ドナルド、オフロスキー、彼らは暴力の手先です。

体が貧弱だったので、よく貧血を起こしました。小学2年生の私は、熱い熱い運動会の予行演習をリタイアします。保健の先生が私を校舎に導き、私たちはトイレを目指しました、しかしどうにも立っていられないのです。目に映る視界が二つに分かれ、もう片方は全体が緑色に、もう片方は青色の世界に見えます。その二つのスクリーンが揺れ、重なりうごめきます。しかしどうしてか頭は冴えているのです。先生が私を急かします、先生の認識以上に私は私の生命力が低下していることがわかっていて、絶望と焦燥とが頭蓋の内を駆け回ります。とうとう、歩いてトイレに向かう義務と体力との折り合いをつけられなくなり、私は廊下の恥のベンチに座りこみました。先生が私を叱咤激励します。私の心には、先生に対して、冷めた憤りの心がありました。

小学校に入る前、私は自分の片足跳びに格別の自負がありました。今でも変わらないのですが、四足歩行や回転行為(その場で回転する)、しゃがんだまま歩くことなど、変則的な人体の使用について関心があったのです。そして、誰に勝ったわけでもないのに、自信を育てていたのです。
小学校に入学し、体力測定があります、片足跳びという競技で、私はクラス最下位になりました。それが初めての挫折です。

小学一年生の時、隣町の小学校で練習しているサッカーチームの体験に行きました。本当は、母と父に連れて行かれました。
着いてすぐに後悔しました。
そこには、当時の私が最も恐れていた種類の少年がうじゃうじゃといたのです。
社交性と社会性を備えた少年たち。少年に特有の、攻撃的とも言えるあの活発さ、痛みを厭わない、暴言や悪言をも含むようなコミュニケーションが、何よりも苦手だったのに、本当に、そんな少年しかいないのです。
私はこのサッカー教室のルールを何も知りません。母と父がついて来てくれていましたが、何の助けにもなりません。保育園の時に一個下だった仲の良い男の子が私に挨拶します。一人ずつサッカーボールを持って来ているようで、彼は私にそれを見せました。同様に私もサッカーボールを持って来ていましたが、彼のそれは私のよりもかっこよく見えました。
人波を追って校庭にたどり着きます、体操をします、走ります、やり方はわかりませんが、真似をするしかありません。途中何度か、他の保護者と談笑している母に駆け寄って、泣きついてしまいました。しかし母は笑って、簡単に私をあしらいます。
私の孤独と、それに伴う途方もない惨めさへの恐怖が誰にも共有されることのない苦痛だと知って、確かにそれが初めての絶望でした。
列に並び、一人ずつゴールを狙ってボールを蹴ります。小学生のシュートがこんなに飛ぶものかと驚かされました。本当に驚きでした。宙に浮くボールは大人のものだと思っていたのです。地べたをころころと転がるボールなどありません。私は俄然緊張しました。ついに番が回って来ます。思い切り蹴りました。案の定、私のボールは校庭をのんびりと転がって、シュートが入ったかどうかも覚えていませんが、ただあの瞬間の屈辱だけが忘れられません。




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