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自伝的小説 『バンザイ』 第一章 東京少年


  まえがき

 この物語を書くにあたって決めたことがある。
 それは、『何が何でも書き切る』ということ。
 それも、二十代のうちにだ。

 僕は現在二十九才で、あと数ヶ月で三十才になる。
 三十才になってしまったら、色んなことがやりにくくなるかもしれない。つまらない大人になってしまうかもしれない。初期衝動のようなものを出せなくなってしまうかもしれない。ドントトラストオーバーサーティ、なんて言葉も存在する。「三十才以上は信じねえ!」なんて言われたら、ひとたまりもない。

 だから僕は、二十代のうちにこの物語を書いて、封印してしまおうと思う。今しか書けないことを、あと数ヶ月のうちに書いて、閉じ込めてしまいたい。

 内容は、僕の実体験に基づいた、音楽と恋愛の話だ。
 僕は完全なフィクションを書くことができない(少なくとも現時点では)。従ってこの話は、僕の自伝小説ということになる。全てではないけれど、半分以上は実際に起こった本当のことだ。
 空想や妄想だけ書いてしまったら、きっと嘘くさくてしょうがなくなる。そういう風に書く方もいるかもしれないが、僕には到底真似できない手法だ。
 だから、僕が書ける小説には限りがある。
 その中でも、とびきりのネタがこれだ。

 僕は別に小説家になりたいというわけではない。表現したいという欲の中の一つがこれというだけで、専業作家なんて絶対になりたくない。書くネタが三作目あたりで尽きるのは目に見えている。
 これが最後の作品でいい。
 僕は今現在就職をしているし、一生続けてもいいかなー、なんて、思ってしまっている。しかし、ただ働いているだけではダメだということに、最近気が付いてしまった。何かを表現していないと、僕はダメなのだ。

 そんなわけで、この物語を書くことにする。
 なんとしても二十代のうちに書き上げたい、というのが今の僕の気持ちである。

 音楽をやっているロクデナシや、毎日働き詰めで摩耗しきっている人たち、ニートや無職やダメ人間たちに読んでほしい。将来のことがまだ何もわからない、中学生なんかもいい。
 読み終えた時、もし心が動いたら、なんでもいいから行動してもらいたいと思う。
 そんな願いを込めて、この物語を書いていきます。

 あと二ヶ月半しかないけれど、この作品に僕の二九年全ての想いを詰め込みます。

 では、どうぞ。

  2017年10月09日


  1


 音の渦の中にいる。この瞬間がたまらなく好きだ。
 すべてを忘れさせてくれる。
 ドラッグなんか無くてもぶっ飛べる。
 このまま、この気持ちのいいまま死んでしまえたら、どんなにいいだろうか。
 未来なんかいらない。
 平凡でつまらない日々がいつまでも続くくらいなら、いっそこのまま、わけもわからずくたばっちまった方が、何万倍もマシだ。

 この下北沢のライブハウスは、中音があまり良くない。ボーカルの声も、ギターの歪んだ音色も、自分のバスドラムの音も、全然聴こえてきやしない。しかし、そんなことを気にするのはリハーサルの時くらいのもので、本番中に中音がどうだとかは一度も思ったことがない。思う暇がない。本番中に、中音が云々かんぬんと文句をつける輩をたまに見かけるが、そんな奴はくたばっちまえと思う。そんなこと気にしてステージに立ってんじゃねえよ、と。

 ステージの上っていうのは、現実とはかけ離れた場所で、何もかも自由で、自分たちのすべてをさらけ出してもいい、唯一の場所なんだ。いちいち中音を気にして演奏しているようじゃ、見ている側もつまらないだろう。現にそういった類のことを言っているバンドは、おもしろくもなんともないことが多い。
 ライブっていうのは、命を削っていなきゃダメなんだ。そうじゃないとおもしろくない。
 だから僕は、ライブ中に笑顔になっている奴が嫌いだ。見たいのはそんな表情ではなく、今ここで死んでも構わないという、必死の形相なのだ。


 最後の曲終わり、僕は立ち上がってクラッシュシンバルを何度も何度も叩いた。メンバーと顔を見合わせ、最後の一発を決め、スティックを頭上に投げ飛ばす。ギターのハウリングと、ベースの唸るような低音が響く。
 僕は椅子にもたれかかるように倒れこんだ。心臓の音が耳元で聞こえる。上手く呼吸ができない。汗で全身がずぶ濡れになっている。

 しばらくするとフロアにBGMがかかり、僕らに出番の終わりを告げた。このままこの場に留まっていたい気持ちをぐっと堪え、ぐっしょりと濡れた身体で立ち上がり、機材の片付けを始める。後ろに次のバンドが控えているのだ。


「お疲れ様でーす。いやー、すごかったですね」

 次に出番のドラマーが、スネアを抱えながら話しかけてきた。

「いやー、どうもどうも。すみません、すぐ片付けますんで」

 汗が木屑まみれの床にポタポタと落ちる。
 額をTシャツの袖で拭いながら、急いでパスドラムからペダルを外す。

「あー大丈夫ですよ。自分機材少ないんで、ゆっくりやっちゃってください」

 言葉とは裏腹に、ソワソワしている様子だ。

「いやーすみませんね、どうも」

 こんな短い会話が、毎度転換の時間に交わされる。なんだか大人の立ち話みたいで、僕は好きじゃないのだけれど、バンドにも社会やルールがあるので仕方がない。
 本当に自由に好き勝手やっていいのは、本番中だけなのだ。

 機材を両手で抱え、低いステージから飛び降りる。客席の真ん中を通って楽屋へと向かう。

「お疲れっすー、よかったやん、軟弱金魚」

 と、受付のブッキングスタッフに声を掛けられた。

「あー、お疲れ様です。いやー、ありがとうございました」

 ガヤガヤとした受付付近で短めの挨拶を済ませ、僕は足早に楽屋へと向かった。一刻も早くこの抱えた機材から解放されたい。
 エレベーターに乗り、五階のボタンを押すと、荒々しい音を立てながら上昇していく。ここは誰もが知る老舗のライブハウスで、ビルは相当古くなっている。

「疲れたー」

 思わず一人呟いた。心臓のBPMはまだ高い。

 この後はトリのバンドの演奏がある。僕らは今日四番目だった。ブッキングライブは大体四、五バンド出演で、何人呼んでくださいというノルマがあり、足りなければその分のお金を払う、という仕組みだ。
 ちなみに僕らは、毎回お金を払って出演している。

 対バンの演奏は、観たり観なかったりする。カッコいいバンドは観るし、ダサいバンドは観ない。一発の音でいいか悪いかはわかる。カッコいいバンドなんてそうそういなるもんじゃないから、見ない場合がほとんどだ。カッコ悪いバンドとは、別に仲良くしようとも思わない。馴れ合いなんて真っ平だ。馴れ馴れしく話しかけたり、ヘラヘラとお世辞を言い合ったりするなんて、僕には考えられない。そんなのは会社や職場でやってくれ。
 カッコいいものはカッコいい、カッコ悪いものはカッコ悪い。それだけで十分だ。

 とにかく僕は、カッコよくありたい。生き様も、演奏も。ダサい奴には死んでもなりたくない。もしそんな奴になっちまう未来しか残されていないとするならば、僕はその場で、舌を噛み切ることを選ぶ。


 楽屋から受付に戻ってくると、トリのバンドの演奏が聴こえてきた。受付付近にある小さなブラウン管のモニターに、ステージの映像が映っている。

 やっぱり思った通りだった。

 僕は踵を返し、ビルの階段から外に出て、近くのコンビニへと向かった。汗で濡れた服がぬるい風に冷やされる。
 出番終わりに次のバンドをチラッと見て、ライブハウスを後にし、びしょ濡れの身体のままコンビニへ行き、路上で一人酒を飲む。それがお決まりのパターンだった。

「コンビニー? 俺も行くよ」

 と、駆け足で近付いてきたのはベースのホシくんだ。

「ホシくんさー、今日結構ミスりまくってたべ? ラストとか全く合ってなかったじゃん」

 活気に溢れた下北沢の街並み。その雑踏に負けないよう声を張る。

「いやー、ごめんごめん。なんかテンション上がっちゃってさー。でも、今日も楽しかったね」

「ごめんじゃないよ、まったくよー」

 ダメ出しをしても、いつもこの調子でかわされてしまう。マイペースでのんびり屋。そして謎にポジティブでアホな彼には、度々困らされていた。
 
 ボーカルのクボタと高校の同級生で、一緒に音楽をやり始めてから、長い時間が経過している。彼はもともとボーカル志望だったらしいが、そのボジションをクボタに取られてしまい、仕方なくベースを弾きはじめた。

 彼の使っているベースは、人から譲り受けたもので、値段は一万円くらいだそうだ。わかりやすく言うと、高校生のバンド少年が初めて親に買ってもらうような、初心者セットによく使われている代物。それを一度も浮気することなく、この数年間使い続けているという。

 そして彼は、音楽センスというものが皆無だ。本当に簡単なことしかできない。ベースラインを考えることもなければ、オルタネイトピッキングもできない。常にコードを上から下に弾くのみだ。下から上は弾くことができない。難しい事は一切やらない。
 まぁそれはそれで、パンクっぽくてカッコいいのかもしれないけれど。


「金ないでしょ? 奢るよ。何がいい?」

 コンビニの大きな冷蔵庫の扉を開けながら聞いた。

「まじで? ありがとー。いつもの梅酒でいいよ」

 彼はお金もあまり持っていない。
 二十三才の誕生日を機に実家を追い出され、今は都内で一人暮らしをしている為、常にカツカツの状態だ。バイトはしているが、そんなに稼いではいないらしい。更には大のギャンブル好きで、俺金があってもすぐスロットやらに使ってしまう。

 実家暮らしで、そこそこ金に余裕のある僕は、こうしてよく奢ってあげている。金には無頓着だし、自分だけ飲むのは気が引ける。なんだかんだ言ってホシくんとはウマが合うので、二人で話すことが多い。路上が僕らの居酒屋みたいなものだった。

「あーでもさ、対バン見なくていいのかな? 次ラストでしょ? なんか少し人気みたいだよ」

 身体に悪そうな安タバコをふかしながら、ホシくんが言う。

「そうなの? まぁでも大丈夫だよ、全然カッコよくなかったから。有名だろうがCD出してようが、ダサイもんはダサイんだよ」

 僕はそう言い放ち、安い発泡酒を一気に半分ほど飲んだ。

「そっかあ、じゃあ見なくていいのかな。うちらも早く売れたいねー」

「売れるよ絶対、近いうちに。俺がいるから大丈夫だよ」


 根拠のない自信があった。何故かはわからないけれど、それだけを頼りに生きてきたようなものだ。

 高校一年の時にドラムを始めてから、もう八年ほど経つ。やっていない時期もあったが、なんだかんだ続いているし、ドラムという楽器が単純に好きだ。僕はとにかくガムシャラに力強く叩く。笑顔なんてものは決して見せずに、持っているものを全て出し切るつもりで。技術はともかく、気合だけなら誰にも負ける気がしない。

 たまにスティックをクルクルと回してカッコつけてる奴がいるが、ああいうのは論外で、むしろクソダサいと思う。僕は絶対にやらないと決めている。全力で叩いていたら、そんなことをする余裕はどこにもない。僕は本気で叩いてないです、と言ってしまっていようなものだ。


 軟弱金魚というバンドは、元々クボタとホシくんが高校の友達同士で組んでいたグループが解散し、その後に結成されたものだ。

 彼らは高校の終わり頃からオリジナルソングを作り、ライブハウスで演奏をし始めていた。同時期にコピーバンドをやっていた僕らは、たまたま彼らと対バンし、ド肝を抜かれた。同い年であんなに本格的でカッコいいバンドは、観たことがなかった。

 高校を卒業し、晴れて自由の身となった彼らは次々とライブをこなし、少し有名な企画にも参加したりしていた。カメがギターとして加入したのはこの頃だった。四人になって更に迫力が増し、パワーアップした彼らは、もう怖いものなしという感じだった。
 僕はバンドメンバーであったアツと、ハラワタが煮えくり返る思いでそれを観ていた。

 しかし、そんな日々も長くは続かず、活動が惰性になり始めた頃、ドラムが脱退し、バンドは解散することになる。

 そして新しくできたのが、軟弱金魚だ。
 彼らは当時、ドラムを募集していた。僕はそれをホームページの掲示板で知り、コンタクトを取った。僕のバンドもたまたま同時期に解散していたからだ。バンドが無くなり、とても焦っていた時にこのニュースを知り、すぐさま飛びついた。
 そしてクボタから返事がきた。

「オーケー、売れようぜ」

 こうして僕は軟弱金魚に加入した。……まではよかったのだけれど、いざ入ってみると、外から見ていたイメージとは大きくかけ離れていた。

 当時、ドラムが抜けたばかりということもあり、バンドの士気が下がりに下がっていた。練習はグダグダだし、ノリは高校生のまんまだし、指揮を取る者もいなければ、上を目指そうという気配すら感じられなかった。
 そんな雰囲気が大変気に入らなかった僕は、すぐさまそれをぶっ壊しにかかった。

 週一回の練習を二回に増やし、課題曲を決めてコピーしてみたり、ホシくんにピッキングを教えてみたり、話し合いの回数を増やして、バンドの話題を積極的に振ってみたりと、とにかく思いつく限りのことは全て行い、なんとかバンド全体の底上げを計ろうとした。

 その結果、少しは意識や雰囲気の変化があったものの、根本的には変わらず、今も仲良し高校生ノリが続いてしまっている。

 クボタははっきり言って天才だ。歌声も作る曲も、売れているバンドに負けない素質がある。外見はダサいけれど、奴には立派な華がある。ボーカリストとして必要不可欠なものを、彼は充分に持っていた。この才能を最大限に活かせば、絶対におもしろいことになる。僕はそう確信していた。

 しかし、僕らは今ひとつ伸び悩んでいた。その原因を作っているメンバーを一人挙げるとするならば、それは間違いなくカメという人物だ。
 カメのギターは悪くない。音に迫力があるし、弾きざまも激しく、様になっている。だが、それだけと言えばそれだけだ。実力的には、歌いながら弾いているクボタとそう変わらないだろう。ギターが二本あるにもかかわらず、それをほとんどを活かせていない。

 ただのパンクバンドならそれでもいい。だがクボタが作る曲の中には、激しいものもあれば歌重視のものもある。曲を引き立たせるギターソロや、雰囲気にあったエフェクトなどが必要になってくる。

 しかしカメにはそれができない。ギターを練習したり、新しい機材を買ったりすることもない。何を言ってもなんとなく流されてしまい、一向に変わらない。上モノのギターが変わらないと、バントサウンドは大きくは変わらない。楽しくやれればいいのかもしれない。でかい音が鳴っていれば満足なのだろうか。

 クボタはそんな彼を責めることもない。むしろわざと同じノリをしているよう見える。真剣に音楽と向き合うのが怖いのかもしれない。しかし、バンドは遊びでやっている訳じゃない。何よりも上に行くことを目指すべきだ。

 このままダラダラと年を取るなんて、考えられない。
 あと二年以内に結果が出なかったら、僕はすっぱりと諦めるつもりだ。好きなことやれてていいよなー、なんて言われるのは今のうちだけで、このままオッサンになってしまったら、本当に笑えない。
 元々僕は、生きることに執着がない。いつ死んだって構わない。むしろロックスター達と同じように、二十代のうちに散ってしまいたい。ジジイになんかなりたくない。だからこそ、このままではダメだなのだ。早くしないと、売れないままオッサンになってしまう。

 メンバーをなんとか僕の色に染めてしまえたら、このバンドはすごいことになるはずだ。間違いなく革命が起こる。音楽業界だって動かせるかもしれない。悪者になってもいい。必要ならばそんなもの、いくらでもなってやる。すごくなる為だったら僕は、何を犠牲にしても構わない。本気でそう思っていた。

 

 朝八時五分前。店のドアを開けると、ハルさんが受付前の赤いソファーでイビキをかいていた。いつものことだ。店内には小さくJポップが流れている。

「おはようございまーす」

 と、少し大きめの声で言ってみた。メッシュキャップを被ったハルさんの身体が、微かに揺れる。
 受付内に入り、日報の計算をし、レジの残金を確認する。売り上げはボチボチ。レジ金は八万ジャスト。計算はピッタリだった。

「んあー、寝てた。完全に寝てしまってたわ」

 大あくびをしながら、ハルさんが勢いよく起き上がった。

「あ、レジ金オッケーです。なんかありましたか?」

「いやー特に何も。深夜に学生が来て、ずっとロビーで騒いでたから、爆音&極寒で撃退したわ」

 ケタケタと笑いながらそう言う。
 店内でかけるているBGMの音量と、冷房の寒さと風量をマックスにしたという意味だ。そんな状況で居座り続ける奴らは案の定いないらしく、負けたことがないと言う。
 ハルさんはいつの間にか商品のスティックを持ち、パタパタとパットを叩いていた。

「またですか? 本当よくできますよねそんなこと。俺怖くて絶対無理っすもん」

「だってうざいじゃん。まぁ大丈夫っしょ。爆音にしても極寒にしても、わざとやってるなんて絶対思われないから。まぁ思われたとしても、俺には関係ないけどねー」

 と言いながら、またケタケタと笑った。

「じゃあちょっとドラム叩いて帰るわー」

「はーい、何スタですか?」

「うーん、5スタで」

 そう言いながら、ハルさんはスティックだけを持ち、5スタの中へ吸い込まれていった。


 ここのスタッフはタダで練習ができる。と言っても、社員には内緒で勝手にやっているのだけだが。
 スタッフ割引もなく、時給も最低賃金なので、個人練習くらいはタダでいいだろうと、先人のスタッフたちがルールを設けたらしい。僕らはそれに従っているだけなので、何も悪いことはしていない。ただ、社員や社長が突発的に来ることがあるので、その時はスタッフ一丸となってバレないように協力し合う。
 そんなことを毎日のようにやっているせいか、スタッフ五人は全員仲がよかった。

 スタジオで働くという行為に、最初は抵抗があった。好きなことを仕事にしてしまったら、嫌いになってしまうんじゃないかと思ったし、客や店員もみんな、恐ろしい人しかいないんじゃないだろうかと思っていた。面接をしている時は両足がガタガタと震えた。
 しかし、いざ働いてみるとそんなことは全くなく、みんなやさしく、おもしろい人達ばかりだ。少し変わった人が多いけれど、それもまたいい。やってみなけりゃわからないもんだ。世界はそんなに悪いもんじゃないのかもしれない。


 日報を本社にファックスし、売上げを金庫にしまう。これで朝の仕事はほぼ終わったようなもの。あとは電話対応と受付をしていればいい。部屋の掃除は深夜に行う為、朝番は比較的楽である。

 ここは少しマイナーな駅だが、部屋数が多く、二十五畳の大部屋とレコーディングスタジオもあるので、来客はそこそこ多い。知る人ぞ知る隠れ家的スポットといったところ。有名なバンドも結構練習に来ていたりする。

 働き始めたばかりの頃は、そういう人達が来るたびにドギマギしていたが、三ヶ月もすると慣れてしまい、だれが来ても普通のお客さんとして見ることができるようになった。だからお客さんに声をかけるということはない。
 ただ一度だけ、有名なAV女優がギターを持ってこっそりと来ていた時には、「いつもお世話になっております」と、小さくお辞儀をしてしまった。不可抗力だった。

 そんな例外はありつつも、基本的には誰も特別視はしない。有名だろうがなんだろうが、結局は同じ人間なのだ。カッコいいのはステージ上だけで、だいたいのバンドマンが質素だし、普段はさえない暗い人間である。派手でゴリゴリな体育会系バンドマンは、もうほとんど居なくなってしまったみたいだ。


 電話が鳴り予約が入る。朝の個人練習をしに、ポツポツと人が来始める。昼間になるとパック料金で練習ができる為、バンドが増えてくる。その前に近くのコンビニに行き、朝飯兼昼飯を買い、レジカウンターの中でモソモソと食べる。基本一人体制で休憩はなし。朝八時から夜八時まで働き、夜番の人が来て交代。店は二十四時間営業。労働基準法などは完璧に無視している、このアバウトな感じがいい。
 客は基本的にバンド練習半分、個人練習半分。そして社会人半分、学生半分といった感じだ。近くに頭のよろしくない大学があるせいで、たまり場のようになっていて、慣れるまではよく殺意が芽生えていたものだ。

 大学生のバンドなんて、九十五パーセントはコピーバンドだ。そしてその中の、九十五パーセントがチャラチャラしている。男女混合バンドなんてザラにいる。しかもその大半がバンド内恋愛をしているときたもんだ。
 ロックに恋愛を持ち込むんじゃねえよと思うし、コピーバンドで一体何を伝えたいのかもわからない。そして奴らの声は、漏れなく馬鹿でかい。集団心理というのは怖いもので、周りに迷惑がかかっているなんて、これっぽちも思っていないのだろう。赤信号みんなで渡れば怖くない、とはよく言ったものだ。頭のよくない大学に限ってこういう輩が多い。

 偏差値が高い進学校の場合は、おしとやかな女の子やクールボーイが多い。そもそもロックなんてものはやっておらず、基本的にはジャズやクラシックだ。
 やはりロックなんて、ロクでもない馬鹿がやるものなんだ。わかってる。わかってはいるが、好きになってしまったものは仕方がない。死ぬまで追いかけ続けるしかない。長生きはしなくていい。こんな生活、いつまでも続くとは思えない。最後は儚く散ればいい。

 ここに勤め始めてから、丸二年が経とうとしている。とてもいい環境だと思う。髪型も服装も自由で、仕事は楽なことばかり。学生も慣れてしまえば気にならない。スタッフ同士の仲は良く、なぜかドラマーばかりが働いている、秘密の隠れ家。
 僕はもう、ここに骨を埋めてもいいと思っている。

「コジちゃーん、今日は何スタ? いやー、昨日も飲みすぎちゃったよー」

 と、声をかけてきたのはナグラさんだ。
 ここでベースのレッスンをしていて、ほぼ毎日いるおじさん。昔は結構すごい人の横でベースを弾いていたらしいが、僕はそのバンドを知らない。前に少し聴いてみたことがあるけれど、カッコいいとも何とも思わなかった。
 いいものはいいし、悪いものは悪い。有名だからといって、無駄に褒めたりしないのが、僕のポリシーだ。つまりナグラさんは、僕にとっては普通のおじさんだった。

「今日は2スタですね。また飲み会だったんですか?」

「そうなんだよー。教え子のレコーディングに顔出しててさー、終わってから朝までだよー。ホント俺も年だからしんどくてしんどくて」

 そう言いながら、頭を掻いて笑う。

「いやーでも全然若いじゃないですか。六十才には全く見えないっすよ」

「若作りしてるんだよー、こう見えても。ミュージシャンは若々しくいないとさ。俺は絶対デブにはならないからね」

「さすがですね。自分もそう思います。あ、もう生徒さん先に入られてますよ」

「あー、そうなの? 早く言ってよー。じゃあシールドとチューナー貸してもらえる?」

「はい、もう用意してあります」

 あらかじめカゴに入れておいた物を渡す。

「ありがとー。コジちゃんは気が利くねー。……で、何番だっけ?」

「2スタです。早く行ってあげてください」

「えへへへ、じゃあまたあとでね」

 そう言い残し、スタジオに入るかと思いきや、練習を終えてロビーに出てきたハルさんと、またぺちゃくちゃ喋り始めた。
 いつもこんな調子のおじさん。僕はこのおじさんがとても好きだ。普段はヘラヘラしているけれど、ベースのレッスン一本で食ってるところはカッコいいし、経歴もすごい。せのせいか、言葉の端々に説得力がある。たまにすごく大きな会場でライブをやっていたりする。そしてそれを自慢するわけでもなく、淡々と語るのだ。

「いやー、あそこでかいだけで全然音よくないねー。もうやりたくないよ、あんなところ」

 ロックだと思う。


 十二時間労働を終え、交代の時間になるとマーシーさんが、おはざーっす、と言いながら現れた。

「おはようございます。とりあえず今日は平和でした。レジ金も問題なしです」

「了解でっす。今日も叩いてく?」

 長い髪を結び、レジ内の現金を数え始める。

「いやー、今日は帰ります。昨日ライブだったんで、疲れちゃって」

 帰る準備をしながら僕は言った。

「そっかそっか。俺も今月十本以上あるから大変だよー。おじさんを苛めないでほしいよ」

 そう言いながら、立派な口髭を擦る。腕はかなり引き締まっていて、筋肉質だ。

「いやーすごいっすね。十本ですか? 今バンドいくつやってるんでしたっけ?」

「んー、やってるのも十くらいかな? 自分でも把握してなくてさー。安請け合いしてるわけじゃないんだけどね。ギャラもらったりしてるし」

「へぇー、すごいなあ。俺、音楽で金なんか稼いだことないっすよ」

「まぁ長く続けてれば色々あるのよ。おじさんになるのは辛いことばかりじゃないよ、ほほほ」

 そう笑うマーシーさん。ロン毛に髭の、いかにもバンドマンらしいルックス。表情はにこやかだが、目の奥は鋭く、高いプロ意識のようなものを感じる。

「なるほどですね。勉強になります」

 挨拶をして、僕はバイト場を後にした。

 マーシーさんは売れてはいないけれど、プロのドラマーだ。この店を二十年近く続けていて、ドラム歴はさらに長いらしい。色んなバンドを掛け持ちでやっていて、ジャンルは様々。ほとんどが技巧派なものの、売れ線ではない為、世間的には有名ではない。知る人ぞ知るという感じだ。しかし、サポートやレコーディングでのギャラ、それに店のバイト代も合わせると、同世代のサラリーマン並みの収入になるという噂。年はもうすぐ四十。

 やっぱりすごい。ロックだと思う。


 家に着くまでの間、自転車を押しながらボーッと考えていた。
 カッコいい人は、おじさんでもカッコいい。ダサイ奴は、若者だろうがくそダサイ。僕はとにかく、カッコよくになりたい。
 金はいらない。未来もいらない。安定も家庭も、子孫も地位も名誉もいらない。自分が存在していたという証を残せればそれでいい。CDを一枚出せれば、僕はきっと満足する。一枚のアルバムだけ出して終わったイギリスのバンドみたいに、後世に影響を与え続けるような、そんなすごいものを残したい。
 先生になんかなれなくていい。バンドを何個もやれなくていい。ギャラだっていらないし、大きな会場も必要ない。僕の望みはそんなに多くない。ただ、誰よりもカッコよく生きて、そのまま散っていきたいだけ。

 だからお願いします。神様でも仏様でも女神様でもお天道様でもなんでもいい。一瞬だけでいいから、僕に力を貸してください。何かを残させてください。たった一枚のアルバムだけでいい。他には何もいらない。

 僕の望みは、本当にそれだけです。
 どうか生きた証を残させてください。

 それが叶うのなら、僕を殺してくれてもかまいません。

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