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書評 『大きな嘘の木の下で』 Part4 「目的」「目標」「手段」について②

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#書評 #大きな嘘の木の下で #日本語教育 #目的 #目標 #手段 #教育理念

まず注意すべきなのは、
「目標」についてです。

多売型の営利企業における「目標」は、売り上げ〇〇億円、新規顧客〇〇人獲得などとなっているのが一般的です。

これらの目標は企業側でほぼ自己完結できるもの(【自己完結型目標】)となっています。

目標達成のためには、顧客側にもお金を支払ってもらったり契約書にサインしてもらったりしなければなりませんが、
顧客側が売り上げ○億円を目指して商品を購入するわけでは決してありません。

一方、教育機関の場合、
表向きの目標は、
教師側だけで自己完結できるものではなく、
その達成には学習者側の努力も欠かすことができない
【双方協力型目標】
となっているのが一般的です。

例えば、「クラスの全員を〇〇試験に合格させる」という目標の場合、
教師側としては目標達成のために、コースデザインを考えたり、日々の授業を改善したり、モチベーションを高めるために何が必要かといったことを考えたりしますが、
あくまでも勉強するのは学習者で、
学習者の努力なく目標が達成されることはありません。

目標達成のためには、
学習者側にも「〇〇試験に合格する」という目標を持ってもらい、
教師側と学習者側が協力しながら進んでいく必要があります。

このように、
教育機関における目標とは、
このコースで学べば一定のレベルに導くことを保証するが、
その代わり、あなたもそれを目指し、学校のルールや教師の指示には従ってくださいねといったといった
約束事のようなものです。

この約束事がなければ、
学習者はどの学校で学ぶかを決めることができませんし、短期的にも長期的にも何を目指して学べばいいのかがわからないという学習者も少なくありません。

また、教師側も、
各教師の教育理念によって目標の持つ意味を独自に解釈し、
教師によって異なる手段を用いて学習者を混乱させたり、
日々の授業がただ教科書を教えるだけのルーティンワークに陥ってしまうということが起こってしまいます。


二つ目に気を付けなければならないのは、「目的」と「企業理念/教育理念」についてです。

恐らく著者は余計な混乱を防ぐためにあえて説明しなかったのだと思いますが、「目的」=「企業理念/教育理念」ではありません。

「目的」の中で、組織の根幹となり、迷ったときの道しるべになるよう定めるのが「企業理念/教育理念」です。

これは、「組織が存在する理由」と言い換えてもいいでしょう。

「企業理念/教育理念」を定めることによって、この組織は社会全体に対してこんな使命を持っていて、自分たちはそこに向かうべきだと考えていると内外に知らしめることができます。


三つ目に気を付けなければならなのは、教育機関が定めた「教育理念」と、
一教師の「教育理念」は必ずしも同じではないということです。

ある程度の経験を有する教師なら、明確な答えを持てないまでも、
自分は何のために教師をしているのか、
自分にしかできないことは何なのか
を考えている人が多いのではないでしょうか。

その個人としての「教育理念」と教育機関の「教育理念」との間に大きな隔たりがある場合、
どこに向かって進めばいいのか迷いが出てきてしまいますし、
やりたくないことをやらされるのは大きなストレスとなります。

二つの「教育理念」の間に大きな隔たりがあると感じたときに最も大切なのは、
バランス感覚ですが、
バランスをとるためには、
まずは自分で自分の「教育理念」をしっかりと把握しておかなければなりません。
それができていなければ、教育機関の「教育理念」や同僚等の「教育理念」とどうバランスを取り、
どこを落としどころにするのかを判断することができません。

私自身、「教育理念」という柱を据えることによって、それまでばらばらに点在していた知識が、全て一つにまとまったような感覚になり、迷いがなくなったという経験があります。

私が目指すのは、

「私に関わってくれた全ての人を豊かにするための日本語教育」です。

「豊か」というのは、物質的なことも含まれていないわけではありませんが、
それよりも精神的なことの方が大切だと私は考えています。


そのための「目標」は、達成できたかどうかを判断するのはちょっと難しいような気がしていますが、
現在は次のようなことを考えています。

「目的を持って日本語を学べるように導く」
「やりがいと達成感を感じさせる」
「日本語を学ぶことの意義と喜びを感じてもらう」
「学ぶことの楽しさを感じてもらう」
「人生における学びの意味を理解してもらう」

学習者の日本語を上達させることももちろん大切なことだと思いますが、
そのために「劣等感」や「疎外感」を感じさせたり、自己肯定感を下げるということがあってはならないと私は考えています。


なぜなら、

私にとって
「日本語を上達させる」ことは、

「手段」 であり、

「目的」 ではないからです。



つづく

Part5 新しいことへのチャレンジ
https://note.com/kojii777/n/n47f8719bcedc

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