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8回の転職を振り返る

48歳の転職おじさんです。南の国からモーニン!

以前も書いたとおり、おっさんは8社で働いてきました。最初の転職のときに1度だけ、キャリアアップを意識しましたが、それ以外はその時々の流れやフィーリング重視で仕事を選んできました。

今日はおっさんの過去8度の転職史を、一気に振り返ってみたいと思います。オレも楽しみだ。レッツラゴー!

① プロスポーツ球団(関東)

選考:試験なし、面接数回、会食数回
期間:1997年4月〜2002年春
背景:プロスポーツ界に入る夢を叶えるため、英語を学び、大学在学中に国際大会で通訳の実績をつくった。夢を掴むために費やした準備期間は3年くらい。大会を終えて帰国すると、まさかの3チームからお誘いを受ける。

『スペシリャリストとして生きたいなら、他所(他球団)で通訳をしたらいい。うちはゼネラリストとして正社員で採用する。球団経営の面白さ、奥深さを学びなさい』(当時のO社長)のひと言でその会社を選ぶ。

大学4年の秋、入社意思を伝えると、プレスリリースが配信され、翌日の新聞、業界紙誌、数日後には通信社が配信した記事が全国20を超える地方紙にまで、オレの入社がニュースとなって掲載された。両親もゼミの先生もみんな驚いた。本人はもっと驚いたことがありました。入社後の仕事もめちゃ充実してて、振り返ってもキャリアのスタートはベストな選択だったなー。

② プロスポーツ球団(アメリカ西海岸)

選考:試験なし、英語面接2回
期間:2002年春〜2002年冬
背景:新卒入社で5年働いた会社では、優勝や新規事業の立ち上げを経験。キャリアアップのため本場アメリカで働く機会を探していたところにチャンス到来。2泊4日で渡米して午前・午後2時間ずつみっちり面接を受け、帰国したら次の日の明け方に採用を知らせるメールが届いた。

9.11直後のアメリアで勤務する貴重な経験は、人種差別の洗礼を受けながらあっという間に終わった。いきなりリーグ優勝をして、クリスマスに郵便で届いたボーナス(小切手)に腰を抜かし、新築マンションを購入したのはいい思い出。ちなみにこの年(新卒6年目)の年収は、25年働いた今も依然キャリアハイ。アメリカンドリーム、まじデカすぎ!

③ プロスポーツ球団(アメリカNY)

選考:英語でテレカン面接3、4回
期間:2003年1〜12月
背景:担当していたアスリートの移籍に伴い一緒に移籍を決意。アスリートの代理人を交えた三者通話で球団と会話を重ね、国際電話とメールのみで転職が決まった。新天地はNY。いま振り返ると電話面接だけでよく転職が決まったと思う。ずいぶんと先駆け的な経験をさせてもらった。

あとこれを書きながら思い出したんだけど、先方からはやたらとリファラーを求められた。多分3、4人は出したと思う。前年のアメリカでの人間関係にすごく救われた転職だった。

3回目の転職では、代理人に助言をもらいながらはじめて自分のサラリー交渉を経験した。サラリー交渉の基本は
① 労使双方で大筋合意に達してからすること
② サラリーが上がらない時は付帯条件のアップを相談すること
③ 常に複数の選択肢を用意しておくこと
20年前、エージェントのマイクが教えてくれた交渉のイロハ。懐かしい!

家賃4,000ドル、ドアマン付きのマンハッタンでの生活は楽しかったけど、この年チームは最下位、プライベートでは離婚、あまり良い思い出がなーい。

④ IT関連企業(東京・港区)

選考:社長面接1回
期間:2004年〜2006年秋
背景:過去7年間の日米両国での実務経験がタイミング良く評価される事象が生じ、知人の紹介で面接→即合意→記者発表→国民的関心ごとだったプロジェクトの責任者→二社プレゼンで敗れ→スポーツ事業を立ち上げ→軌道に乗りかけたところでいろいろ起こって退社。独身に戻ったばかりだったのでベンツとベントレーの2台持ち、身の丈に合わない生活を楽しんでいた。

⑤ 大学(関西)

試験:記憶にない(のでなかったはず)
期間:2006年秋〜2013年春
背景:前職でアウトプットし過ぎてカラカラに枯渇した脳を満たすため、学術研究の世界へ飛び込む。時の政府が提唱していた実務家教員の先鋒役として、母校より偏差値の高い大学に客員教授として迎えられれるレアなエラーが発生。ありがとうございますを毎日100回くらい唱えていたと思う。たくさん新幹線に乗った時代。

⑥ 大学(関東)

試験:模擬授業1回、面接2、3回くらい
期間:2009年4月〜2011年夏
背景:執筆した書籍やメディアでの活動を評価いただき、当時の学長さま、学部長さまよりお声がけいただく。大卒の身分ながら准教授の職位をいただくものの、途中で身体をぶっ壊して道半ばで退職。キャリア唯一の心残り。

⑦ メディアコンテンツ制作ユニット(東京・港区)

試験:なし(プロジェクト立ち上げ)
期間:2013年春〜
背景:東京オリパラ2020の誘致決定ムーブメントを見据えたメディアユニットを起業。形を変えながら2022年現在も、土日祝日を中心に細々と活動中。いつか新しい会社(=現在の職場:9/1追記)とマージ出来ないかなと思いはじめた今日この頃。

⑧ PRエージェンシー(東京・港区)

試験:役員面接2回、英語試験1回
PRのいろはにほへとを実施しながら修得させてもらった前職。1社目と同じくらい感謝しかない。アディオス・アミーゴ!

ちょうど目的地に到着したので今日はここまで。ほんと運と縁とタイミングばかりで転職活動らしい活動してないなー。メンソーレ!

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