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ライターコジマのしくじり事件簿|消えたキャッチコピー。

キャッチコピーがない広告を掲載してしまったことがある。もともとなかったのではなく、あるはずのものがなくなったのだ。校了までそれに気づかずに掲載された。どこに行ったワタシが書いたキャッチコピー。

入稿するときに、キャッチコピー部分の印画紙が版下から剥がれてしまったらしいのだ。もちろん色校正は出稿された。キャッチコピーがないままだ。それを見逃して戻してしまった。見逃したのはワタシだけではない。代理店もクライアントもみんな仲良く、だ。そのまま校了、掲載と…

最悪なのは、キャッチコピーがないことを最初に見つけたのはクライアントだったということだ。クライアントの担当者から電話で聞かされた。

「コジマ君。キャッチコピーがないよ」
「はい?どういうことでしょう?」
「いや、ないんだよキャッチコピー」
「あっ!」
「これ、広告じゃないよね…」
呆然として声が出ない。恥ずかしくて顔が熱くなった。

何が恥ずかしいって、校正で見落としたことじゃない。最初に見つけられなかったことでもない。なくなってもわからないキャッチコピーを書いたこと、違和感を感じないような広告をつくったことが恥ずかしいのだ。

結果、勤務先の制作会社が掲載費を負担して次号に再掲載した。もちろんキャッチコピーがある広告を。自腹を切ることも、クライアントから仕事を切られることもなかった。しばらくは、そのクライアントから「コジマ君は斬新な広告をつくるからなぁワッハッハ」と、いじられたけど。

版下から印画紙が剥がれることは当時、珍しいけどないわけでなかったそうだ。校正も、実はキャッチコピーのような大きい部分こそ見落としがあるという。それ以来、校正は大きいところ(キャッチコピーや写真、図表、ノンブルなど)から小さいところ(ボディコピーの固有名詞や数字、誤字脱字など)へ見るようになった。

「キャッチよし!」
「写真よし!」
「ロゴよし!」
工事現場の指差し確認のように声に出して読みながら。


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