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野口宇宙飛行士と宇宙開発の歴史

6月1日に、野口宇宙飛行士がJAXAを退職しました。それに先立って5月25日に会見を行った模様が公開されています。

後進に道を譲りたいということと、新しいチャレンジをしたい、というのがとても印象的でした。
まずは本当にお疲れさまでした、と心から言いたいです。

今回は、野口宇宙飛行士が経験した宇宙開発の歴史について印象的な記事があったので紹介しておきます。

初めに、野口さんは過去3回も宇宙に飛び立ちました。
箇条書きで整理しておきます。

1.STS-114ミッション(2005年7月)

2.ISS第22次/第23次長期滞在(2009年12月~2010年6月)

3.ISS第64次/第65次長期滞在(2020年11月~2021年5月)

これだけだと同じ事をやっているように見えますが、実は野口飛行士は2つもギネス認定を受けています。

15年ぶりの船外活動も意外でしたが、目を引いたのが「滑走路・砂漠の垂直・海上からの発射、という3つの異なる方法で打ち上げを経験」という内容です。

特に、これは野口さん自身も冒頭記事で触れていますが、2回目の活動後に宇宙飛行士をやめようと考えていたそうです。
それは、「新しいチャレンジがみつけられないから」とのことです。まさに野口飛行士のチャレンジ精神を凝縮した言葉です。

そんな野口さんが3回目を決意したのは、SpaceXという新しい民間主導ロケットの可能性を次世代につなげたいから、という理由でした。

まさに、宇宙開発の民間シフト期が野口さんが経験した時期だったのかなと思います。

SpaceXは使い捨てでなく「再生型」を目指したのが一番の特長です。

ただ、元々スペースシャトルも「再生型」を目指した画期的な計画でした。
ただし、あくまで部分的なものでした。Wikiを引用しておきます。

出所:上記Wiki

再生型の主目的は、コスト削減でより気軽に宇宙への機会を広げたいことにありました。
当初のNASAの計画では、1回あたり1200万ドルの費用を目指しました。
ところが結果として、スペースシャトルは計135回の打ち上げで2090億ドルもの費用がかかったとされます。
単純計算で1回あたり15億ドル、という実に100倍近くの乖離です・・・。

また、そのうち実際に宇宙に行くことができたのは、チャレンジャー号、コロンビア号、ディスカバリー号、アトランティス号、エンデバー号の5機にすぎません。
計画・実行段階それぞれの問題もいくつか指摘されていますが、費用と打ち上げ回数頻度に大きく影響をあたえたのは、上記5機のうち2機で起こった「スペースシャトル事故」です。

今回の退職会見でも野口さんが一番の思い出として語っていたのは、その1つにあたる「コロンビア号事故」です。着陸直前にスペースシャトルが空中分解し、7人の乗組員が命をなくしました。。
乗組員の多くが野口さんの同僚で、さらに野口さんも当初はその直後に初の打ち上げを予定していて、まさにちょっと順番がかわっていたら・・・という想像するだけで私ならぞっとしてしまいます。

それでもその2年半後に無事宇宙打ち上げと船外活動を成功させました。
さらに2回目では、日本人初のソユーズ宇宙船船長補佐(フライトエンジニア)を担っています。
我々の馴染みの飛行機でいうところの副パイロットです。つまり非常時には最終責任者となって舵を握るわけで、文字通り命運を託されるわけです。

宇宙開発という国家競争をはらんだ計画にこのように抜擢されるのは、改めて野口さんの人間としての魅力を感じます。

最後にJAXA公式チャンネルで野口さんの26年を振り返り動画が公開されているので、紹介して終わりにします。
これからの野口さんの新しいチャレンジに期待したいと思います。本当にお疲れさまでした。

※タイトル画像は下記から引用しています。
https://astro-mission.jaxa.jp/noguchi/

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