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『渚にて』死と向き合う人々

1950年代の名作古典SFのひとつです。
全面核戦争による人類滅亡というシナリオがそこそこの現実感を持っていた時代の作品ですね。
この作品に高校時代に巡り合えたことは幸運だったと思っています。

互いに環境破滅をもたらすミサイルを打ち合ったあげく、北半球の大気は完全に有毒化されて人類は全滅。南半球にあるオーストラリアだけが辛うじて国として機能しているという状況から話が始まります。しかし、汚染した大気が南半球に達するのも時間の問題であり、向こう数か月でオーストラリアの国民も死に絶え、国は(ひいては人類は)完全に滅亡すると予測されています。
ある日、原潜に乗って海の底に居たために全滅を免れた米空軍の軍人たちがオーストラリアに辿りつき、オーストラリア海軍の指揮下に入ることに。艦長以下乗組員は、上陸して市民との交流を持つことになります。そこで艦長が見たものは…。
この作品には人類を救うべく超人的な奮戦を見せるヒーローは登場しません。人々はどこまでも穏やかに「日常生活」を続けます。艦長は、米国本土に暮らしていてとうにこの世にいないはずの家族のためにオーストラリアで土産を買い求め、市民たちは、自分たちは居なくなっているはずの「来年の春」の開花を目論んで庭に木を植え、整備に余念がありません。

我々が目指すべき人生の終着点とはどういうものなのでしょうか。美しい死に方とは?

ウクライナがきな臭くなった今、改めて読むと別の印象があるかもしれません。

最近になって新訳が出て読みやすくなりました。以前の版にあった読みにくい表現が一掃されて、いい意味で現代風の日本語になっています。
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