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【短編小説】献幸

 日曜の昼過ぎ、僕は駅前周辺を歩いていた。特に用事があったわけではないが、貴重な休日を家でゴロゴロするだけではもったいないと思って家を出た。

 駅前にはちょっとした広場がある。そこでは時折イベントが開催されている。

 ふと、その広場に目を向けると、そこには一台の小型バスが停まっていた。小型バスの前ではプラカードを持った女性が道行く人に声をかけている。

「ケンコウにご協力くださーい! 今なら待ち時間なしで行えます。ご協力していただいた方にはお菓子やカップ麺を配布しております」

 けんこう? 健康のことか? なんだ、健康にご協力くださいって。なんか日本語おかしくないか。健康なんて人に協力するものでもないし、されるものでもないだろう。

 僕は、少し気になってバスのほうに歩いて行った。

 近づいてみると、女性が持っているプラカードには『献幸にご協力ください』とかいてある。

 献幸? 健康じゃないのか。なんだ、献幸って。

「お兄さん、献幸しませんか?」

 僕がプラカードをじろじろ見ていたら、その女性に声をかけられてしまった。

「あ……あの、献幸ってなんですか?」

「ああ、献幸は初めてですか? 最近少しずつ日本でも行われるようになってきたものなんですけどね」

 女性はそう言いながらパンフレットを渡してきた。

「献血ってご存知ですよね? まあ簡単にいうとあれの幸せ版ですかね」

「幸せ?」

 渡されたパンフレットには『あなたの幸せを全国に届けよう』と赤いゴシックの文字で書かれている。

「はい、献血は健康な方から血液を提供してもらって、怪我や病気で輸血が必要な方に届けるというものですよね。献幸は、その人から幸せを提供してもらって、精神的に不安定な人や、うつ病にかかっている人に届けるというものです」

「幸せを提供する……? すみません、ちょっとよく理解できないんですが……」

「そうですよね、皆さん最初はそうです。人間って幸せを感じるときにセロトニンという物質が脳で分泌されるんです。それを特殊な機械を用いて脳から摘出していくような形になります」

「脳からですか。それはちょっと怖いですね」

「確かに最初は怖いかもしれませんが、安全性に関しては心配いりません。脳に傷がつくだとか、そういったことは絶対にありません。かくいう私も何回もやりましたけど、まったく問題ありません」

「うーん、でもなあ」

「最近では献血よりも献幸のほうが需要が高まってきているんです。うつ病とか、精神病患者の数が年々増加してきているのはニュースでもよく聞きますよね。しかしそういった患者の治療というのはまだあまり確立されていません。そんな中この献幸というのは、かなり具体的に効果のある治療だと科学的にも証明されているんです」

 パンフレットに視線を落とすと、確かにアメリカやヨーロッパでは積極的にこの献幸が行われているらしい。

「日本ではまだメジャーではないですが、今後全国で行われる予定です。ぜひご協力してくれませんか?」

 ちょっと、いやかなり怪しい気もするが、さすがにこんな駅前で堂々と活動しているのだから、大丈夫だと思う。思いたい。

「どのくらいかかるんですか?」

「大体十分くらいで終わります。今ならすぐにご案内できますが」

 僕は迷った挙句、やってみることにした。まあ十分程度だし、無料だし、お菓子ももらえるし。何より暇だし。

「ありがとうございます! それではこちらにお入りください」

 僕はバスの中に案内された。中には白衣を着た男性が座っており、最初にアンケートと簡単な問診を受けた。

 バス内ではクラシック音楽が流れており、アロマの香りもする。

「リラックスした状態のほうがセロトニンの分泌量が多くなるんです」と、男性に説明された。なるほど、確かにこのほうが気持ち的にもリラックスできる。

 奥に進むと、そこには美容院でよく見かけるパーマをかける機械のようなものが取り付けられたイスが設置されてた。

 座るよう促され、恐る恐る座る。

「では始めます。ほんの十分程度座っているだけなのでどうぞ楽にしていてください。目をつぶって、なんなら眠ってしまっても構いません」

 男性がイスの横にあるスイッチを押すと、頭上にある輪っかのような機械が作動し始めた。機械からの熱が頭に伝わり、ほんのりと暖かい。

 最初は少し緊張していたが、柔らかい暖かさと優雅な音楽、アロマの心地よいにおいで、僕はだんだんと気持ちよくなってきた。

 ゆったりとした時間がバス内に流れ、うつらうつらと眠りかけたとき、機械は止まった。

「はい、十分間お疲れさまでした。以上になります。ありがとうございました」

「え、もう終わりですか」

「はい、そうです。これ以上続けてしまうと、セロトニンを取りすぎてしまうので」

「とりすぎてしまうとどうなるんですか?」

「セロトニンの量が極端に減ってしまうとその人自身が幸せでなくなってしまいます。献血で言い換えるなら血液を抜きすぎると、貧血を起こしたり、場合によっては出血多量で死んでしまうようなものです」

 なるほど、もっと続けてほしいと思っていたがそういう危険性もあるのか。

「あ、忘れるとこだった。これ、献幸カードです。次回利用の際お持ちください。安全性を考慮して今日から半年間は献幸は受けられませんのでよろしくお願いします」

「半年間って結構長いですね、忘れちゃいそうだ」

「そうなんですよ。三か月くらいで二回目の献幸をしてしまった人が最初のほうにいたらしくて。だから必ず取っておいてくださいね」

「その人はちなみにどうなったんですか?」

「うつ病になってしまいました。なので十分注意してください」

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