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|低山ハイク|生石(おいし)高原〜生石(しょうせき)神社、生石大明神

2024年8月9日 
本日は、
時々一緒に歩く、
仕事仲間の
カメラマンの方が
車を出してくれ、

和歌山県の北部
紀美町と有田町に広がる
生石高原に。



駐車場着
11:20

上り
売店、休憩所の
「山の家おいし」開店中

奥には
トイレ。

炎天下対応の
準備。
アームカバーは
UNIQLOの
エアリズム、
少し涼しい時がある。
首には冷却タオル。

笠石の祠が
あるようだが
気が付かず、

火あげ岩に
先客、女性2名。

ネットを見ると
コスプレの
写真スポットとして
有名な場所にも
なっているようだ。


振り返り
「山の家おいし」
駐車場側。

眺めよし、

途中
高原展望台では
グライダーを飛ばす人。
目視だけで
操っているのか?


神社へつながる
下道があるようだが、
清掃中で通行止め。


山頂へ。

全方位に
見晴らしよし!

生石ヶ峰
山頂
870m

炎天下、
影がない。
風が強いのが
とても
有難い。

生石神社へ、


途中、
クマ出没の
案内あり、
念の為
クマ鈴を
つける。


しばらくして
木陰のある道へ、

木陰は快適。

途中、
見晴らし良い岩。

少し下り
左折、

近いと
思っていたが
意外と
高低差も
距離もあり。

巨石!

広場と建物
到着、
12時過ぎ。



生石神社

標高755m。

後ろには
高さ48mの
立岩、

阿波国、播州、
そして
ここ和歌山に
出現した
生石大明神。

阿瀬川郷楠本の里、中の峯天野壇上に一夜にして高さ16丈の巖出現し給い、里人に告げて曰く「吾れは阿波国杉尾神なり、播州にては生石子明神なり、今や比処に迹を垂れ國家を守護せん、殊に婦人は難産なく子孫繁栄を誓ふ」との御神托あり、茲において里人等社殿を築造し、応神山生石神社と号し奉り篤く崇敬したとある。

播州にては
生石子明神なり
ネットで
生石神社を検索すると

播磨の
生石神社(おうしこじんじゃ)が
石の宝殿と
呼ばれる
巨大な石造物を
神体としており
有名なようだ。

「生石」の読みは本来「おしこ」であるが、「おしこ」・「おしこ」と誤表記・誤読されている場合もある。鳥居の扁額には生石子神社と記されている。


そして、ご祭神の
大穴牟遅神と
少彦名命は、

播州国風土記での
表記は
大汝命と
小比古尼命となり、

大汝命と小比古尼命との間で「粘土を担いで行くのと糞を我慢して行く、どちらが先に行けるか」という話になった。大汝命は糞を我慢して行き、小比古尼命は粘土を担いでいくこととなった。数日後、大汝命は「私は我慢できない」とその場で用を足してしまった。小比古尼命も笑いながら「疲れた」と粘土(ハニ)を岡に放り出した。このためハニ岡と呼ばれるようになった。また、大汝命が用を足したときに、笹が糞を弾き上げて服についてしまった。このため波自賀村(はじかのむら)と呼ばれるようになった。この粘土と糞は石となって今もあるという。

オホナムチと
スクナヒコナ。

コンビで国を作る話。
二神は力を合わせて
天下を経営し、
人間と家畜の医療を司り、
害虫害獣をはらう。

そして
「粘土を担いで行くのと
糞を我慢して行く、
どちらが先に行けるか」
という我慢大会、

このエピソードの
締めくくり、
粘土と糞は
石になったという。

とても面白い。


参拝。



神社の下には
コンクリートの
広いスペース。

ただ、気になるのは
クマ出没注意。

昼食、
コンビニ弁当+バナナ
今日は
インスタント味噌汁付き。


ここから下る
コースもあるが
本日は、
ピストンで
駐車場に戻る。

枝の高い所には
毒蛇マムシ、

炎天下
頂上を避ける
下道は、
まだ
清掃中で
通行止め。

同じ道を
戻る。



木陰は
ここだけ、
休憩。


2時、
スタート地点の
「山の家おいし」
に到着。

休憩、
「グリーンアイス」
抹茶のソフトクリーム
あっさり味。

3時間弱でも
炎天下は、疲れた。



キャンプ場もある
高原の観光地だが、
それだけではない
歴史もある。

ありがとうございました。






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