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②ヒト生体タンパク質由来の抗菌ペプチド探索 第1章 ぼくのIT遍歴 1 挫折のほうが多いぼくの過去

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第1章 ぼくのIT遍歴 

1 挫折のほうが多いぼくの過去

 まずは、あやふやな記憶をたどってみよう(正確さは、関連書を参照)。
 携帯電話なるものをもったのはやっと40歳前後のころだった。
 それまでは、固定電話。待ち合わせに遅れたときはいったいどうしていたのだろう?もうあまり覚えてないくらい記憶とか習慣はあやういものだ。
 30歳くらいから、ポケットベルが仕事で配られ、車運転中にも呼び出されるようになってしまった。とはいえ、ポケベルが鳴ると、車を飛ばして、公衆電話さがしが始まるのだ。
 50歳くらいからスマホが普及しはじめた。
 そして、ぼくは、新しいものを追い続けることをやめにした。今も、ぼくは、スマホをもっていない。ガラホ、そしてiPadあるいはPCだ。
 
 ウインドウズ95がでたのは、33歳の頃。これが、ぼくのPCとの出会いだ。決して早い方ではない。普通だと思う。
 それより前に、MS-DOSや98ノートの話をするものはまわりに時々いたが、話がチンプンカンプン。
 ウインドウズ95からXPのころに、今あるPC機能のほとんどが既にそこにあったと思う。ただ、あっても、それはいわゆる「隠し機能」あるいは「専門的機能」だった。
 とはいえ、遠隔操作やテレビ電話・会議(今も残るSKYPE)やSNSに至るまで、その時代にもう、既にそこにあった。
 PCソフトは、ワード(脱線するが、最近のワードは、日本語変換機能が以前よりおちてかなり退化している、と感じるのはぼくだけだろうか?)、エクセル、パワーポイントはもちろん。スクレイピングソフトや音楽ソフト、お絵かきソフト、ほぼすべて既にあった。
 2000年以降(XP以降)、新しいものはほとんどでてこなかったのではないか?パソコンの速度が速くなり、メモリーが増え、安く購入できるようになったこと。そして、以前の「隠し機能」あるいは「専門的機能」が一般機能として目にみえるようになってきた。それだけのことのような気がする。
 
 ぼくは、新しいソフトを使うことは長年やってきた。
 2000年ごろから、今まで写真屋に頼んでいた学会発表のスライドを、パワーポイントを使って自分でつくるようになった。
 そのころ、ぼくの研究テーマは、ペプチド型薬剤の設計だった。そのときに共同研究していた大学院の院生のY氏は、いまでは交流がないが(今も、in silicoの薬剤設計の第1線で名前を目にする)当時ぼくの触れた彼のプログラミング力は圧倒的で、ぼくは一生かかっても彼のレベルには誓って到達できないと思った。
 Y氏は、もう50回はインストールしているというLinuxをぼくのPCにインストールしてくれて(結局、ぼくが独力でLinuxをインストールしたのは、生涯この後の1回だけだ)、そこに、分子間ドッキングソフトAutodockや、ペプチド解析ソフトTinkerやPDF表示ソフトRasmolなどをインストールしてくれた。またPDBサイトの存在も教えてくれた。当時、そこの研究室では、タンパク質立体構造予測ソフトの精度を競う大会(CASP)にも参加していたし、彼が扱う分子解析ソフトは多岐にわたっていたようだった(ぼくにはその全貌はつかめなかった)。
 ぼくはこれらを使っていたのであるが、結局、ソフトウエアをつかう立場でしかないことに変わりはなかった。自分でソフトをつくる、ということは(あこがれてはいたが)やったことがなかったし、能力的に無理だった。
 ペプチド型薬剤(これは結局20種のアミノ酸の順列組み合わせにすぎない)の設計方法のアイデアは、ぼくが論文で仕入れたものだが、実際にC言語でプログラムを書いたのは、Y氏だった。
 ぼくは、Linuxを動かすためのコマンドを少し覚えた。C言語より簡単といわれていたPerlの勉強をはじめた。だが、そのふたつとも「もの」にならなかった。
 彼が、東京の大学に移る前に、Y氏がぼくに推薦してくれたのはRというソフトだった(これをつかって、後に、ぼくは判別木データを論文にいれたことがあった)。また個人的には、アドビ社FLASH作成ソフトに興味があったが、こちらも結局、物にする前に、そのAdobe Flash Playerのサポートが2020年12月で終了してしまった。
 
 ぼくは2010年に開業して、しばらく、この世界から遠ざかった。せいぜい、レンタルサーバーを借りて、クリニックなどのHPをつくるくらいだった。とはいえ、ここでも、WordPressというソフトを使うのがぼくの仕事で、HTMLやJavaScriptを駆使してHPをつくることなどできなかった。いわんや、FLASK,DJANGOでSNSをつくるなどとんでもなく(ひな型あるが完成は難、デプロイも難)、強いて言えば、WordpressのwpFOROをつかうくらい(しかし、wordpressのバージョンによる)。
 その間に、ニュースで、チエスや将棋や囲碁のAIが人間の世界一のプロをうちまかしたというニュースを聞いたことがあることは確かだ。でも、それは遠い話だった。それがどうした?という感じだった。
 
 転機は、2023年1月、ぼくがゾコーバの使用経験を地方の医師会でめずらしく発表しようとしたときのことだ。発表で、十年ぶりに例の判別木の手法を使ったデータを提示してみようとしたときだった。
 今や既にRはポピュラーでなくなっていた。かわりにぼくは、判別木を今はやりのPythonで再現した。そのとき、「機械学習」と言う言葉にはじめて出会った。
 ぼくが購入したPython手引書の著者は森巧尚氏だった。彼の名は、もう使われなくなってしまったFLASHの手引書を購入したときに知っていた。そこに何かしらの因果を感じたものだ。
 この2023年1月は、日本でChatGPTが公開されたときでもある。ぼくがChatGPTでまずやったのは、自分の書いた本を、フランス語や英語への翻訳することだった。
 2024年1月になるとChatGPTをプログラミングの補助に用いることができることをぼくは体験した。今まで、何度挑戦しても自分でオリジナルのプログラムができなかったぼくが、うまれてはじめてプログラムをつくれたのだった。ChatGPTによって、確かにばくは「救われた」気持ちになったのだった。
(=歯が立たなかったことができる。時間は無駄でなかった、と、報われたのだ!)
 しらべていくうちに、チエスや将棋や囲碁のAIに用いられた機械学習あるいは、自己学習で学べるAlfaZeroの手法が、タンパク質立体構造予測ソフトの精度を競う大会(CASP)においても未だかつてない良好な結果をもたらしたということを知った(AlphaFold)。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/AlphaFold
  また、15年前使っていたAutodockは、公開が今現在「中断」されていた。AlfaZero に代表される機械学習(AI)の出現に影響をうけて、今、開発者たちが、その精度をもっと上げるために、見直している最中なのだろう、と予想された。
  そして、どうやら、あのY氏も、今、薬剤設計に、この機械学習等の手法をとりいれているようだということをネット検索で知った。
 
 今のぼくの活動のメインは、かつてパワーポイントやワードで講演会のスライドをつくるかわりに、パワーポイントとワードで自己出版をするようになったことだ(KindleあるいはMyISBNやネクパブ出版)。いくら投稿しても文学賞で認められなかったから、というのが理由なだけだが。
 
 そして今もぼくはスマホをもたない。
 最初は、電話の番号の押しまちがえがいや、というのが理由だった。
 だが、今は、少し意地になっている。
 言い訳は、「スマホもたないとどうなるか」自分の毎日で実験しているというものだ。
 自分のIDカードの写真登録がスマホによる写真以外の方法ではできなかったら?ラインが使えなかったら?災害情報がスマホ以外にはいってこないとしたら?スマホ以外のオーダーを受け付けない店にはいったら?
 これらは、既に経験していることだ。
 そして、いったい、いつまでガラホの存在は許されるのか?


続き③へのリンクは、https://editor.note.com/notes/n41e201d5543e/edit/

①へのリンクは:https://note.com/kojikoji3744/n/n73e095a67c68

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