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男と女と財布とお会計

女性タレントや男性タレントが3人で世間話をする番組を見ていると
出演中の男性タレントが
「お会計時に払おうという素振りをしない女性からは1円単位で割り勘して請求する」という話をしていた。

これは
男と女と財布とお会計がこの世からなくならない限り永遠のテーマである。

そこにいる他の男性タレントも
「わかる!」「払わなくていいんだけどその素振りはして欲しい」
などという意見が飛び交っていた。

そしてスタジオでその様子を見ている女性タレント達は
「や〜だ〜!」と悲鳴にも近いお叫びが。

もう一度言うが、この問題は
男と女と財布とお会計がなくならない限り永遠のテーマである。

まず、この男性タレントは一体どうゆうシチュエーションだとこのような1円単位で請求ができるのか。

それがただの合コンのようなグループでの飲み会であったのであれば、100歩譲ってやーだ~の女性の声も、「は、はぁ…」ぐらいのテンションになり、財布の中から1円玉を探すであろう。

例えばこれがデートなら?
財布を出さなかったという行為だけで1円単位で請求をされるかと思うと、いち女性としては、正直ぞっとする。
大金をはたいて「男はつらいよ」全シリーズをプレゼントして、寅さんの生き様から何かを学んでほしいと願うばかりだ。
寅さんは、女性と食事をしたときは、ほとんど空っぽの財布をかざしながら
「お姉ちゃん、ここはおれがもつからよ」と粋なセリフを吐くのだが、
いつもレジの前でお会計の金額にぎょっとするか、お会計が足りずに一緒にいた女性が笑いながら払ってくれるか、どちらかというオチをつけてくれる。
昭和の多くの男性が、こういった寅さんのような人に憧れていたからこそ、今にも語り継がれる名作なのか、それとも寅さんと比べてこんな風になってはいけないと一生懸命働いた団塊世代の反面教師なのか。
私はこの団塊世代の子供として育った立場からいうと、きっとこれは前者の方が明らかに多いのではないのかという印象を抱くのだ。
もちろんこの昭和の男で一番身近な男性が「父」なので、父の影響が大きくなってしまうのだが、うちの父はこの寅さんに憧れていながらも、真面目一徹で働いているような人だった。
そんな真面目な父のおかげで、裕福だなと思うような生活でもなかったが、飢えるような貧乏な思いも一度もしたことはなかった。

この真面目な父と寅さんの部分が共存しているような父だったからなのか、母は父との交際中には一度もお金を払った事はなかったと思い出話をしてくれた。
一方では二人で旅行中、お金が底をつきそうになった時、なけなしのお金で競馬場に向かって一儲けしておいしいものを食べて帰ったなんていう話も笑いながらしてくれた。
何とも破天荒だけれども昭和らしいエピソードだな、とほっこりさせてくれる。
そんな両親の話を聞いて育った私としては、この永遠のテーマである
「払おうという素振りもしない女性」と
「払おうという素振りくらいして欲しい男性」は永遠に戦い続けるテーマになってしまっている。

じゃあ私自身がデートの時にどういった行動をするのか、というのも意見を述べる上で大切になってくるのではないだろうか。
私は自分自身を非常に面倒くさい女としてとらえている為、あまり被害者を増やさないように、今は独身生活を謳歌している真っ最中なのだが(強がり)
お会計のシチュエーションは様々なので、ここではわかりやすく男性の方からアプローチされて初デートに向かった事としよう。
会話も弾み、楽しい時間を過ごしたところで、それではそろそろ行きましょうか、とこれまでの楽しかった空気が一瞬にして男女の駆け引きが生じる瞬間、そう「お会計」の時間だ。
正しい行動はどれだろう。

①トイレに立つ
②財布を手に持って準備する
③おいくらですか、と聞く

ここで私はトイレに立つ、を間違いなく選ぶ。
もちろん、お会計を頼んだ後にトイレに立つのではない。
お会計を頼みそうな雰囲気だな、の時にトイレに立つのだ。
この行動の真意は「お会計しててくださいね」の合図でもある。
ふざけるなよと言われる覚悟でいうが、大体の女性はトイレに立つのではないだろうか。本当にただトイレに行きたかったパターンだってあるので、全員が全員そうではないと思うが、
しかしこれは間違いなく
「男性にスマートにお会計を済ませて頂く時間を作っている」のである。
その場の状況や店員のタイミングなど、様々な事がうまくいっていると、このトイレのタイミングで戻ってきたころにはお会計が済んでいることになる。
これで女性としても「払おうという素振りもしない女性」というレッテルを貼られる事も回避できる。「お会計頼んだ後にトイレに消える女性」も同時に回避出来ている事だろう。
そしてさらに、「払おうとバックから財布を出す素振りをする」という何とも格好の悪い儀式をしなくて済む。
お会計が済んでいたら「えーいいんですか。ありがとうございます。ご馳走様でした。じゃあ次回は私がご馳走しますね」くらい絵にかいたようなありきたりなセリフが言えるではないか。
でもこのセリフはこの二人の「次回」もふわっと匂わせる事も出来るし、はたから見たってスマートな男性になる。
その場が楽しかったら「もう一軒行きませんか。今度は私が奢ります」くらいのドラマでも最近見ないようなセリフが言えるではないか。
なぜ、そのチャンスを「払おうという素振りもしない女性」を見届けるかどうかで無駄にしてしまうのだ。
きっと大半の男性は、初デートで自分から誘ったんだからどんな状況に置いたって女性には1円も払わせたりしないと思っているだろうが。(と願いたい)

このように私は、初デートでは男性に「お会計」をスマートに済ましていて欲しいし、払ってくれていた男性にわざわざその場で「いえいえ私も払います」というセリフ程、失礼なものはないと思っている。
でもそれが「払おうという素振りもしない女性」になってしまうのであったら非常に悲しく思うのだ。

この「お会計」持論は私の過去の数ある失敗談がもとになっている。
デートに誘ってくれた男性と楽しく食事をした後、もちろんこのお会計の時間がやってくるのだが、当時の私も言葉のチョイスを誤ったと反省はするのだが、お会計時に「いくら払えばいいですか」と男性に聞いたのだ。
その時の私はそれが礼儀だと思って聞いているし、単なるその礼儀が「儀式」である事も重々に承知な上での「いくら払えばいいですか」だった。
もちろんその方は「大丈夫」と言ってくれたものの、その後耳を疑うような事を言われてしまった。
「その、いくら払いますか?って聞くのは男性に大丈夫って言わせる為に聞いてるの?」と言われたのだ。
正直ぎょっとした。それまでの楽しかった時間が一瞬にして、どこかへ吹っ飛んでいった。いやいや払わない素振りを見せないのもどうかと思ったから、ここはご馳走になろうと思ったけれどもとりあえず聞いてみたんじゃん?と心にもやもやとした煙が充満し始め、苦笑いを浮かべたまま二軒目に行った。もちろんだが私はそこで全額お支払いをし店を出た。その彼は、帰り際とっても満足気に帰っていき、その後何度もお誘い頂いたが、二度と会う事はなかった。

もっとひどい話もある。
これまたお誘い頂きデートに向かった時のこと。
一軒目のお会計の際に「二軒目はここよりもっといい場所に行きますか?それともちょっと軽めの安い所にいきますか?」と提案をされたのだ。
一軒目が大衆食堂のような場所だったので、「じゃあちょっといい感じの場所に行きましょうか」というと、その男性は
「じゃあここのお会計お願いします」と言ったのだ。
これまた私は正直ぎょっとした。じゃあ、って何。じゃあって。
しかもその時のお相手が外国人で、いわゆる割り勘文化の薄い国の方だったので、なんてことだ、と衝撃を受けたのだ。
しかし、二軒目に行った場所は別にいいところでもなく、むしろ一軒目の私が出したお会計の方が高かったのだ。
これまたその男性は満足げに帰っていき、その後何度もお誘い頂いたが二度と会う事はなかった。
こういった男性の行動は私を混乱させた。
せっかくの出会いであったかもしれない出会いを「お会計」というもののせいで無駄にしたかもしれないからだ。もっと言えば私がもともと持っていた寅さん的「お会計」の概念が邪魔をしたのかもしれない。
でも、明らかにこの男性たちの行動や言動は私にまた会いたいという想いにさせてくれなかった、というのも事実だ。
男性運がないのか、見る目がないのか。
結局、私が行きついた答えが
「男性にデート代も払ってもらえないような魅力のない私が悪い」という事だった。

でもこれはごく一部の体験であり、いわゆる寅さん的な男性の方が圧倒的に多いのは事実なのだが、この解決しない「お会計」問題の答えがそうなった。
結局それ以降もデートの際のお会計の瞬間はドキっとしたり、ほっとしたり、がっかりしたり、男性の事を見てしまう物差しになっているのだ。

いわゆるこの「払おういう素振りを見せない女性」に1円単位で請求をする男性タレントと同様に、
「お会計時に女性に財布を出させる男性」とは、なかなか次に繋がらない私と、大した人間的違いはないという事になるだろう。

だから私はいまだこの問題は
「男と女と財布とお会計がなくならない限り永遠のテーマである。」
と思っている。

これはあくまでも「付き合っていない男女」の初デートの場合の話なので、付き合っている男性とのお会計、ただの友達同士のお会計、飲み会の中でのお会計の話になると、またそれは別の話、と思って頂けると幸いだ。


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